びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/12/06(日)「五條」

 7時半に起床。せんべい布団が重くて、寝づらかった。羽毛布団の良さを再認識。8時から朝食。テレビでプリキュアをやっていた。湯浅でも見たなあ。今後も見るかもしれない。9時前にチェックアウト。おじいさんが「城戸までは平地だけど、阪本までは自転車の人もキツイと言ってましたよ」と言った。
 五新線はバスが通っていた城戸までは11.7km、その先工事をしていた阪本までは22kmあった。阪本まで行きたかったが、並行する国道があまりにもぐねぐねしているので、無理かもしれないと思っていた。
 9時、観光案内所で自転車を借りた。昨日対応してくれたお姉さんさんがいた。念のために予備のバッテリーも。
 国道を通って吉野川を渡ったところからスタート。堤防を行こうとしたら車止めがあって入れず。仕方がないので国道に戻って進んだ。もう一度右折。今度は廃線跡を捕まえた。廃線跡は道路になっていて、その先は何かの大きな施設になっていた。
 隣の国道を行くと、ファミマの裏に突然突堤が出現した。とりあえずファミマでペットボトルと昼食を購入。突堤は国道にぶつかるところでコンクリート橋となった。ここも国道をオーバークロスする部分は撤去されていた。国道の反対側には、路盤に上がる坂道があった。これがかつてバスが路盤に入るところだった。
 このバス道は、現役時代には侵入禁止だった。今も五條市の市有地で道路ではないため、一般車両の通行が禁止されているようだった。道にはバリケードが2つあったが、別に自転車が入れないわけではなかった。一般車両に自転車が含まれるかどうか?含まれるだろうと思いつつ、ネットで調べるとやはり該当。というわけで、とりあえず廃線跡には入らずに国道を行くことにした。
 最初の左に入る道を曲がり、廃線跡を探した。やがて畑の中の廃線跡とぶつかった。ここにも先ほどの立て看板が立っていた。これ迂回してばかりじゃとてもやってられない。立ち入り禁止とは言え、地元の生活道路だし、自転車ならいいだろう、と自分に都合のいい判断。この後、ずっと後ろめたさを感じる探索となった。
 廃線跡は快適だった。車は来ないし、人もいない。まるで遊歩道のようだった。なぜ遊歩道にしないんだろうか?遊歩道じゃなくても市道でもいいのに。
 生子というところでトンネルにぶつかった。ここはフェンスで閉鎖されていた。国道に出るにはどうすればいいか?この辺りになると、山と山の間に川しかなかった。一瞬、焦ったが、右手の方に国道に出る道があった。
 国道は強烈に高度を上げていった。さっきのトンネル坑口真上を通ってもなお高度を上げた。この頃、既に阪本まで行く気は失せていた。これのどこが平地なんだと思った。ましてや阪本なんて。国道のトンネルを抜けると、ものすごい下の方に廃線跡が現れた。これどうやって降りるんだよ?下手に変なところで降りたらダメージが大きすぎる。慎重にグーグルマップで調べて、唯一の道にたどり着いた。ものすごい急坂だった。 帰りもこれ上るのかよ。
 廃線跡に出て、まずはトンネルの方に戻って封鎖を確認してから、改めて先に進んだ。両側は切り立った山で川の河岸段丘を進んだ。前方にトンネルが見えてきた。頼むから封鎖しないでくれ。祈りが通じたのか通行可能だった。短いトンネルを二つ抜けると、そこは賀名生(あのう)、7km地点だった。
 ここには施設があったが、まだ時間に余裕があるので先に進んだ。代わり映えのしない山間の寂しい道を走っていくと、また封鎖が現れた。ここには国道に出る道がなくて、結構戻らなければいけなかった。
 ようやく国道に出て、先に進むと、目の前に川を渡る巨大なコンクリート橋が出現した。橋の先は山の中腹をぶち抜いたトンネルに吸い込まれていた。強烈な景色だった。
 この時点で、また山を迂回しなければいけないのかとイヤな気持ちになった。ただ、もうすぐ城戸のはずと気力を振り絞った。
 一つ山をぐるっと迂回すると、国道のトンネルが現れた。廃線跡はどこだ?よくわからなかった。グーグルマップで見ると、もう少し先で国道と交差するようだった。トンネルを潜ると、またトンネル。そのトンネルの上に廃線跡があった。
 おいおい、どうやって上るんだ?探したけど、上れそうな道はなかった。再びグーグルマップ。ちょっと国道とはだいぶ離れそうなので、終点に先に行ってから、逆にたどることにした。
 国道のトンネルはめっさ長かった。横をビュンビュン車が走って怖かった。早く脱出したいと必死で自転車を漕いだ。
 トンネルを抜けると間もなく終点の城戸だった。廃線跡のコンクリート橋があった。廃線跡に繋がる坂道を上がると、城戸停留所があった。何回もネットで見ていたものが、目の前にあった。
 そこから廃線跡を戻ることにした。車止めがあり、その先には所々落ち葉が積もり廃道の様相を呈していた。少し先に進んだところでトンネルがあり、その出口はフェンスで塞がれていた。これで廃線跡巡りは終了。時間は12時半だった。
 城戸からの帰り道はほとんど下り坂だったのでラクだった。
 賀名生の歴史民俗資料館で昼食。コンビニで買った弁当を駐車場で食べた。悪目立ちするかなと思ったけど、誰も来なかった。
 なんでこんな人里離れた山奥に歴史民俗資料館があるのかというと、ここは南朝の皇居があった場所だからである。南朝は吉野ではと思わなくはないが、正確には転々としていたようだ。賀名生には三代の天皇がいたというから一番長くいたのかもしれない。資料館では「ここが日本の政治の中心だったことがある」と言ってた。日本中の観光地で地元を称賛する文章を読んできたが、これほど高低差が激しいものは見つからないだろう。
 資料館の隣にはその皇居があった。立派な茅葺きの門だった。そこには皇居と書かれた扁額が飾られていた。天誅組吉村寅太郎が書いたとのこと。皇居って。なんか間抜けな感じがした。中にも立派な茅葺きの建物があって、レストランになっていた。皇居がレストランか。シュールだな。
 一直線に帰って観光案内所に自転車を返したのは14時過ぎだった。阪本まで行ってたら確実に16時には間に合ってなかったに違いない。観光案内所にたどり着いた時、心底ホッとした。無事に何事もなくてよかった。道中、まったぬ人気がなくて、心細かった。反動からか観光案内所のお姉さんにあれこれ興奮気味にしゃべってしまった。
 いつも廃線跡には時代の流れや人々の願いなどを感じるのだか、ここに関しては狂気しか感じなかった。ほぼ山しかなくて、大歩危小歩危かと思われるような所に、たくさんの税金を投入する意味はあったのだろうか?現地には現地の人でしかわからない事情があると思うが、ここに関しては絶対に間違ってたと断言できる。五條市が跡地を利用しないのも負の歴史だと思ってるからかもしれない。
 五條駅で夕食用にたなかの柿の葉寿司を買った。無理矢理地域共通クーポンを使うため。奈良だと兵庫で使えないんだよなあ。昨日、誰が買うんだと書いたが、私でしたm(_ _)m。柿の葉寿司は五條が本場みたいね。
 ちょうど和歌山行きが出たようでジョルダン関西本線回りを指示していた。1430奈良行き。1507高田から王寺、関西本線で大阪。帰宅したのは17時前だった。
 今回は五新線しか期待してなかったのに、五條はすごく楽しかった。旅行ではなかなか現実を忘れられないんだけど、今回は完全に忘れていた。ものすごい充実した二日間だった。旅行、やっぱり行ってみないとわからんもんやね。