びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/08/19(日)「旅行11」

 今日は最終日。朝は0718のスタートだった。
 恵那―中津川―上松→赤沢自然休養林―丸山渡―赤沢自然休養林→上松―塩尻小淵沢―新宿―東京―千葉みなと。
 以前から上松に森林鉄道が保存運転されていることを知っていたが、計画を組むのがややこしそうで行こうという気持ちにならなかった。昨日松本でやりたいことを考えたときに上松があることを思い出した。観光案内所に電話して、バスの時間などを教えてもらうと、今日のうちに千葉まで帰れることがわかった。
 森林鉄道のことは「山さ行がねが」を見るまで知らなかった。森林鉄道は山で切り倒した木を運ぶための鉄道である。日本全国の山奥に存在したが、昭和50年までにモータリゼーションの流れの中で、屋久島を除き全廃された。山奥まで到達していたので、現存していれば、さぞ見ごたえのある路線だっただろうと思う。
 上松の森林鉄道は木曽森林鉄道として大正4年に運用を開始し、森林鉄道の中では最も遅い昭和50年に廃止された。そして、昭和63年に観光用として1.1kmが赤沢自然休養林に復活した。
 上松駅を降りて、観光案内所で赤沢自然休養林までのバスの往復チケットを買った。一日4往復しかないバスなのに客は6人くらいもいた。バスは木曽川の支流に沿った山の中を走った。おそらく森林鉄道は上松駅まで通じていたはずなので、廃線跡を探した。すると川を渡る際に煉瓦巻きの橋台を見つけた。続いてガーター橋も見つけた。路盤の大部分は道路になったようだ。なぜなら道路の勾配がなだらかだったから。独り想像力を働かせ、悦に入っていた。
 赤沢自然休養林に着いたらすぐに10時発の森林鉄道に乗りに行った。ディーゼル機関車にトロッコの客車が4両連結されていた。客車はお客さんでいっぱいだった。列車は渓流沿いをゆっくりと進んだ。森林鉄道の昔の写真を見ると、山男が木を運んでいる武骨なイメージを抱いていたが、実際は普通の鉄道だった。観光に特化しているので門司で乗っためかり線とほとんど変わりはなかった。路線を維持されている関係者の皆さんには敬意を表したい。この路線を残すことは文化的に非常に意味のあることだと思う。たくさんのお客さんで賑わっていてよかった。往復で25分の旅だった。
 乗り場の横にある森林鉄道記念館に行った。森林鉄道の展示館があるなんて!すごくワクワクした。昔の写真や車両が展示されていた。いろんな車両がまだ保存されていることに驚いた。よく廃棄しなかったもんだ。これは本当に貴重な展示だと思う。
 他に森林資料館があった。木、石、動物、虫などの展示があった。好感の持てる展示だったが、あまり興味のある分野ではなかったのでスルーした。
 バスで上松に戻ると後は帰るだけだった。最後におまけで、指定を取って小淵沢から臨時快速ビューやまなしに乗った。全部が2階建て車両。最初グリーンにしたら1900円もしたので、指定に変えたら510円で済んだ。小淵沢からはそんなに乗らないだろうと思ったら、旅行者で小淵沢の狭いホームは溢れかえった。乗ってみたら、席が1階で進行方向と逆なのは許せるが、4人ボックスなのが腹が立った。向かいの人と足がぶつかるじゃないか!荷物置き場もほとんどないし。途中までボックスに独りで、昨日買った「ぶりのすし」を食べた。大学友人Sが好きだからと言ってたが、私は「ますのすし」の方が好きだと思った。勝沼で乗ってきた4人組の女の子たちが同じボックスに収まらないため、席を変わってくれと言われた。JR東日本はしょぼい車両作るし、指定券の発行がおかしいし、なんだか最後に残念な気分になった。
 今回の旅行はあまりにもイベントが盛りだくさんで自分でも驚いた。四国のトロッコ列車から始まり、めかり線、大学友人Sとの南九州と天草、郡上八幡の徹夜おどり、黒部アルペンルート木曽森林鉄道。どれも目的と性格が異なり、頭の中がごちゃごちゃしている。けれど、やりたいことをちゃんと潰せてとても充実していたと思う。今回の旅では今後に繋がる色々なアイディアも湧いた。懸念だった体重の増加も1kgに抑えられた。大成功の旅だった。