びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/07/24(土)「郡上八幡」

 起床は4時半。TVのニュースでは昨日の開会式を伝えていた。聖火の最終ランナーは拍子抜けだったけど、まさかQueenの「Teo Torriatte」が流れるとは。この曲を初めて聞いたのは高2の時。初めは変な曲名だなと思った。Sydneyduckに教えてもらうまで日本語とは気づかなかった。しかし、そのうちどんな日本の曲よりも優れていると思うようになった。この曲想や世界観は日本人には描くことはできないと思った。しかし、この曲はアルバム曲であり、その実験的内容から、表だって流れることはなかった。ごく一部のマニアだけでしか知られていなかった。この曲は確かに今の新型コロナウイルスでソーシャルディスタンスを取らなければいけない世の中にピッタリなのかもしれない。ただ、これ明らかに目的外使用だよな。さすがに奇をてらいすぎなような?
 それにしてもバルセロナオリンピックでもFreddie Mercuryの「Barcelona」が使われていた。Queenにはドラマチックでスケールの大きな曲が多く、オリンピックと相性がいいのかもしれない。ふと「We Will Rock You」だったらシャレにならんかったなと思ったw。
 チェックアウトは5時。JR岐阜駅0526発高山行き。2両のディーゼルが入線。ブルブルと車体を震わせると、排ガスの臭いがした。高山本線は非電化の単線だった。鵜沼で名鉄とのランデブーを見届けた後に、近づいてきた木曽川を眺めるまでがデフォルト。坂祝駅という難読駅を過ぎれば、美濃太田駅。ここで下車。
 美濃太田からは長良川鉄道。今回で4回目になる。1両のワインレッドにカラーリングされたディーゼルが停まっていた。乗客は10人程度で、ほぼ同業者と思われた。進行方向左側で前よりのロングシートに陣取った。ここが特等席だ。0626出発。
 長良川鉄道は旧国鉄越美南線だった。福井県国鉄越美北線と結ばれる予定だったが、鉄道の需要の低下により、ついに結ばれることはなかった。それどころか第三セクターに転換した。長良川鉄道はその名前の通り、ほぼ全線が長良川鉄道に寄り添っている。これほど的確にその体を表す名前はないだろう。
 刃物で有名な関駅を過ぎ、うだつで有名な美濃市を過ぎたら、長良川鉄道の本領発揮である。山間には長良川河岸段丘を形成し、そこには田んぼが広がっていた。険しい山はどこも燃えるような緑で、田んぼもまた鮮やかな緑であった。山の隙間から見える空には夏の入道雲が湧き、長良川の水面は白い波を立てていた。日差しが強く、すべてが輝いて見えた。生命力に満ちた夏のイメージそのものだった。
 その一方で、線路は痩せていて、電車はガタガタと揺れた。まるで遊園地の乗り物のようだった。バラストの間には草が生えて、まるで苔むしたようになっていた。いずれも厳しい経営状況を反映しているように思えた。
 いい席を確保したが、かぶりつきの座席は別の同業者に取られていた。こうなるとポイントポイントでの写真撮影が困難になってしまった。
 郡上八幡を過ぎても、まだ乗ってる人は同業者確定だったw。美濃白鳥駅に停車している時、駅員さんが運転士さんにタブレットを渡していた。あれ?確か廃止になったのではなかったっけ?
 終点北濃駅には0838に到着した。2時間乗ってどん詰まりとは。何時来ても最果ての寂しさがあった。北濃駅は、鉄オタたちの大撮影大会となった。何回も来ている私だが、負けじと撮りまくった。すべての物が撮影の対象だった。
 0854北濃駅から鉄オタ電車が発車。今度はかぶりつきの座席を確保。テツという人種は行きに価値を見い出すが、帰りは軽視しているように思う。そこをうまく狙った。席では飽きたらずかぶりつきに立った。特等席だった。すべてを一人占めしてる感じだった。美濃白鳥駅に着いた時、前のドアにもたれてたら、運転士さんにドアを開けられた。間一髪で避けたが、驚いた。運転士さんが怒ってるのかもしれないと思い、かぶりつきからは撤退した。
 0936郡上八幡駅下車。この旅の目的は郡上八幡でおどるつもりだった。骨髄移植から3年経とうとしてるし、思いっきり羽を延ばしてもいいかなと思った。今日は有名な徹夜おどりではないが、徹夜おどりじゃない日でもおどりは開催される。そっちの方が断然人が少なかった。急遽行くことに決めたから宿はめっさ高かった。でも、それだけの価値はあると思った。
 さて、駅では小さな市場が開かれていた。活気があった。昔駅舎に併設された鉄道コーナーはなくなってて、おしゃれな喫茶コーナーになっていた。
 コミュニティバスの時刻表がなく、なくなったかと思ったら、そこにコミュニティバスがやって来た。結構乗っていた。0945スタート。10時郡上八幡城下町プラザ下車。
 まず郡上八幡城に行こうとしたが、荷物を預けたかった。今日泊まる旅館が目の前だったのでダメ元で預けられるか聞いてみた。若いおかみさんが出て来て、預かってくれることになった。ついでに聞いてみた。「今日の踊り何時からですか?」「今年中止になったんですが」。エエエエエエエーーーーーーーーーΣ(Д゚;/)/。爆死した。こんな酷いことは記憶になかった(パスポート事件を除く)。別のとこに行ってから戻ってくることも考えたが、あまりにも悔しすぎた。せっかく来たのだからスケジュールはそのまま続行することにした。この町は雰囲気がよくているだけで楽しいんだからと自分に言い聞かせた。
 爆死したのにはバリバリ予兆があった。大阪の箱物がことごとく休館してたアレ。また大阪文化館がもぬけの殻だったり。調べ方が甘いんだよな。今回、ネットで見たのはおどり日程のpdfファイルだった。わざわざ見返して日付大丈夫だなと確認してたのに。なぜお前はHPを確認しない!もし、大阪の箱物の時に対策が打ててたらこんなことにはならなかったはずだ。ミスを繰り返す奴はバカだ。猛省せよ!
 郡上八幡城への道のりは強烈な山道であることは織り込み済みだった。それでもなお強烈な坂道が襲いかかってきた。ひたすら続くつづれおりは、ショックを引きずっている私に止めを刺そうとしてるのかのようだった。時折、狭い道を車が上がっていった。中の人は楽そうで腹が立った。つづれおりには近道があったが、これがまた強烈な階段だった。そういや函館山もこんなんだったなと思った。
 城の前には、誰もが絶対水を買いそうなタイミングのいい売店があった。店のおばちゃんに「おどりに来て」と話すと「申し訳ありませんでした」と言われた。その時、私なんかよりここに住んでる人の方がつらいんだと思った。私は自分の不徳を恥じた。私がやらなければいけないことは、コロナで困っているこの町を応援することだ。
 郡上八幡城の外観は、白くてきれいだった。前に来た時にはかわいそうなくらい蛾が発生していて、壁には繭がつきまくっていた。改善してよかったと思った。
 城の中はもうまったく記憶になかった。記憶にないので二度おいしいと思った。城は歩くとギシギシと音が鳴った。郡上八幡城は日本で最初の再建木造天守である。郡上八幡の町の特徴を考えれば、木造なのは当然の選択だったのかもしれない。天守から見る景色は素晴らしかった。近年、郡上八幡城の評価が上がってきて、日本の城ランキングで18位らしい。これが本当ならかなりすごいことだ。ようやく時代が追い付いてきたかな。
 11時半、そばの平甚。特段美味しいとは思わないのだが、いつもここで食べる。10人くらいが行列していた。飛騨牛丼と自然薯蕎麦のランチにした。飛騨牛丼を大盛にしたのは失敗だった。吉野家を見てわかる通り、牛丼には牛丼にふさわしい肉があり、それは飛騨牛のどこの部位かわからないようなものではないと思った。蕎麦は美味しいけど、そばつゆがあんまりなんだよなあ。自然薯もようわからん。とろろでいいような?
 12時半、郡上八幡博覧館。ここでは郡上おどりの実演があった。ここでなんとか補償したかったが、実演は中止だったorz。そりゃそうだよな。ここは郡上八幡の町の歴史も説明していて博物館的要素もあった。もう何回も見ているが、毎回新鮮である。千葉にいた時に千葉氏は郡上大和で東氏になったと説明していたが、今回しっかり東氏の説明が出ていた。いろいろ繋がってるよな。
 おどりの実演はなかったが、おどりのビデオはあった。郡上おどりには10のおどりがあった。そのうち代表的なのは「かわさき」で、有名なのは「春駒」である。私が好きなのは「猫の子」、これは流れる頻度が少なかった。私は周りに誰もいないのを確かめてここぞとばかり「猫の子」をおどり始めた。やはりビデオだとわかりづらくスッキリしなかったが、少し心が晴れた。「春駒」「かわさき」も同様。
 郡上八幡まちなみ交流館。まちなみ交流館は重要伝統的建造物群保存地区には必ずある。でも、以前はなかったような気がする。やたら施設も新しかった、大正8年に吉田川より北の地区は全焼したと書かれていた。町全体が昔の雰囲気を残していると思ってたが、北側は違っていたとは。博覧館でもちゃんと説明しとけばよかったのに。
 サンプル工房。食品サンプルの店。滅多に旅行でグッズは買わないのだが、これだけは面白いので何度も購入している。年の流れは残酷で、500円だった物が660円になっていた。私が最初の衝撃を受けた薄皮のついたみかんもレベルが下がったような?今回、外の皮をむきかけの薄皮みかんがあった。1500円もしたが、他に欲しいものもないので買った。
 強烈に暑かったので、かき氷が食べたかった。どの店も行列。しばらく彷徨った。このパターン、以前もあったような?郡上八幡に来るときはいつも灼熱地獄だ。
 やなか水の小道を抜けて、あまり人の来なさそうな裏通りに行くと、店があった。一休茶屋。かき氷のブルーハワイを注文。すると店のおばちゃんに話しかけられた。そのうち宿の話になった。いつもは洞泉寺ユースホステルに泊まっていたが、この度廃業になっていた。それで物凄く立地のいい旅館しか空いてなかったが、四条河原町並みの値段に驚いた。「それだったら安いとこあるわよ」と、おばさんはお客の若い男性に「どこ泊まってた?」と聞き出した。男性は「善光寺会館で、4000円くらいですよ」と答えた。それから最近、ウィークリーマンションができて2000円から泊まれるらしかった。今回は急だったので、どっちみち無理だった。次回は是非。
 いがわこみちを抜けて、もう一度さっきの一休茶屋に戻り、辺りをうろついた。この辺りこそが重要伝統的建造物群保存地区であった。前は感銘を受けたが、今回はそうでもなかった。いろんな建造物群をみまくった影響かもしれない。
 宗祇水。郡上八幡の代表的スポット。小駄良川のたもとにある水場で。昔、飯尾宗祇がこのそばに草庵を結んだことに因んでいる。相変わらず川でたくさんの子供が遊んでいた。ここの景色は好きだ。
 17時、旅館にチェックイン。旅館が悪いわけではないが、残念な気持ちだった。
 19時、外に出た。薄暗くなった道の上に大きな提灯が光っていた。本当ならその下で踊っていたはずなんだが。
 店を物色し1920泉坂。前に来たような?鶏ちゃん焼き定食。やはり鶏ちゃんを食べないとな。めっさ旨かった。鶏肉を味噌とキャベツ、玉ねぎ、人参などで炒めたものだが、なぜかご飯がススムくん。昼間の蕎麦より余程おいしかった。
 旅館への帰り道、郡上八幡城、はるか山の上でライトアップされていた。まさしく町のシンボルだった。
 郡上八幡はだいぶ人が多くなっていた。コロナ下で郡上おどりもやっていないのに不思議なことだった。今までその良さが認知されていなかったのが、昨今のSNSによる口コミ、旅行ブーム、古きよき日本への憧れ等で、人気が出て来ているのかもしれない。これにさらに郡上おどりという最強の体験型コンテンツが加われば、末恐ろしい。ローカル線に人が押し寄せると風情がなくなるように、郡上八幡も急速に観光地化しているように思う。私が抱いてた隠れ家的な良さはもはやなくなりつつあるのかもしれない。
 今回、壮大に自爆してしまった。このままでは終れない。いつかまたおどりに来いということなんだろう。その日を楽しみにしておこう。