びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/07/17(月)祝「新潟」

 3連休3日目。道の駅阿賀の里。暑さを心配していたが、特に問題はなかった。車の通過音がひっきりなしにした。やはり国道の横はダメかもしれない。夜中に一台の車がやってきた。ずっと話し声が聞こえた。迷惑極まりなかった。310にトイレに起きたら、軽自動車に2人が寝ていた。こいつらか。眠りは浅かった。昨日あまり眠れてなかったのに。仮眠でも寝なければ、帰りがたいへんだろう。それに今朝は寝る以外にやることがなかった。起床は5時半。朝食を食べるかどうか迷った。この2日、食べ過ぎだし、この後、すぐにまた食べるからだ。でも、やっぱり食べたw。昨日のブログを修正して、車の虫を取った。虫取りはルーチンになった。
 7時、出発。安田ICから磐越道で終点の新潟中央ICまで。新潟駅近くの万代バスセンターを目指した。昨年、新潟市民のソールフードと言われるカレーを食べようとしたが、無念の売り切れだった。今回は1年越しのリベンジだった。バスセンター横の駐車場は20分200円、1日最大1000円。カレーのための必要経費だった。
 750、万代バスセンターの立ち食いそば屋。1年ぶりの景色。どこにでもありそうな普通の立ち食いそば屋。開店前だから照明は落とされていて暗かった。その中でカウンターの上の電光看板だけが光っていて、看板には「安い、早い、うまい、立ち喰いコーナー そば、うどん、カレー」と書かれていた。開店10分前だったが、既に30人近くが並んでいた。
 8時の開店になって、行列が進み始めた。進みは遅く感じられた。券売機の前に来ると、券売機には「おみやげのカレーは1人5箱まで」と書かれていた。余裕で大人買いした。値段は3000円を越えていた。1箱600円越えは、結構高いと思った。ここで食べる方のカレーは540円だった。かなり安く感じた。
 店内は「企業秘密のため撮影禁止」となっていた。何か作り方に秘密があるのだろうか?中にはおじさんが3人くらいいて、みんな黄色いTシャツを来ていた。Tシャツには「万代バスセンターのカレー、本当はそば屋なんだけど」と書かれていた。
 カレーは事前情報にある通り、ボリューム満天だった。普通の1.5人前あるらしかった。色は淡くて黄土色。真っ赤な福神漬けがドバッと載っていた。正直、あまり美味しそうではなかった。一口食べた。あっさりしていてチープな印象。思ったほどでもないなと思ったら、後味でそばのだし。これか!そういえば、そば屋の作るカレーはうまいと聞いたことがあるような?そっからはどんどんいけた。朝食で既にお腹が満たされていることを忘れていた。太ってもいいと思った。あっさりしてるから量が多くても飽きなかった。かなり期待してるところの期待を越えてくるなんてどんだけ凄いんだ?これは素晴らしかった。コスパ最強!全国の立ち食いそば屋でもやるべき!
 駐車場料金は1時間で600円だった。カレーよりも高かったが、すっかり満足していた。また来よう。
 845、出発。長岡に向かった。多分、新潟西ICから関越道で長岡IC。
 9時半、新潟県立歴史博物館。ネットでここの縄文土器の展示が楽しめると書かれていた。
 まずは夏季企画展「上杉景勝その生涯展」。上杉景勝はどうしても上杉謙信の影に隠れていてミステリアスな存在だった。これはありがたかった。
 上杉景勝上杉謙信の養子で跡取りだった。上杉謙信の死後、同じ立場の上杉景虎家督を争って勝利した。織田信長とは対立していたが、信長の死後は豊臣方に付いて、五大老の一人となった。東北の大名の配置替えで会津に移封され、徳川家康とは対立。関ヶ原で西軍についたため、米沢に減封された。
 展示は書状ばっかりだった。書状見ても何とも(汗)。展示物の説明は、まるで小説を読んでるかのようなのような繋がりがあった。ストーリーがしっかりしていたので、とてもわかりやすかった。別に期待してなかったのだが、国宝が3点あった。
 1040、常設展。「新潟県のあゆみ」「雪とくらし」「米づくり」「縄文人の世界」「縄文文化を探る」。内容は広く浅くで、十日町市博物館の方が詳しかった。ただ冬の雪の高さを再現してるのは驚かされたし、新潟は湿地が多くて湖ばかりだったのは知らなかった。今の日本にある平野のほとんどはもともと釧路湿原のような低湿地体を埋め立ててるのかもしれないなあ。
 ミュージアムショップで古本を打っていた。安かったので思わず11冊も買ってしまった。既にたくさんあるのにいつ読むのか?
 1335、馬高縄文館。ここには馬高遺跡があり、火焔土器が発掘された。ここで火焔土器が見つかったことで、後に火焔型土器や王冠型土器が次々と見つかることになった。施設には火焔型土器や王冠型土器がたくさん展示されていた。十日町市博物館も素晴らしかったが、ここはそれ以上に素晴らしかった。企画展「縄文土器入門」は、その名前の通りで実物を展示しながら説明してるので、食い入るように見てしまった。写真も撮りまくった。
 1450、出発。帰りながら観光できないか調べるとちょうどいいところがあった。長岡ICから関越道で小千谷ICまで。
 1515、慈眼寺。ここは新政府軍が長岡に迫る中、戦いを避けるため長岡藩と新政府軍が交渉をした場所だった。この話し合いは小千谷談判と呼ばれていた。長岡藩河合継之助が新政府軍の土佐藩岩村精一郎に戦いを止めるように申し入れるも、聞き入れられず30分もかからず棄却された。この後、長岡藩と新政府軍は戦いとなり、河合継之助は足を撃たれて、その傷が元で逃亡途中の会津塩沢で亡くなった。もし、交渉相手が岩村でなければ、と言われているが、どこまで本当の話しかは定かではない。
 私はこの場所が現存して、しかも中に入れることも知らなかった。お寺の横にある玄関のチャイムを押すと、感じのよさそうなおばさんが出てきた。続いて部屋に案内された。部屋は畳敷きの和室で真ん中には艶のある木製の座卓があった。どこにでもありそうな普通の部屋だった。正直、この部屋にそんなに古さを感じなかった。ここで会談があったという実感はほとんどわかなかった。おばさんがテープのスイッチを入れた。2人の会談のやり取りを演じるシーンから、住職による詳細の説明となった。とてもよくできた説明だった。部屋は暑かった。会談は6月だったから、ちょうどこれくらいの気候だったかもしれない。元より暑さなど気にするような場面ではなかっただろうが。座卓の上にはノートが置かれていた。中を見ると、意外とたくさんの人が訪れていた。県外の人も多かった。こんなところまで来る人がいるんだな?私も記帳した。廊下には関係資料が飾られていた。どうやって集めたのだろうか?本棚にはたくさんの河合継之助の本があった。こんなにあるのかと驚いた。
 16時、出発。慈眼寺とセットでもう一ヶ所行きたい場所があった。すぐに給油。
 朝日山古戦場は小千谷談判の後で始まった戦いの舞台となった場所だった。ここでは長岡藩に桑名藩立見鑑三郎の桑名雷神隊が合流して、新政府軍の騎兵隊参謀の時山直八を撃ち取っていた。
 朝日山の頂上への道は軽自動車が一台やっと通れるような強烈な上り坂だった。轍がなければ、行くのを躊躇してただろう。あまりにも上りがきついのでローギアで進んだ。途中で分岐があり、矢印と「時山直八の墓」と書かれた看板があった。一旦スルーして山頂を目指した。
 1625、朝日山山頂。山頂には展望台があり、展望台には資料が飾られていた。展望台からは小千谷の町や信濃川が見渡せた。山頂には他に、「朝日山古戦場」と書かれた石碑、東軍兵士の墓がいくつか、フランス式の塹壕観音堂があった。
 下山して、時山直八の墓に向かった。いきなり砂利道となった。すぐに舗装に戻ったが、再び砂利道となった。すると、前の崖が崩れていた。石をどけて、前進すると、いよいよ轍が古くなった。ここに車を停めて、歩いた。
 17時、時山直八の墓。小さな石の杭だった。説明がないと時山直八のものだとわからなかった。時山直八がどのような人物かは知らないが、身分を越えて編成された騎兵隊で幹部に抜擢されるということは優秀だったのだろう。
 車をバックさせようとしたら、路肩に思いっきり乗り上げた。脱出するために前進しようとすると、タイヤは空回りした。マ・ジ・カ!強烈に動揺した。千葉に帰らなければいけないこの時間、こんな山奥で自走できないとは!
 前に進めないなら後ろに行くしかなかった。路肩の方は崖の壁になっていたが、道の反対側は崖になっていた。ハンドルを切りながらバックすると、もっと路肩に乗り上げた。そして、ズドンと勢いよく落ちた。思いっきりブレーキを踏んだ。なんとか道の上で踏みとどまった。
 まだUターンできる場所までバックする必要があった。今度はちゃんとバックした。Uターンしようとしたら、また空転した。強烈な坂に砂利道。泣きそうだった。なんとか脱出したが、疲れ果てていた。
 1720、小千谷駅前のローソン。興奮は収まらなかった。車は大丈夫そうだったが、タイヤの普段汚れることのない側面が泥だらけになっていた。部屋までは4時間を示していた。こんなんで帰れるのだろうか?
 越後川口ICから関越道。関越トンネルまでは長い上りだった。そして、関越トンネルの中で工事のため車線規制。こんな日に工事するのか?まさかのトンネル内での渋滞。こんな長いトンネルは一刻も早く脱出したいのに。
 ナビはまた北関東道を示していた。8分早いらしかった。北関東道から東北道。2005、佐野SAで休憩。よく考えたら、北関東道に回ったことにより、距離が大幅に伸びて、負け確定ではないか?あのまま関越道を進んだ方が渋滞は緩和する方向だったよな。外環道から東関道。部屋に着いたのは22時だった。
 今回の旅は、新潟の第二弾となった。今回は縄文土器に注目した。どれも当たりだった。また昨年の補完も果たせた。バスセンターのカレーもリベンジしたし、確実に疑問を解消した。それから、この季節はまだ車中泊可能であることを確かめることができた。実りの多い旅だった。