びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/07/16(日)「十日町」

 3連休2日目。道の駅中山盆地。1時半に目が覚めた。暑くてたいへんかもと心配してたが、むしろ寒かったので寝袋に入った。起きた原因は、車がやってきて、ラジオの音と人の話し声がしたからだった。こんな夜中に何してんねん。しばらくするとその車は去っていった。
 朝方、斜め後ろにエンジンをかけた車が停まった。ラジオをかけていた。地元の車だろうか?それにしても時間が早すぎた。外は明るくて、これ以上寝れそうになかった。起床は445。トイレに行こうとしたら、その車から白いTシャツ1枚で、肩に赤いタオルを掛けた白髪の痩せたマヌケそうな顔をしたじいさんが出てきた。じいさんはそのままトイレで洗顔していた。いかにも車中泊慣れしてる風情なのに、この爽やか過ぎる朝にどこにエンジンをかける必要性があるんだ?殺意がわいた。
 この調子だと次の北海道はたいへんな旅になりそうだと思った。私の車中泊に求める静かな環境は、どんどんレベルが高くなってるらしい。そういう意味では道の駅ではもはやダメなのかも?でも、北海道で人気のないところには熊がいるからなあ。
 朝食後、ブログを修正した。そのうちに急激に暑くなってきた。最後にフロントガラスに付いた虫を掃除した。高速を走る以上、虫は仕方がないが、昨日は特にコロニーに突っ込んだらしく、見たこともないくらいたくさんの小さな虫が車の前面の上から下まで付着していた。まるで虫たちの立体配置を平面に映し取ったみたいになっていた。綱吉の時代だったら私は完全に死罪だっただろう。
 640、出発。昨日と違って、入道雲がわいて日射しの強い夏の天気だった。十日町に行こうとしたら、いきなり気になる道路標識があった。時間があったので、寄り道することにした。
 650、名胡桃城址。ここは上杉、真田、北条が奪い合った城だった。この辺りにはとにかく城が多くて、いつか回ろうと思っていた。特に名胡桃は名前が印象的だったので覚えていた。
 朝早いからか駐車場には一台も車は停まってなかった。般若郭(くるわ)、三郭、二郭、本郭、ささ郭。各郭は細長くて、郭の間は谷になっており、橋で繋がれていた。これほど城の堀や土塁、馬出しなどが残っていて、縄張りがよくわかる城は今までなかった。
 720、出発。さらに近くの沼田城に寄り道することにした。
 7時半、沼田城。沼田公園という公園になっていた。まず唐突に熊の檻が出て来て驚いた。檻はいいとしても熊かよ?熊だぞ?さすがに危なくないか?月の輪熊らしかったけど、檻の中には姿は見えなかった。奥で寝てたのかな?
 聞いたことない甲高い何かの鳴き声が聞こえたかと思うと、檻は他にもあって、中にはショボくれたくじゃくがいた。なぜここに?高村光太郎の「人間よ、もう止せ、こんなことは」を思い出した。
 公園は広くて、たくさんの植え込みがあった。城跡には見えなかった。公園の奥の方には真新しい木造の鐘楼が見えた。そっちに行くと、堀と石垣があった。石垣の先には本丸のような平場があった。平場は崩落防止のため行けないようになっていた。
 説明板によれば、沼田城は戦国時代に沼田氏が築城したが、後に真田氏の城となったらしい。江戸時代に金箔瓦が与えられるほどの格式だったが、真田氏が1681年に改易されて廃城になった。立派な城だったのならどうして廃城にしたのだろう?
 805、出発。十日町に向かった。まずはすぐに給油。沼田ICから関越道。関越道で新潟は2回目だった。高速はどんどん高度を上げていき、どんどん山奥に突っ込んで行った。そして、目の前に壁のような谷川岳がたちはだかった。そこに関越トンネルが掘られていた。
 関越トンネルは全長11km、1985年に下り線、1992年に上り線が開通した。中にはタイルが張られていて古さを感じさせた。いつまで走っても出口が見えなくて、車でも長いと思うくらいだった。
 関越トンネルを抜けると、緑が鮮やかになったような気がした。川端康成でなくても毎回特別感を感じるだろう。越後湯沢には山間に不釣り合いな大きなリゾートホテルがたくさん建っていた。夏場はどうするのだろう?
 六日町ICで下車。すぐに上沼道。野田ICから八箇ICは無料区間。上沼って何かと思ったら上越魚沼だった。決して上沼恵(ry
 920、十日町市博物館。ここには国宝の火焔型土器があった。一番有名な縄文土器だった。
 博物館は市立の割にはとても新しくて気合いが入っていた。3つの展示室「縄文時代と火焔型土器のクニ」「織物の歴史」「雪と信濃川」があった。
 早速国宝を見に行った。ワクワク感しかなかった。入口の説明は、縄文時代の区分から土器の変遷を説明していて、たいへん素晴らしいものだった。そこに火焔型土器がたくさん並べられていた。凄い・・・。
 火焔型土器は口縁が炎にが燃えているような飾りがついていて、縄文時代中期に信濃川流域に分布していた。縄文土器の最も装飾が進んだ形態であり、これ以降の土器は飾り気がなくなっていった。
 私が展示室で最初に見た火焔型土器はまだ国宝ではなかった。国宝は隣の部屋にあった。国宝指定の正式名称は「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」、50点近くが国宝指定されていた。その中でも一番有名なものが部屋の中心のガラスケースに入っていた。圧倒的な存在感だった。これほどのものが無傷で発掘されたことが信じられなかった。縄文土器というより、芸術的であった。
 岡本太郎国立博物館で火焔型土器を見た時に「なんだこれは!」と驚いたそうである。これ以降、それまで工芸品の扱いだった縄文土器は、美術品としての価値を見出だされた。
 他にも縄文土器全般の説明があった。ちょうど今、縄文土器の分類についての本を読んでおり、たいへん興味深かった。仏像と同じように、縄文土器についても、詳しくなりたいと思っている。
 残り2つの展示室も素晴らしかった。十日町信濃川に面していて、暖流である千島海流からの蒸気が山にぶつかることで年中湿度が高い。そのため、世界屈指の豪雪地帯である。この気候を利用して、織物業が発達した。
 1115、出発。昼食を探すと、へぎそばが有名らしかった。十日町には小嶋屋というへぎそば屋がたくさんあった。
 1125、小島屋総本店。満車で全然車が停められなかったorz。
 1140、小島屋本店。なんとか車は停められたが、たくさんの人が並んでいた。ブログを打ちながら待った。1205、席に案内された。天ざる大盛を注文。へぎそばを食べるのは3回目。繋ぎとして布海苔を使っているため、喉ごしがツルツルしていた。味も心持ち海苔っぽいというか?
 1250、越後妻有里山現代美術館キナーレ。なんか最近現代美術館がマイブームとなっている。ここには広い中庭が浅いプールになっていて、プールの周りをぐるっと建物が囲んでいた。
 チケットは常設が1200円で、常設と「大地の芸術祭」のフリーチケットのセットが2500円だった。「大地の芸術祭」では、十日町のあちこちに作品が点在してるらしかった。こないだの奥能登国際芸術祭と同じだろう。こういう催しはあちこちにあるのだろうか?さすがにそこまで追いかけるつもりはなかったので、常設だけにした。
 常設は正直外したかな?最初に見たプールが一番よかった。その次は粘度の高い真っ黒な液体が天井から何本も落ちているやつ。こないだの二十一世紀美術館でもそうだったけど、当たり外れがあるなあ。もっと作品を感じるように仕向けなきゃいけないのかな?それとももう目新しさがなくなってきたかな?
 1335、道の駅クロステン。美術館の隣にあった。職場用のお土産を買った。
 1355、出発。今日行きたいところには行ってしまい、行き場所に迷った。ちょっと遠いけど、明日の予定を前倒しにすることにした。越後川口ICから関越道で新潟方面に向かった。どこで降りたかは忘れた。
 1505、新潟交通月潟駅跡。昨年の新潟旅行の際に見落としていた。ここには駅舎と車両が保存されていた。
 古めかしい木造の駅舎と、ホームには車両が3両も。架線も残っていた。車両のところでは保存会の人たちが作業していた。保存会の人たちのおかげで維持できてるのだが、どこか近寄りがたい空気も作り出していた。別に彼らが観光客に愛想を振りまく義務もないんだけど。どこか場違いな感じがしてさっさと写真を撮って撤収した。
 1540、出発。今度は蒲原鉄道の資料館がある村松を目指した。蒲原鉄道は鉄道が来なかった村松の人が作った鉄道だった。
 ナビで資料館を目指していたはずが、目的地には何にもなかった。ナビをよく見ると、西村松駅跡だった。グーグルのコメントには「何もない」と書かれていた。
 改めて資料館を目指したが、閉館時間を過ぎていたorz。仕方ないので、村松駅跡を目指した。散々迷った。同じところを何度もグルグル回った。おかしいなと思ったら、またナビの目的地が違っていたorz。
 1640、村松駅跡。ここはバスターミナルになっていて、蒲原鉄道の本社が併設されていた。とても古めかしい建物だった。入口の庇には「村松駅」と書かれていて、壁には社章が掲げられていた。駅の裏は広い敷地になっていた。昔の写真を見ると、ホームがあったようだった。路盤の先を見ると、バスの古い車庫があった。この一角だけ時が止まったかのような場所だった。
 1705、村松さくらんど温泉。30分くらい車の中で明日行くところを探した。入場は17時半。たくさん人がいて活気があった。500円。ここも貴重品のコインロッカーは100円だった。
 施設は普通。露天風呂の敷地がやたら広かった。露天風呂周りに、老人が6人椅子に座っていて、誰も風呂に入ってなかった。露天風呂に入ると、老人はやたらマニアックな大リーグネタを話し始めた。私も野球好きだけど、老人の知識の深さに驚いた。大谷翔平は日本にどれだけ明るい話題を提供しているか!風呂上がりはロビーのソファーでブログを打った。
 1950、出発。道の駅に向かった。真っ暗な田んぼの中の道を進んだ。プチプチと何かがぶつかる音がした。おそらく全部虫だと思われた。阿賀野川を古めかしい重厚な鉄橋で渡り、川沿いに進んだ。コンビニで明日の朝食を買った。コンビニの外の壁はおぞましいくらい虫だらけだった。
 阿賀野川の川面には対岸のホテルが映り込んでいた。98年の夏、やすをと東北旅行するために秋田に向かった。その際、夜中にこの川沿いを進んだことを思い出した。あの時、どこかの街道を通り抜けた記憶があるが、今となってはどこかわからない。
 2005、道の駅阿賀の里。真っ暗だった。車は2台しかいなかった。国道に面してるからどうかと思ったが、案外いいかもしれない。