びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/07/02(日)「湖北」

 道の駅湖北水鳥ステーション。起床は520。ぐっすり眠れた。朝食は昨日SAで買った焼き鯖寿司。昨日のブログを修正後、9時までやることがなかった。そんなこともあるわな。750、出発。
 湖北には、独特の観音信仰があり、あちこちに観音様の仏像があった。いつか車で回ろうと思っていたのだが、今回思いがけず福井まで来たから、もう少し足を伸ばすことにした。お堂を開けてもらうためには事前連絡が必要だったが、なんとかなるだろ?旅のラストにふさわしいと思った。
 835、己高閣(ここうかく)の駐車場。歩いて鶏足寺跡(けいそくじ)に行った。鶏足寺には行ったことがなかった。鶏足寺は己高山(こだかみやま)にあった大寺院で、もみじの名所になっているようだった。観音ガールの本によれば歩いて行った方がいいらしかった。畑の畔のようなとこを抜けた。景色は緑の里山でハイキングをしてるような気持ちだった。やがて参道の階段が出てきた。参道は青もみじに覆われており少し暗くなっていた。世界は緑色に包まれており、とても素晴らしい雰囲気だった。参道の両側にはかつてお堂が並んで建っていたようで、平場のの区画が並んでいた。そこには石柱が埋められており、かつてあった建物の名前が刻まれていた。
 850、鶏足寺(旧飯福寺(はんぷくじ))。再建された本堂が建っていた。本堂はないものだと思っていたから、少し意外だった。後で知るのだが、ここは本来の鶏足寺の場所ではなく、塔頭寺院である飯福寺があった場所だった。鶏足寺は己高山のもっと高いところにあった。不便だったので廃れたようだった。
 905、石道寺(しゃくどうじ)。鶏足寺からはすぐだったので寄ってみた。ここは2005/8/28に大学友人Sと訪れていた。今日は急遽訪れたために、開いてない恐れもあったが、お堂の外観を見たら何かを思い出すかもしれないと思った。山道の階段を降りてると、人の話し声が聞こえてきた。いけるかも?急いで向かった。
 受付にはおばさんがいた。どうやら今は土日は常時開いてるようだった。おばさんは笑顔が素敵な気さくな方でいろいろ話した。「紫陽花もきれいですよ」と言われた。お堂の前では紫陽花が青く咲いていた。マスクをもらった。油断した。
 中にもおばさんがいた。小さな寺なのに2人で管理してることに驚いた。まずはテープでの解説を聞いた。ここには十一面観音菩薩立像があった。背高さは180cmくらい。脇侍も同じくらい大きかったからか、思ったより小さく見えた。前に見た時には、渡岸寺の後だったので、見劣りしたように記憶してるのだが、今回はとても美しく見えた。平安後期であるものの、彩色がよく残っていた。井上靖「星と祭」によれば、少女のようと例えられていたが、唇の赤い彩色がかわいらしく見せてるのかもしれない。
 10時、己高閣・世代閣(よしろかく)。ここには収蔵庫が2つあった。己高閣には鶏足寺の仏像、世代閣には戸岩寺の仏像が収蔵されていた。ここも2005年に訪れていた。受付をすると、法被を着た地元の人が案内してくれた。
 まずは世代閣から。戸岩寺のことは知らなかったのだが、行基が建てたとのこと。もっともどこ行っても行基の建立したという寺はあるので、後付けの可能性も高いが。ここの敷地が戸岩寺の中だった。
 建物の中にはたくさんの仏像が収蔵されていた。一番の注目は、ご本尊の薬師如来立像で、黒光りしてて、少しぽっちゃりしてて、どことなくこれまで見たことのない独特の雰囲気を纏っていた。湖北に奈良時代の仏像があったことに驚いた。「そのうち国宝になりますよ」と私は言った。
 次に己高閣。こちらには十一面観音菩薩立像があった。まず目についたのは、彫りが浅くて天衣が平面的だったこと。いかにも平安という感じがした。
 兜跋毘沙門天立像があった。東寺にあった渡来仏を思い出した。みうらじゅんによれば、湖北の仏像は渡来人が作ったのではないかとの説を唱えていたが、この仏像があるのは、それを裏付けているようにも思えた。
 七仏薬師如来立像。七体の薬師如来をそう呼ぶことを初めて知った。見た目は千本釈迦堂にある定慶の六観音に似ていた。それぞれのお顔は違っていて、ガイドさんによると、それぞれの年代も違うとのことだった。また裏側が簡素であり、「テンプラです」と言われた。11時、出発。
 1105、つるやパン。木之本の北国街道沿いにあった。見た目は昔ながらのパン屋さん。刻みたくあんにマヨネーズを和えたサラダパンを売っていた。昨年も食べておいしかった。店はライダーや観光客で賑わっていた。
 11時半、赤後寺(しゃくごじ)。初めて。事前連絡せずに行った。運がよければ開いてるだろうと。見た目は凄く立派な寺だった。人が何人も立ってて、私が車から降りるのを見ていた。なんか不味いところに停めたかな?すると、おじさんが「名古屋の方ですか?」と聞いてきた。「違いますが、拝観したいです」と言うと、鍵を開けてくれた。「もしかしたら、開いてるかもしれないと思って」と言うと、「よくそういう人いらっしゃいますよ。連絡してくれればいいのに」と言われた。意外とアリなのかもしれない?
 中には、千手観音菩薩立像と聖観音菩薩立像があった。写真では大したことないかもと思っていたが、実物はとても立派だった。どちらの仏像も手首がなかった。戦国時代の戦乱から逃れるために土に埋めた際になくなったそうだ。湖北の仏像には何かしら戦国時代のエピソードがある。
 2005年には黒田観音堂に訪れていた。寺の前まで来たが、開いてなかった。連絡してないから当然だった。連絡先は観光協会になっていたが、誰も出なかった。
 仕方がないので、次の場所に電話した。「えっ、今日ですか?」「無理にとは言いませんので、ダメだったらいいです」「どこから来られました?」「千葉です」「せっかく来られたので」ということで開けてもらえることになった。
 1245、西野薬師堂・正妙寺。初めて。湖北の観音様の中でも西野薬師堂は有名だった。十一面観音菩薩立像と薬師如来立像があった。十一面観音菩薩立像は美しかった。肌は黒く、天衣は木の色だった。
 「2日前までには連絡をもらわないと。今日はたまたまいてたからよかったけど。10月の第3日曜日に来れば、観音祭をやってるから、どこも開いてるよ」と言われた。これはいいことを聞いた。
 正妙寺には千手千足観音菩薩立像があった。手だけではなく足も千本あった。この仏像の存在は「見仏記」で知っていた。でも、ここにあるとは思ってなかった。これは嬉しいサプライズだった。当初は平安に作られたと考えられていたが、最近は江戸時代と訂正されてるそうだった。それにしてもインパクトが凄かった。あちこちから出展して欲しいとのオファーがあるそう。
 1355、高月観音の里歴史民俗資料館。1年ぶり3回目。地域の資料館にこんなに行くのも他になかったり、
 1445、渡岸寺。2022/5/29以来1年ぶり3回目。受付のおじさんといろいろ話した。国宝十一面観音菩薩立像。いつ見てもここの美しさに勝てる仏像はない。圧倒的な存在感。十一面観音菩薩立像の頂点に立っている。
 頭上面が他よりも大きくて際立っている。また耳の横にも面がある。後頭部の暴悪大笑面もかっこいい。天衣には他とは違い、とても柔らかさを感じる。イヤリングも独特。腰のひねり、右足は少し前へ。右手は細く長く垂れ下がっている。左手には水瓶。横から見ると、少し前傾姿勢であった。よく立ってるなあ。1540、出発。
 帰る前に長浜で鯖そうめんを食べることにした。1615、成駒家。焼きさばそうめん定食。お客さんは誰もいなかった。そうめんに焼きさばがついていた。そうめんと鯖は同じ皿に盛り付けられていたが、そうめんには鯖の味はついてなかった。なんか違うような?1640、出発。
 長浜ICから北陸道。19時、浜松SAでトイレ、CD交換、給油。そこからは休みなしで運転。最後はふらふらだった。23時、帰宅。
 今回の旅行ではいつも通りいろいろ楽しむことができた。知らないところを選んで正解だった。もし、礼文島に行ってたら、道中は知ってるところばかりで、ここまで楽しくなかったのかもしれない。また今回は能登半島をゆっくり回った。この先の長期休みでも狭い地域をゆっくり回るのがいいのかもしれない。とりあえず、疲れたのでしばらくはゆっくりしたい。