びーの独り言

どこいくの?どっか。

2010/09/24(金)年休「旅行2」

 起床5時半、乗りテツの朝は早い。金沢―内灘―金沢―東金沢西金沢―鶴来・・・加賀一ノ宮・・・鶴来―野町・・・金沢―和倉温泉―穴水―七尾―高岡―雨晴―高岡。
 金沢駅の地下に北陸鉄道浅野川線の駅はあった。地下になっているのは長野電鉄に続いて2例目だそうだ。前面が蛙っぽい古めのステンレス車両が停まっていた。その奥の闇には地上の光らしき明かりが射していた。地下部分はそんなに長くないらしい。フリーきっぷは1000円。福井と同様お得な感じがした。0622の始発を待つ客は3人だけだった。道中は住宅地になっていた。わずか17分7kmで終点内灘に到着。そこで見たのは駅から溢れている高校生だった。今日は平日か。それにしても駅に入りきれない光景は初めて見た。折り返しの電車2両は満員になった。北鉄金沢駅では改札が間に合わず人が溜まっていた。
 JRにも高校生がたくさんいた。西金沢に行こうとして間違って東金沢に行ってしまった。田舎でのミスは悲惨なのでひやっとしたが、すぐに逆方向の電車に乗れた。その代わり高校生で満員だった。
 西金沢に隣接するのが北陸鉄道石川線新西金沢だった。目に飛び込んできたのは年期の入った狭い島式ホーム、味がありすぎる。そこにやはりステンレス製の車両が入ってきた。ここにも少し高校生が乗っていた。石川線は何の特徴もない路線だった。上田電鉄のような感じだった。私自身がこのようなパターンに飽きているのかもしれない。終点は鶴来だった。バスの接続が良さそうなのでさらに先に行くことにした。
 ここより先は昨年の10月31日に廃止されたばかりであった。最も新しい廃止区間である。バスの乗客は私以外に一人いるだけだった。鶴来という町は知らなかったが、街道筋なのか古い木造の町並みが続いていた。10分で加賀一の宮駅に到着。山の裾野の何にもない駅だった。こんなところに電車が走っていたなんて思えなかった。さらに昔は先に伸びていたなんて全く信じがたかった。ここには大きな神社がある。昔は神社前という駅名だった。鉄道黎明期には今よりも信心深かったのか神社まで路線が伸びることがよくあった。駅舎も神社に似せた瓦葺きだった。ただ入り口は容赦なく板で塞がれていた。駅だと指摘されなければ、よくある田舎の廃屋にしか見えないだろう。まだ線路が残っていた。普通はすぐに撤去されて上質の鉄として売られてしまう。既に錆びまくっていた。研磨する車輪がなければ、すぐに錆びてしまうのか。路盤には草が生えつつあった。廃止から1年も経たないが廃れるのはあっという間だ。廃なものはせつない。夢破れて山河ありである。
 復路の電車にはいしちゃんというキャラがフューチャーされていた。同時に若い女性のアテンダントもついた。新西金沢を過ぎて終点野町まで行った。ここは金沢の市街地の端であった。本当は新西金沢駅からではなく野町駅から乗りたかったが、金沢駅からはやたらと遠かった。なぜそんなとこに終点があるのか。よくあるパターンではそこが本当の中心みたいな展開だが、野町ではそこからバスに乗ってあちこちに散っていくのが正解だった。私も金沢駅までバスに乗ってみた。やはり金沢駅は遠かった。
 11時の特急で和倉温泉に向かった。七尾線は数少なくない未乗区間だった。七尾線は畑の中を通っており、遠くには山が見えた。いわゆるありふれた景色だった。
 和倉温泉の先はのと鉄道だった。ここも昔は七尾線だったが、第三セクターに移行された。のと鉄道には和倉温泉から穴水を経由して輪島に行く七尾線と穴水から能登半島の先っぽの蛸島に行く能登線があったのだが、今は和倉温泉から穴水までの路線しか残っていない。この路線にもアテンダントがいた。ただしここは年配でしかも運転手と料金でもめていた。あまり期待してなかったが、車窓に広がる日本海と山を切り開いて進むシチュエーションに萌えた。山の高台を進むので遠くまで景色が見渡せた。松浦鉄道を思い出さずにはいられなかった。この風景が延々と蛸島まで続いていたかと思うと廃止になったことが残念で仕方がない。終点穴水ではバスで輪島に行こうかと迷ったが、帰れなくなりそうで止めておいた。能登半島はいろんな人からいいところだと聞いていたが、まさにそのとおりだった。今度来るときは車で一周したい。
 宿泊地の高岡に到着したのは16時半過ぎだった。日没まで時間があるので氷見線に乗ることにした。氷見線は海の景色がきれいで乗るのは2回目だった。ホームで待っていると高校生だらけでイヤな予感がした。そこにハットリくん電車が入線してきた。氷見は藤子不二雄Aの出身地だ。イヤな予感通り窓際の席は確保できなかった。おまけになぜか座ったところだけ窓ガラスに黒い横線がたくさん入っていて、すだれ越しにみるような景色になっていた。そのうち高校生もいなくなるだろうと思ったが、絶景ポイントでもいい席を確保することができなかった。仕方ないので途中の雨晴駅で降りた。電車から見える海岸は雨晴海岸と呼ばれている。海岸には誰もいなかった。強烈な風と激しい波のコンビネーション、くすんだ青い色は厳しい日本海の色だった。駅で降りたのもまた思い出として残るのだろう。
 高岡ではホテル「セブンセブン」に泊まった。飲みは「度々平」にした。スナックみたいな飲み屋だった。家庭的でフレンドリーだったが、話が噛み合わなかった。よかったのか悪かったのかインパクトのある店だった。