起床は7時。とてもよく眠れた。体調も問題なく、コロナではないようで一安心。部屋の外にあるトイレに行って隣にある洗面所で髭を剃ろうとしたら、廊下の向かいの部屋からバタバタと布団から出たような音がして、ドアがバンッと強く開くと髭面の汚いおっさんが出てきた。「静かにせえよ、ぼろ宿なんだから!」、おっさんは洗面所に置いてたタバコとライターをわしづかみにして、タバコを吸いだした。昨晩にタバコとライターが置いてあることには気づいていたが、こいつだったのか?チラッと見た部屋の中はえらい散らかっていた。もしかして、こいつ住んでるのか?ぼろ宿だったら我慢しろよ、それかそのタバコ代をもっといい宿に使えばいいのに。めんどくさいので一言も発することなく、部屋に戻ってドアを閉めた。確かにこの宿は4000円で激安だったが、もしかするとこいつのせいかもしれない。
すぐにでも出て行きたかったが、1500円の朝食を頼んでいた。7時半に下に降りると、おじいさんに「朝食はコロナなので部屋で食べてもらいます。昨日言いませんでしたか?」と言われた。いや、聞いてないけど?昨日も「朝食なしですね」とか間違ってたし、なんかこの人抜けてるなあ。
朝食は和食でやたら一品一品にボリュームがあった。朝からこんなに食えないし。半分でいいから安くして欲しかった。焼鮭に卵焼き、サラダ、柿。卵焼きは3個くらい使ってそう。しかも、殻が入ってるし。柿は仄かに甘くおいしかった。食べきれないので結構残した。
810にチェックアウト。誰もいない受付の菓子箱に鍵を放り込んだ。何も聞いてないが、これでいいんだよな?安宿には質の悪い客がいるリスクがある。思い出すとムカつくから最悪の宿だった。
近鉄の下市口駅から吉野に向かった。今日は吉野を回るつもりだった。春に吉野の桜を見たけど、その時は時間がなくてあまりお寺には行けなかった。また「持統天皇」を読んでから、持統天皇が頻繁に吉野行幸してたので、吉野に行けば何かわかるのではないかと期待した。
吉野駅に降りたのは私を入れて3人だけだった。いくらオフシーズンの平日とは言え、不人気過ぎだろ?トイレで準備を済まし、400円のコインロッカーに山登りに不要な荷物を押し込んだ。
9時、ロープウェイに乗って少しでも足を温存しようと思ったら、切符売場は閉まっていた。建物の中からおっちゃんが顔を出して「次は20分だから歩いた方が早い」と言った。心の中で歩きたくないんだがと思ったが、話の流れ上、山を登らざるえなかった。
山道には見覚えがあった。春は人で混雑してたのに、今日はどこにも人はいなかった。寂しい山登りとなった。前よりも足取りは重かった。太ったからかもしれない。息がきれて暑かった。マフラーも耳当てもダウンも脱いで、上着の前のボタンを開けて、シャツ一枚となった。
940、金峯山寺蔵王堂。お坊さんが砂利を箒で掃いている以外人はいなかった。拝観は800円。蔵王堂の柱はすべて自然木を利用しているため、いびつな形をしていた。内陣の周りをぐるっと一周。小ぶりな仏像や仏画が置かれていた。説明を読んでると、板張りの床で足が冷えてたまらなかった。ご本尊である三体の蔵王権現の前には幕があり中は見えなかった。オフシーズンにわざわざ足を運んだのにこれは酷い仕打ち(違)。
道中の土産物屋や飲食店はほとんど閉まっていた。歩いてる人もいなかった。たまに車が上がって行くだけだった。そんな中でも郵便局が開いてたので、記念に冬休み用のお金を下ろした。
1020、吉水神社。春は凄かったのに今日は人気がまったくなかった。あんなに桜がきれいだった一目千本はただの冬枯れの山になっていた。受付には「ご用の方はブザーを鳴らして下さい」と若い女性のかわいらしい字で書かれていた。ブザーを押すと、若い女性がやって来た。ちょっと申し訳ない気持ちになった。
ここは後醍醐天皇が南朝の皇居にした場所だった。その他にも源義経と静御前の別れがあったり、豊臣秀吉が花見をしたり、歴史上の人物にたくさんゆかりがあるのは珍しかった。ただやっぱりここも床が寒く(ry。
勝手神社跡。更地。平成に入ってから火事に遭ったとのこと。燃える前の写真が飾られていて、なかなか立派な本殿だった。歴史上寺が燃えることはよくあるが、神社は珍しいような気がした。そもそも神社には遷宮もあるし。
11時、大日寺。初めて。ここは天武天皇のゆかりの日雄寺(ひのうじ)の跡に建っていて、吉野で一番古いお寺とのこと。その割には小さかった。人気はまったくなくて、かろうじて隣の建物の明かりがついていた。「ご用の方はお声がけ下さい」となっていたので「すいませーん」と言うと、返事とともにしかめ面のおじいさんが出てきた。「拝観したいのですが」と言うと、本堂を開けてくれた。
ここには五智如来があった。五智如来とは大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来。五智如来を見たのは東寺くらいか?大日如来以外は私には区別がつかないw。ここも床が冷たかった。それにおじいさんが待ってるのが申し訳なかった。たまにこういうシチュエーションに遭遇するのだが、私に構わず引っ込んで欲しいと思う。それか解説して欲しい。
道は急坂となり、極端に歩みは遅くなった。休みながらゆっくりと登っていると、前方の家の前におじさんがいた。「坂きついでしょ?」と声をかけられた。そこからしばらく話しこんだ。吉野のいろんな話が聞けて楽しかった。地元の人の話が一番旅の思い出となる。
喜蔵院と善福寺は誰もいなかったのでスルーした。
1210、櫻本坊(さくらもとぼう)。名前の響きがよくて春から気になっていた。ここは天武天皇が作った寺だった。吉野が桜の名所となったきっかけの寺でもあった。それにここには廃仏毀釈の際に仏像が集められたらしい。とても期待していた。
足下は冷たく、仏像はあまり面白くはなかった。それに肝心なところは非公開だったorz。壁に貼ってある雑誌や新聞の切り抜き記事に目が止まった。ここの息子さんは白血病で亡くなられていた。息子さんの意志を継いだお姉さんが医療の寺を目指しているらしい。私は不思議な縁を感じずにはいられなかった。これは何かのお導きだったのかもしれない。
1245、竹林院。昭和天皇が宿泊したことがある由緒ある寺。坂本の竹林院と関係があるのだろうか?人気はまったくなかった。庭園をやっているようだったが、誰も受付にはいなかった。仏像ではないのでスルーした。
如意輪寺へ向かった。如意輪寺は少しメインストリートから離れていた。この道には桜がたくさん植えられていた。春は遠くの山がピンクに染まっているのを見るだけだったが、もしかすると、ここはピンクに染まってるところの真っ只中だったのかもしれない。
13時半、如意輪寺。何かの工事をしてて、金づちの音が響いていた。本尊を見に来たのに非公開だったorz。ここには宝物殿があった。受付には誰もおらず、ブザーを鳴らすとおばさんが出てきた。
お堂があり、その中にお厨子に入った青色の蔵王権現があった。運慶の弟子が作ったとのこと。これはなかなかの名品。吉野の最後にこれが見れたのはよかった。宝物殿には楠正行(まさつら)が辞世の句を掘った看板が展示されていた。ホントかな?
誰も通らない裏道を通って近鉄吉野駅に戻った。1438発で出発。吉野宮があったとされる宮滝に行きたかったが、バスの時間が合わないのと、施設が閉まっていたので諦めた。そこは吉野川がエメラルドグリーンになっているらしくて、球磨川を思い出した。橿原神宮前駅、大和西大寺駅で乗り換えて、近鉄奈良駅へ。柿の葉寿司と天スタで迷って柿の葉寿司にした。
16時半、いつもの東横イン。旅行支援のプランで、免許証とワクチン接種の証明書を提示した。宿泊代が半額の2800円で、クーポン券が2000円分ついてきた。東横インのポイントもついたので、実質200円くらいで泊まれた。今朝の旅館にキャンセル料払ってでもこっちにしとけばよかった。なんなら荷物だって置いとけたし。
今日は完全に失敗だった。安宿で酷い目に遭うし、吉野は目新しさがない上に、どこ行っても人がいなくて、お寺もまったくやる気がなかった。企画が悪かった。