びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/07/09(土)「鎌倉」

 滋賀にいる時から鎌倉に行きたかった。ただこの一週間は忙しくて、準備ができなかった。今朝、やっぱり早く行っておくべきだと思った。宿が予約できたので、強行することにした。
 鎌倉に興味を持ったのは、鎌倉にも仏像があることだった。鎌倉は観光地として人気が高く、私も二回行ったことがあるが、大仏以外は何がいいのかわからなかった。仏像の本を見ていると、どうやら鎌倉には京都と同じように禅宗の寺があることがわかってきた。よく考えれば、鎌倉幕府の中心だから当たり前か。今まで私の中で注目していなかった鎌倉に俄然興味がわいた。奈良、京都、鎌倉は必然の流れかもしれない。いざ鎌倉へ。
 920、出発。東京駅でシウマイ弁当ますのすしをゲット!横須賀線東京1054発快速。グリーン席は800円。旅はグリーン席っしょ!やってきた電車は激混みだった。グリーン席も混んでるかと思いきや、二階建て車両の下は余裕。ナイス判断!早い昼食でシウマイ弁当を食べた。移動中に昼食を済まして観光の時間を確保する。生きてまたシウマイ弁当を食べられるとは!塩昆布が昆布の佃煮に変わっていた。あと紅生姜あったっけ?
 鎌倉に着いたのは12時前だった。駅前は物凄い人だった。特に若い女性が多かった。なぜこんなに人がいるかわからなかった。駅前から続く小町通りを歩くと、両サイドにおしゃれな店がぎっしり。人通りが多いので、一本隣の筋に逃げた。すると見覚えのある道が。鶴岡八幡宮の参道だった。先には大きな鳥居があった。
 1220、鎌倉国宝館。鎌倉で一番気になっていた。Youtubeで見て、仏像がたくさんありそうな感じだった。当たり前だが、仏像の製作年は鎌倉時代以降ばかり。鎌倉時代の写実的な仏像は好きだけど、鎌倉時代しかないと造形的に単調で面白くなかった。国宝は頼朝の刀と弓、螺鈿の硯箱。意外とよかった。
 1310、鶴岡八幡宮。宝物殿にも行ってみた。神社には期待してないが、意外と国宝の複製が置いてあったり。
 歩いて北鎌倉方面へ。暑くて荷物が重いのに山越えとなった。運動運動。
 14時、円応寺。まったく知らない寺だったが、国宝館にここの十王像があったのと、たまたま横を通ったので寄ってみた。ここは小さな寺ながら、十王が揃っていた。十王をフルセットで見たのは初めてだった。説明書きも細かくて思わず見入ってしまった。十王は閻魔を筆頭として十人の王がいて、死者が三途の川を渡った後に7日毎に王から罪を報告されて、35日目に閻魔に六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどの世界に行かされるか決まる。人が亡くなった時の、初七日、四十九日、一周忌などは十王の信仰による。
 14時半、建長寺。鎌倉と言えば、まず最初に挙げられるほどの有名な寺だそうだが、私は知らなかった。禅宗の最初の寺らしい。臨済宗であり、建物の配置は京都の禅宗の寺と同じだった。最初の三門が予想よりも大きくて驚いた。
 梵鐘は国宝。梵鐘は国宝率が高いような気がする。きっと梵鐘の価値は、刻まれている文章の内容だろう。でも、それが読めるわけでもなく、見た目はただの大きな鐘だった。
 仏殿の中には丈六くらいの地蔵菩薩坐像。驚いたのは、天井画や壁画の色彩がよく残っていて、仏像と渾然一体となって極楽の世界を表現していた。
 庭園は方丈の裏手。多くの人が椅子に座って庭を眺めていた。庭はゴルフ場のような起伏のある芝生の中に池があり、芝生からは所々岩が飛び出ていて、松が植えてあった。配置には意味がなさそうな?
 1515、明月院。知らないところ。途中にあって、名前が良さそうだった。若い女性ばっかり。紫陽花が多くていかにも狙ってる感が。でも、紫陽花はもう萎みかけていた。外から方丈の中に向かって写真を撮ってる若い女性たちがいて、よく見てみると部屋の奥に丸窓があった。あざといw。庭園は閉まっていた。イマイチ。
 1545、円覚寺。鎌倉では建長寺の次に有名らしかった。ここも臨済宗の寺で建物の並びは建長寺と同じ。ただ、仏殿がコンクリートでは、雰囲気が出なかった。奥に国宝の舎利殿。門より中に入れずorz。最も奥に塔頭寺院の黄梅院。屋外のお堂に地蔵菩薩立像。方丈の庭はたいしたことなかった。最後に鐘楼。梵鐘が国宝。ここもただの大きな鐘。有名どころでこのレベル?
 16時半に北鎌倉駅から大船駅乗り換えで茅ヶ崎駅茅ヶ崎駅で降りるのは初めて。駅前は繁栄していた。昔、宇和島で出会った人が茅ヶ崎に住んでいると言っていた。連絡先を聞いとけばよかったなあ。17時、東横インにチェックイン。無料券を使った。コンビニに買い出しのついでに、イトーヨーカ堂で短パンを2枚買った。こういう変わった行動がその町の思い出となる。
 今日は鎌倉で有名と言われるところを回った。奈良や京都とはまた違った世界だった。禅宗は鎌倉が発祥で、その後に京都に移った。それだけに、鎌倉の庭園には、京都の茶文化に通じる抽象化はなく、初期段階という感じがした。また京都の禅寺では仏像の存在感がほとんどなくなっているのに対して、鎌倉では大きな仏像が安置されており、仏像への信仰が強く残っていることが伺えた。今日の段階での鎌倉文化への印象は、庭園も仏像もイマイチである。それなのに人だけはやたら多い。明日は期待したい。