今日は東京国立博物館で国宝展を見る予定だった。国宝展は東京国立博物館150周年を記念して、東博で保有している国宝89点を全部公開する企画だった。チケットを入手した時からずっと楽しみにしていた。
起床は7時半。出発は9時。天気は悪かった。京葉線に乗ったら雨が降ってきた。東京駅でしうまい弁当とますのすしを買った。上野駅で降りると、雨は止んでいた。
上野公園は秋っぽかった。特にいちょうが黄色くて美しかった。遠くに行かなくてもここにも秋があると思った。雨が降った後だからベンチは空いていた。人気のないところのベンチに、ちょっと濡れてたのを無視して、座った。しうまい弁当を食べた。まるで遠足に来てるみたいだった。ちょっとしたことで気分は変わるんだなあ。
1145、東京国立博物館へ入場。国宝展は平成館でやっていた。チケットは16時半からだったが、とりあえず行ってみた。人数制限のためかあんまり混んでなさそうだった。張り紙で「観覧は90分まで」とアナウンスされていた。もしかすると、ちゃんと観覧時間を守っているのかもしれない。
12時、表慶館「150年後の国宝展」。国宝展に関連して他にもいろいろ企画展示されていた。ゴジラ、ガンダム、たまごっち、醤油・・・気になる内容であったが、展示内容の選定が偏ってるように思えて、しかも説明が企業にさせてるのか統一感がなく、しかもあっさりしていた。私には「プロジェクトX」で紹介されていたものの方がしっくりくるような気がした。
13時、本館「未来の博物館」。最初は「時空をこえる8K」と称して、法隆寺夢殿の秘仏であり国宝の救世観音立像が取り上げられていた。8Kの画像でいろいろな角度から映したり、部分を拡大した画像で解説していた。確かに説明パネルよりは面白いと思った。
次に国宝洛中洛外図屏風(舟木本)を解説していた。この屏風は京都の町並みを描いており、絵巻物のように右から左に行くに連れて時間が流れて、豊臣時代から徳川時代への移り変わる際の、人々の様子を伝えていた。登場人物は圧巻の2500人!とにかく細かい!絵巻物はよく見るが、とにかく解説がないとさっぱりわからない。特にこの絵巻物は、情報量が膨大すぎて8Kでなければ、とても解説できなかっただろう。全部を説明するのに1日かかりそうだけど、ずっと聞いていたかった。それくらい面白く素晴らしかった。
次は「四季をめぐる高精細複製屏風」と称して、屏風をライトアップして、プロジェクトマッピングで、描かれてる図柄を動かしたりしていた。あまり惹かれなかった。そういのはわざわざライトアップするもんじゃないし、投影方式では8Kの画質にはとても敵わないな。
帰ってから調べてみると、ポイントはそこではなくてキヤノンの複製技術のようだった。図柄情報が同じなら、複製品でも国宝と変わらない?まったく同じなら国宝そのもので見分けはつかない。でも、まったく同じは難しい。チューリングテストみたい。
11室に仏像があるのが見えたので入ってみた。前も思ったけど、ほんのちょっとだけだなあ。
14時、東洋館の入り口でやっていた「夢をかなえる8K」。手にライトを持って、投影されている仏像の丸がついてる部分を照らしたら、解説が出ると言うもの。薬師寺でこのシステムと同じものを見たような気が?
以前から東洋館のことが気になっていて、上記の順番待ちを利用して少しだけ回ってみた。うーん。あまりインパクトがなかった。Mihoミュージアムで見たのと変わらないかも?まあそのうちちゃんと回ってみたい。
14時半、法隆寺宝物館。国宝級のお宝ばっかり。常設してる国宝はどうするのかと思っていたが、国宝展に借り出されていた。
喉が乾いた。自販機も見当たらなかった。外の出店で、1515、クレープとコーヒーを買った。バナナ入り600円。買った後で入り口横に自販機があるのを見つけたり。ベンチに座ってクレープを食べた。あんまりクレープは食べないけど、食べたらいつも美味しいと思う。コーヒーがベトナムかどこか変わったもので、すごくおいしくてビックリした。
1540に本館に戻った。14室「未来の国宝」。1点だけ青磁器があった。なんだこれ?
16時、アイヌと琉球。今さらというか東博は展示物少なくて説明も薄い。
平成館に移動。16時、考古展示室。前回途中までしか見れなかったところ。ここは本館と違ってたくさん展示されてたし、説明も多かった。ただ国宝展まで30分しかなかった。
遮光器土偶とハート型土偶があった。また江田船山古墳から発掘された国宝に指定された物たちや、同じく東大寺山古墳から発掘されて国宝に指定された物を見た。他にも経塚関連でも国宝が。
16時半、国宝展。600円で音声ガイドを頼んだ。中に入ると展示のガラスの前に人がたくさん群がっていた。絵画は洛中洛外図屏風が大人気だった。近くでゆっくり見たかったけど、無理だったのでとりあえず飛ばした。地獄草子も印象的だった。人が地獄で拷問を受けてる絵は珍しかった。
書跡は、字がうまいものが多かった。藤原行成や小野東風。天台宗の円珍の直筆は下手くそだった。内容が重要なものにはは延喜式があった。いずれにせよ文字を見るだけで中身がわからないので面白くなかった。
法隆寺や考古は常設でいつでも見れるようなものと、普段は公開してないものであった。銅鐸の胴に狩人が描かれているものは教科書に載っていたような気がする。埴輪挂甲の武人は「はに丸」のモデル。興福寺の鎮壇具は興福寺でも見た。
最後の刀剣19本は、人がやたら多かったけど、私にはさっぱりだった。関で得た情報では、刀鍛治にはほとんど記録が残っていない。しかし、刀だけが美術品として独り歩きするようになった。私には全部が同じようにしか見えなかった。多少波紋が違っても、それがなんだという感じだった。「刀剣乱舞」というゲームのせいで、やたらと女性がいるようだった。ゲームはやらないからなあ。
1840、休憩。1850、二周目。だいぶ人はいなくなっていた。再び洛中洛外図屏風。とても細かかった。私が惹かれたのは、今の京都との比較だった。方広寺には今はない大仏殿、よく見ると寺町通と四条通のとこに大きなお寺、こないだの請願寺だと思われた。二条城には今はない天守閣があった!国宝とか関係なしに面白かった。
1940に撤収した。国宝展は事前のリストから、89点のすべてではなく62点であったこと、それから書跡と刀剣ばかりということを知っていた。それでも何かあるだろうと期待したけど、実際のところはその価値が思ってた以上によくわからなかった。知ってるのがほとんどなかった。所詮は闇雲に追っかけてただけで、重要性の理解には遠く及ばなかった。皆が有り難がってるから有り難がってるだけだった。国宝の価値を知るには国宝辞典やwikipediaなどで予習をしっかりするべきだったのかもしれない。どうせ見るなら楽しみ方も変えていかなければ。