びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/01/29(土)「奈良」

 家にいるのは、仕事のことを考えてしまい精神衛生上よくない。どこかに行かなければならないらしい。先々週の明日香に触発されて、似たような仏像ばかりで辟易してた奈良市内にもう一度チャレンジしたくなった。
 820出発。京滋バイパスで巨椋下車。国道24号線を南下。城陽入口から京奈和道で終点木津まで。合計で1030円。一度降りた方が500円も安い。940、近鉄奈良の狭い路地にあるコインパーキング。こないだ使ったところ。800円。
 奈良国立博物館の方に歩くと、600円のコインパーキングを発見。こんな狭い路地に入ってくる奴はいないよな。明日使ってみよう。
 奈良公園には鹿がいっぱいいた。一瞬癒されただけで、あとは往来の邪魔。道にはたくさんの糞。
 10時前に奈良国立博物館。2回目。また特別展はやってなかった。なら仏像館に入るも、なら仏像館には行かずにそのまま本館に抜ける地下道へ。ここには仏像の作り方や種類などの解説が書かれていた。前回、なら仏像館に行った後でここに気づいた。なら仏像館は絶対先にこっちに案内すべき。解説が面白くて写真を撮りまくった。もうこの解説だけで満足してしまった。
 11時、なら仏像館。仏像一つ一つについている解説文が難しくて、音声ガイドを頼んでみた。200円。今までいろんなとこに行ったけど、音声ガイドを頼んだのは初めて。音声ガイドの方が詳しくて分かりやすいんだが?説明文の方が難しいっておかしくないか?
 お客さんはいなかった。少し離れて係の人が両手でボードを持ってこっちを向いて立っていた。きっとボードにはコロナ下でのエチケットが書かれているに違いない。私が次の部屋に移動したらその人も移動した。
 前もそうだが、ひたすら平安と鎌倉の仏像の特徴が説明されていて、その違いを追っかけていた。天衣が平面的なのが平安で、流れるようなのが鎌倉だそうだが、やっぱりわかりにくかった。
 ここにはあんまり凄い仏像はなかった。国宝は一つだけ。前に見た時の記憶は誕生仏以外になかった。何度も楽しめるというか、本当に別の展示物だったかもしれない。
 特別に公開されてるものに金峯寺の金剛力士像があった。大きくて筋骨隆々で力強くて素晴らしかった。
 途中で青銅器館への分岐があった。以前は入り忘れていた。中国の青銅器を集めた人の寄贈だった。青銅器は、夏、商(殷)、周時代に多く作られた。ひたすら青銅器の容器が並んでいた。説明は極めて無機質で、容器には細かく名前がついていたけど、頭に入って来なかった。中国関連には興味がわきにくいし、もっと興味がわくように説明して欲しかった。
 13時半、博物館のレストラン「葉風泰夢」。なんかこの名前、見覚えがあるような?お客さんはたった一人だった。トマトのパスタを頼んだ。
 ミュージアムショップで本を2冊買った。先週の京都国立博物館でも本を買おうとしたが、我慢して見送ったという経緯があった。やっぱり解説書が欲しいなと。問題は、今は本を読む習慣がないこと。
 博物館から出て、奈良公園を歩いていると、移動販売車が停まっていた。「葉風泰夢」というロゴが入っていた。なんだろう?
 1445、東大寺。南大門は知ってるはずなのに、それでもでかかった。でかすぎ。
 大仏殿、これまたでかすぎ。でかすぎて違和感。明治にはバランスが悪くて屋根が下にたわんできて、棒で支えたらしい。
 大仏、なんで毎回来ちゃうんだろ?大仏の力か?聖武天皇華厳宗の教えにジーンと来た。「宇宙のすべては複雑に繋がっており、すべては一つの中にあり、一つはすべての中にある。あらゆるものは心が転じたものの観察。思いやりをもって接しなさい」。
 1510、東大寺ミュージアム。惜しげもなく国宝が展示されていた。大仏の須弥壇の下からは宝物が見つかった。その一部は東大寺正倉院の宝物を記載した「国家珍宝帳」から除物(のけもの)とされていた。正倉院から須弥壇の下に移されたことがわかり、時を越えてこういうことがわかるのが面白い。
 1時間で見終わった。すると「葉風泰夢」という喫茶コーナーがあった。しかも、このでは前に何か食べたはず。きっとそういうチェーンなんだろな。
 1615、奥村記念館。奥村組の企業博物館。東大寺に行く途中の観光客相手の店に混じってあった。私は企業博物館が大好きである。奥村組はこの地が創業の地らしい。奥村組と言えば、プロジェクトXで取り上げられた、阪神大震災のJR六甲道駅付近の高架を復興したことが思い出された。展示では奥村組の今までの仕事が説明されていた。ゼネコンの歴史は日本の高度成長の歴史でもあった。まさに地図に残る仕事だった。
 1710、東横イン近鉄奈良駅前にチェックイン。もはや定宿だな。明日の準備をして、部屋でブログを打った。
 18時、天理スタミナラーメン。彩華ラーメンと比べた前回ほどうまいとは思わなかったが、それでもニンニクが効いてておいしかった。
 ホテルの部屋で明日の予習をしてたら、二月堂は夜にライトアップされていることがわかった。私は大学院の時に富永に誘われて軽い気持ちで二月堂のライトアップを見に行こうとしたことがあった。その時は、車から降りることはなく、二月堂には行かなかった。今日はチャンスではないか?
 風呂上がりにも関わらず、そのまま服を来て、10時前に出発。するとマフラーがないことに気づいた。天理スタミナラーメンのカウンターに座る時、膝の上にマフラーを置いた。フロントにマフラーの落とし物を聞いたがなかった。天理スタミナラーメンに行くと、やっぱり忘れていた。危ないなあ。
 夜の奈良公園の道は誰も歩いていなかった。鹿もどこかに消えていた。あれだけ大きかった南大門は、夜の帳の中に同化して、注意深く見なければわからないあり様だった。写真を撮っても何も写らなかった。門の真下は不気味極まりなく、金剛力士像も暗くて見えなかったし、見ようとも思わなかった。
 二月堂には行ったことがなかった。大仏殿を左折。二月堂への道も誰もいなかった。灯篭が点々と道を照らしていた。ただただ不気味で心細かった。まるで肝だめしのようだった。ここで事件に巻き込まれても自己責任だと思った。財布のお札を抜いておけばよかったと思った。石段を上がると、鐘楼が現れて、巨大な梵鐘がぶら下がっていた。こんなものがあったのか?これも国宝なのかもしれない。
 鐘楼の裏の方に回ると、また石段があり、上ってみると、山の中腹に点々と灯りが見えた。二月堂だった。きれいだけど、特段どうってこともなかった。すると前方に上からライトで照らす光が見えた。二月堂の方を見ると、誰かが巡回してた。二月堂の廊下がギシギシ音を立てた。まるでいけないことをしているかのような気分になった。
 それでも意を決して石段を上がると、二月堂の前に出た。ここにも誰もいなかった。二月堂の正面は板戸で締め切られていた。その前に大きな提灯が等間隔に並び、煌々と光っているだけだった。これで終わり?
 石段の方を振り返って驚いた。夜景が凄かった。これを見るためにここまで上がってきたのか!手前右手には二月堂の灯篭やら提灯が光り、正面から左手奥には奈良の夜景。遠くには山のシルエット、頂上だけが光っていた。まるで現世とあの世を繋いでいるかのような幻想的な景色だった。私はあまりに非現実的な景色に一人立ち尽くした。深々と冷える冬の寒さの中で、ただ水の流れる音だけが聞こえた。後ろの方と前の方の二ヶ所で水の音が聞こえた。視覚だけではなく、五感のすべてが不思議な調和を見せた。このような感覚を味わえることに特別な意味があるように思えた。今までにいろいろなことがあって、ようやくここにたどり着いたのではないか?これ以上の景色を見ることは今後はもうないように思えた。まるで人生が終わりを迎えたような気がした。
 カップルが石段を上がってきたので帰ることにした。腕時計を見ると20分経っていた。帰りは大学友人Sとメールしながら帰った。誰にもすれ違わず鹿にも遭わなかった。
 今日は奈良国立博物館が当たりだった。仏像の勉強ができて、今までとは仏像の見方が変わった。だんだんレベルが上がってきたかな?若い頃は仏像にまったく興味がわかなかった。人生半分以上過ぎて、ようやく仏像がわかるようになったのかもしれない。
 それと、夜の二月堂。大学院の時の伏線を回収するともに、この世のものとは思えない美しい景色に心を奪われた。まさか今日こんなことになるなんてまったく思いもよらなかった。人生ってのは、ほんと不思議な巡り合わせだなあ。