びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/10/23(日)「吾妻」

 520起床。とにかく寒かった。防寒対策としてダウンジャケットを用意したのはナイス判断だった。しかしながら、寝袋がパワー不足。また寝袋に入らなかった首から上にいたってはノーガード。途中から、頭の上にカバーオールを被せた。それでも常にどこからか冷気を感じた。思えば子供の頃の冬はこんな感じだった。いつの間にか軟弱になってしまった。暖かい布団で眠れることがいかにありがたいことか体感することになった。
 起きてからすぐ去りがたい寝袋から出て、トイレに行った。トイレには暖房が効いていて暖かかった。トイレから出ると再び寒さが待っていた。辺りは霧に包まれていた。そして、たくさん車が停まっていた。夏の暑さに比べれば、寒さは対策できたはず。単純に私の準備不足なんだろうな。寝床を片付けようとすると、車はびしょびしょに濡れていた。片付けてると、寒さは和らいだ。身体を動かしてたので体感温度は上がったようだ。
 それでも一刻も早く暖を取るためにエンジンをかけた。設定は28℃に上げた。周りの車に迷惑がかかるとかは関係なかった。気温を調べると、7℃のようだった。7℃でこんなに寒いのか?簡単に朝食を済ますと、段々と車も暖まってきた。昨日のブログを修正した。そして、どこへ行くか考えた。当初の予定通り軽井沢から草軽電鉄の廃線跡を巡ることにした。
 草軽電鉄は軽井沢と草津の間を結んでいた。最初に知った時にはビックリした。あんな山の中に鉄道が走ってたのかと。高原を走る電車であり、歌謡曲「高原列車は行く」のモデルにもなった。線形は道路のようにぐねぐね。所要時間は無茶苦茶遅かった。バスが台頭してからは廃止されてしまったが、もし今も残っていたら観光鉄道として人気を博しただろう。
 715、出発。中部横断道の無料区間を佐久南ICから佐久北ICまで。昨日ナビが示したルートとは違っていた。こっちの方が正解だと思えた。正面には山々が見えた。そのうちの一つから白い煙がチョロチョロと流れていた。浅間山だと思われた。
 8時、軽井沢駅軽井沢駅の駅前にはかつて草軽電鉄の新軽井沢駅があった。駅前の大通りの一本隣の小道が昔の廃線跡だった。駅のあった場所には洋風の建物があり資料館となっていた。しかし、時間が早すぎて開館してないと思われた。と言うのも車を停めるところがなかったからだ。建物の前にはデキという機関車が置いてあった。これは見た目にとてもインパクトがあった。パンタグラフの形が菱形で持ち上げるのではなく、小学校にある鉄棒みたいになっていた。車を無理矢理路駐して写真を撮った。
 新軽井沢駅から次の旧軽井沢駅の路盤を探してると、間違ってしまって別荘地に迷い混んだ。別荘は真っ直ぐな高い木がたくさん生えた薄暗い林の中にあった。秋で色づいた葉っぱが舞っていた。庭はきちんと整備されており、敷地には気品が漂っていた。今まで見た別荘地とは格が違うように思えた。
 815、旧軽井沢駅。メインストリートに面していた。ここも無理矢理路駐。三角屋根が3つついた印象的な建物。昔の写真では旧軽井沢駅であった看板があったが、今は取り外されていて、何かの店になっていた。
 その後すぐに、路盤はわかりやすい二車線道路になった。道の両側には真っ直ぐな高い木が並んでいた。軽井沢は真っ直ぐで高い木ばっかりだ。
 道沿いには三笠ホテルという明治のホテルで重要文化財があった。行き過ぎてしまい、戻ると工事中で全体にネットが被されていた。スルー。
 思いがけず、有料道路になった。白糸ハイランドウェイ。500円。どんどん高度を稼いだ。この辺りでは完全に路盤を見失っていた。「歩鉄の達人」によると、廃線跡は徒歩でしかいけない道となっていた。こんな山奥のどこに路盤があるんだ?にわか信じがたかった。
 845、白糸の滝駐車場。今回の旅行中に初めて存在を知った。別に白糸の滝を狙ったわけではなく、偶然たどり着いた。歩いて、滝へ向かうと、目の前に写真で見た美しい滝が現れた。
 滝の横幅はとても広く、20mくらいあった。高さは2mくらいだろうか。流れの一つ一つは細かったが、それらが集まって水のカーテンを形成していた。滝は全体の均整が取れていてとても美しく、およそ自然の造形物とは思えなかった。水がどこから来ているかを観察すると、岩の上あたりから湧いて出ているようだった。これはいいものを見た。
 鬼押ハイウェイ。280円。有料道路だらけだなあ。途中で浅間山の全体がが一望できた。富士山のようなきれいな三角形、成層火山だった。地肌は茶色でいかにも活火山の姿だった。これが今噴火したら死ぬかもと思った。
 930、鬼押出し園。宇都宮時代の20年以上前に、職場旅行で来たことがあった。当時、施設の存在をまったく知らなかった。溶岩流の冷えて固まったものがあるだけだった。その後、桜島でも同様のものを見た。ここに特別寄る必要はなかったが、もう一度見てみることにした。
 溶岩の中には朱色の寺ががあった。記憶にまったくなかった。一番長いコースを歩くことにした。表参道と呼ばれる溶岩の中の道を歩いて、浅間山と溶岩の写真を撮った。寺は堤康次郎が作ったものだった。西武かよ。そこから、裏参道を上がって行くと、浅間山とは反対側が見渡せた。三国峠とまでは言わないが、一面木ばっかりだった。その中に一つ、観覧車が目立っていた。遠くに見える山の中腹に街があった。草津だった。1040、出発。ここに寄ったのは時間のロスだったかな。
 11時、北軽井沢駅。草軽電鉄で唯一駅舎が残っていた。北軽井沢は軽井沢からはかなり遠かった。駅舎はきれいに塗装されていて、線路にはデキを真似た木造のモニュメントが置かれていた。
 現役の吾妻線万座・鹿沢口駅に到着して、草軽電鉄の探索は一旦終了した。この頃になるとお腹が減ったのでご飯が食べたかった。ご飯屋を探しながらの探索となった。
 吾妻線の一つ先の駅である大前駅に向かった。吾妻線は吾妻渓谷に沿っていた。大前駅の手前には嬬恋村役場があった。万座・鹿沢口駅付近ではないことに軽く驚いた。国道から谷底に降りると大前駅だった。
 1135、大前駅。訪問は3回目。万座・鹿沢口駅までは観光客が来るが、大前は孤高の終着駅だった。正直、いつ廃止になってもおかしくないと思っている。ホームの端が階段になっていて、そのままホームに上がることができた。待合室の時刻表は一日5本だった。これでは不便すぎるだろう。ホームの奥からはレールが車止めで途切れてるのが見えた。本当ならもっと先に延びるはずだった。終着駅には惹かれるものがある。そこには夢がかなわなかったやるせなさが詰まっていた。
 吾妻線沿いを万座・鹿沢口駅方面に戻り、そのまま長野原草津口駅を目指した。国道は結構険しい渓谷沿いを走っていて、ワクワクした。ただし、ご飯屋はなさそうだった。
 長野原草津口駅は新しかった。八ッ場ダムの影響で吾妻線の一部が付け替えになったため、駅も移転して新しくなったのかもしれない。
 長野原草津口駅から吾妻線は現在の大前駅方面ではなく、吾妻川の支流の上流にある太子駅を結んでいた。路線の名称も長野原線だった。太子駅の目的は群馬鉄山で採掘した鉄鉱石を運ぶことだった。太子駅では住民が駅舎を管理しているとのことだった。これは行かねば。
 1220、長野原草津口駅の廃鉄橋。昔、電車から立派なガーター橋が見えて驚いたものだった。よく見える場所を探したが、あまりよく見えなかったorz。
 道路は高度をどんどん上げて、路盤を完全に見失った。こんな大変なところに線路を敷いたのか?途中で「重伝建赤岩集落」と書かれた看板が出てきた。こんな山の中に重伝建?重伝建を追っかけてる私が、寄り道するのは必然だった。
 支流を渡ったところの山の中腹に張り付くように細長い集落があった。1240頃、ふれあいの家。観光案内所だった。おじさんが独りで番をしていた。おじさんは美味しそうな饅頭を食べていた。私はお腹がペコペコだった。「ご飯を食べられるところないですか」と聞いたら、「ない」と即答された。おじさんとはずっと色んな話をした。こういう話はとても楽しかった。どこかへ観光に行くよりよっぽど価値が高かった。
 1320に集落を探索した。ここの集落は最近に重伝建に指定された。そういうところはあまりすごくなかったりするが、逆にまったく観光っ気がなくて、ありのままを楽しむことができた。重伝建は観光地化されて面白くなかったり、柱とかの色を無理矢理茶色にしたりして違和感を覚えるケースが多い。
 この集落は養蚕に特徴があった。養蚕を営む家は三階建てであることは知っていた。赤岩には2軒の養蚕家があった。代表的な1軒には江戸時代に高野長英が匿われていたらしい。他の家は三階建てではなかったが、どれも屋根裏に普通見かけない窓が拵えてあった。また家には倉もセットになっていて、白壁には家紋が入っていた。倉も観光資源としてアピールしてもいいのではないかと思った。
 この集落には「かいこの家」という資料館があった。あまり人が来ないのか埃を被っていた。養蚕の道具などが展示されていた。昭和30年代までは養蚕をしていたとのこと。
 14時、ふれあいの家に戻って、再びおじさんと話した。「もう会うこともないけど、また何かで会えたら」と言われた。1440、出発。
 1445、太子駅。ホームにレールや貨車などがたくさん置いてあった。また側線2本はコンクリート製のホッパーの中を通っていた。これはなかなか珍しかった。駅舎はピカピカだった。塗装し直したのだろう(帰ってからの調査で再現駅舎ということがわかった)。最近になってちゃんとした設備として整備したようだった。
 駅舎の中には昔の写真があり、とても貴重だった。鉄鉱石は3本のインクラインで運んでたようだった。ホームに出たら写真を撮りまくった。とにかくホッパーが素晴らしかった。1525、出発。
 長野原草津口駅に戻り、吾妻川下流へ。1545、川原湯温泉川原湯温泉八ッ場ダムで一部が沈んでしまった。支援のために訪れた。
 あそびの基地NOAという新しい施設の中にある笹湯へ行った。990円。シャンプー&リンスが330円。ぼったくりもいいところ。さらに中も狭かった。ぼったくりが確定。泉質はごくわずかに硫黄臭がした。1625、出発。すぐにもっと下流側にそれっぽい温泉があることに気づいた。しまった!
 1645、原町のガソリンスタンドで給油。渋川ICから関越道に乗った。
 1750、駒寄PA。昼食抜きだったので背中とお腹がくっつきそうだった。2週間前にSAでは食べないと書いてたが、背に腹は変えられない。ソースカツ丼。カツは私好みで香ばしくて、ソースは私好みでフルーティーで甘く、とにかくものすごいおいしかった。1825出発。
 ずっとだらだらした渋滞だった。2010、三芳SA。トイレ休憩。2025、出発。外環は混んでなかった。
 2140、帰宅。部屋は暖かかった。ここが海抜0mの埋め立て地だからだろう。
 今回の旅行では、群馬長野の山にはいろいろ面白そうなところがありそうなことがわかった。また、車中泊の防寒対策も強化する必要があることがわかった。いっそのこと布団を持っていくか?