びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/07/16(土)「宇治」

 三連休。また宿の予約で出遅れた。切羽詰まらないと動かないパターン(汗)。元々は車で遠出しようと考えていたが、強く行きたいところがなかったorz。もう関東はダメなのかもしれない?今一番行きたい場所は京都だった。離れたら行きたくなる。日常からの物理的距離が必要なんだろう。滋賀にいる時から、昔行ったことのある有名な寺を回りたかった。昔はまだ仏像趣味に目覚める前だった。今見たら何を思うだろうか?
 起床は5時半過ぎ。自然に目覚めた。4時間弱しか寝てなかった。京都までは4時間かかる。これでも遅いくらいだった。635、出発。千葉みなと駅、659発の快速。土曜日なのに座席が埋まっていた。
 東京駅は激混みだった。コロナの第7波と言われているが、もう人出が止まることはない感じに見えた。新幹線の指定席は三人掛けの真ん中しか空いてなくて、しかも次々と埋まっていった。真ん中の席が取れたのは30分後の便だった。
 いつもの駅弁屋祭に行くと、大混雑だった。いつも京都に行く時と同じように、かに寿司(鳥取駅)といかめし(森駅)を買った。そして、晩飯用にますのすし(富山駅)。駅弁で4000円使うw。レジには長蛇の列。さらにひときわ長い列に並んでしまった。なかなか進まなくて焦った。
 812発ののぞみ。早速かに寿司を食べた。電車で食べると旨く感じる。名古屋を過ぎて、いかめしを食べた。駅弁はその駅で買うべきだという考えはとっくに捨てた。その駅のことを思い出して、懐かしくなる。
 京都から奈良線で隣の東福寺駅、京阪に乗り換えて、丹波橋駅で特急に乗り換え、中書島駅から宇治線で終点の宇治駅まで。宇治線はやっさんの家に行った時以来。11時半、宇治駅。一度は来てるはずだが、駅には見覚えがあるようなないような?コンクリート剥き出しで、燕が巣を作りまくっていてそこらじゅう糞だらけだった。
 駅前の宇治川を渡ると左手に参道。参道の両側には飲食店が並んでいた。抹茶のかき氷、茶そばから抹茶ラーメン、抹茶餃子、あらゆるものがお茶絡みだった。
 平等院は2回目。前回は2007年7月。仏像の素人でも、凄いと思った。今回はどうだろうか?因みに京都国宝ランキング1位らしい。さて、鳳凰堂内部のツアーは別料金で1時間待ちだった。鳳凰堂の側面が見えていたので、とりあえず正面に移動。大きな池越しに鳳凰堂が一望できた。両サイドに羽を伸ばしたようなフォルム、どの寺とも似つかない建物に戸惑った。そしてきれいに朱色に塗装されていてちゃちく感じてしまった。周りの人は写真を撮りまくっていて、私も負けじと撮りまくった。あちこちで「10円玉」という声が聞こえた。硬貨に使用されてるなんて凄いよな。
 鳳翔館。まずは挨拶代わりで国宝の梵鐘。鐘の表面には凹凸で天女が表されていた。
 次の部屋では国宝の鳳凰鳳凰は屋根に飾られていた。あまり気付かれてないが、1万円札の裏の図柄でもある。とても美しかった。架空の鳥なのに素晴らしいという言葉しか思い浮かばなかった。
 次の部屋には鳳凰堂の内部の壁画を再現していた。極楽往生を描いていた。べたべたの色彩では、想像力が掻き立てらないんだよなあ。
 最後の部屋では、雲中供養菩薩が展示されていた。鳳凰堂の壁には52体の雲中供養菩薩があり、そのうち26体を展示していた。すべて国宝。間近で見ることができるのがメリット。菩薩が雲の上に乗り、それぞれが異なる楽器を弾いている。ここでツアーの時間が近づいたので一旦撤収。
 1250、鳳凰堂内部を拝観。お姉さんの引率で中に入った。建物は当然国宝。触ることも許されなかった。中には丈六(高さ2.8m)の阿弥陀如来坐像。こちらは重文。阿弥陀如来坐像は唯一定朝の作と認められている。定朝は平安時代の仏像のスタイルを確立した人物で、平安時代の仏像はよく定朝様と言われる。なぜ国宝じゃないんだろう?阿弥陀如来は金色に輝いていた。光背もまた見事だった。しかし、圧巻は壁に取り付けられていた52体の雲中供養菩薩だった。これは絵で描かれることはあっても、仏像で見たことがなかった。国宝の中の国宝と言えよう。扉や柱の絵は、くすんで褪せて剥がれてボロボロだった。でも、それが長い時間を感じさせた。よくぞまあ現代に鳳凰堂が残ったもんだ。
 鳳翔館に戻って雲中供養菩薩をゆっくり見た。何度見ても凄いとしか言いようがなかった。
 13時半、参道にある山田園茶舗でグリーンティー。50円の張り紙に惹かれた。私はグリーンティーが大好きである。おばあちゃんが背の低い透明なガラスコップに注いでくれた。上品な甘さが口の中に広がった。おばあちゃんが「奥で抹茶曳いてます」と言った。抹茶には興味はあるが、買うほどではなかった。
 続いて「憩和井」(いわい)。かき氷の宇治金時ミルクもまた見たら必ず頼む奴だった。この店の名前、どこかで見覚えがあるのだが?
 宇治川を渡った。前から宇治川の流れの速さが印象的だった。今日もまた流れは速く水量も多かった。落ちたら確実に死ぬと思った。
 1410、宇治神社。神社は若手。
 興聖寺曹洞宗なので期待した。参道が長い上り坂で一瞬行くかどうか迷った。こういうところこそいいものがあると自分に言い聞かせたが、庭も仏像も特筆すべきものはなかった。ハズレは珍しかった。
 1450、宇治上神社世界遺産。拝殿と本殿は国宝。国宝であることを知らなかった。最も古いらしいが?
 京阪の宇治駅に戻り、1527発で六地蔵駅下車。1553発のバスで日野薬師まで。
 16時過ぎ、法界寺。別名は日野薬師。阿弥陀堂が国宝だった。境内には誰もいなかった。受付にもいなかった。家の呼び鈴を鳴らしてくれと書いてあったので、呼ぶとすぐにおじいさんが出てきた。
 おじいさんは阿弥陀堂の木の引戸を開けてくれた。中には丈六の阿弥陀如来坐像があった。おじいさんは「薄暗いけど、どうぞ」と言った。中は薄暗いどころかほとんど見えなかった。本来なら寺にライトなどないから、これが本当の姿とも言えよう。おじいさんがうろうろするとライトが点灯した。ようやく阿弥陀如来のお顔が見えた。平等院阿弥陀如来坐像に似ていると思った。すると、おじいさんも、平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像と似ていると言った。長押(なげし)の壁画も柱の絵も鳳凰堂のような雰囲気を醸し出していた。「さっき平等院行ったんですよ」という言葉を必死で飲み込んだ。おじいさんがいなくなると、薄暗い国宝のお堂の中で阿弥陀如来坐像と対峙した。阿弥陀如来が暗闇に浮き上がり、まるで土門拳の写真のようだった。とても贅沢な時間だった。お寺は知名度よりも人がいない方が絶対いい。
 日野薬師1647発のバスで京阪六地蔵まで。六地蔵駅から京阪、中書島駅乗り換えで丹波橋駅下車。
 丹波橋駅で降りるのは初めて。丹波橋なのに宿までは徒歩15分。予約で出遅れるとこういうことになる。地図で見ると普通の車道に見えた道は一車線の一方通行だった。狭くてゴミゴミしていた。これが京都の本当の下町なのか?道を西へ向かった。暑いし、荷物は重く、足取りも重かった。
 1750、旅館寿々喜荘。おばさんに部屋を案内してもらった。民宿みたいな雰囲気。3階までの階段が急だった。バストイレは共用だが、部屋は広くてなかなかよかった。1階の冷蔵庫までが遠かったし、冷蔵庫は全然冷えてなかった。大丈夫か?一応ますのすしとペットボトルを入れた。
 ますのすし用の醤油を買いに行った。そういや通天閣でもそんなことしたな?近くのスーパーで小分けにした醤油を探したが売ってなかった。仕方ないので一番安い130円を買った。こういう訳のわからない行動が旅の思い出となる。
 風呂から部屋に戻ると、テレビで祇園祭をやっていた。偶然にも今日は祇園祭前祭の宵山だった。テレビからは鉦や笛の音が聞こえてきた。コロナで中止が続いていて、3年ぶりの開催だった。思わず行きたくなったが、さすがに無理だった。明日、山鉾巡行に行くかどうか?浴衣で畳に寝転がってると、旅行気分はマックスとなった。こんな気分になるなんて、旅は素晴らしい!