びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/03/20(日)「初瀬朝倉」

 750出発。今日は長谷寺室生寺に行くつもりだった。国道169号線で南下。国道169号線国道24号線の東を通っていて、通るのは初めてだった。山の麓の道といった感じで、くねくねして少し狭かった。天理市街、大神神社を通り抜け、桜井で国道165号線へ。ここからは山間の谷筋に沿った道となった。長谷寺を過ぎた時にまだ時間が早かったので、先に室生寺に行くことにした。国道からは近鉄大阪線が見えた。私鉄のくせに山間の凄いところに線路を通していた。
 室生寺口交差点を右折。いよいよまったく人家のない山道。山道はずっと川に沿っていた。しばらく行くと室生寺の駐車場が出て来た。できるだけ寺の近くに寄せようと先に進むと、温泉街のような古い町並みとなった。こんな山奥なのに門前町があるのか?
 駐車場は500円。高い!910、室生寺。川を渡る太鼓橋があり、バリバリ名刹っぽい雰囲気。受付は拝観と寳物殿で1000円。
 大きな門からスタート。階段を上がると、いきなり国宝の金堂。斜面に石積で基礎を作り、その上に建っていた。今まで見た他のお堂とは全然形が異なっていた。
 中に入ると、手前に6躰の十二神将、奥には3躰、真ん中が国宝である釈迦如来立像、左に薬師如来立像、右に文殊菩薩立像。仏像までが遠い上に、仏像の手前に幕がかかっていて、しゃがみこまないと全体が見えなかった。せっかく見に来たのにこういうのって本当になんとかして欲しい。ここには本来ならもっと仏像があったが、寳物殿に移されていた。もし全部そろっていたらかなり凄かっただろうに。
 また階段を上がるとこれまた国宝の本堂。ご本尊は如意輪観音菩薩像。
 さらに階段を上がると五重塔も国宝。外にある五重塔の中で一番小さく、二番目に古い。けれど、平成10年の台風により倒木の被害を受けたためか、朱色に塗られていた。これでは古さを感じられなかった。
 奥之院へ。木立の中を心折れそうなくらいの石段が延びていた。何度も休憩しながら上った。降りてきたおばあさんと目が合って、二言三言交わした。途中から段数を数えたところ300を越えていた。上りきると建物があり、お坊さんが中で読経していた。その後方にはお客さんが2組椅子に座っていた。おそらく祈祷だと思われた。頑張って上ってきたのに見所はこれだけ。ただの足が鍛えられただけだった。
 1040、寳物殿。ここには金堂から持ってきた仏像が展示されていた。金堂にあったらよく見えなかったであろう仏像がじっくり観察できた。目玉は国宝の十一面観音菩薩立像。立ち姿がよく、技巧を凝らしており、素晴らしかった。惜しむべきは右手がプラモデルのような無機質な質感だったこと。そう思えると、そんなに名品でもないよつな?それから、同じく国宝の釈迦如来坐像があった。昨日の蟹満寺の釈迦如来のように螺髪と白毫がなかった。両方とも釈迦如来なのは偶然?この釈迦如来は重量感があり、でんっと構えていた。
 室生寺を後にして、来た道を戻った。1205、長谷寺到着。ここもまた門前町が形成されていた。コインパーキングは500円。まずは腹拵え。最初にあった店「泊瀬長者亭」に入った。名物のにゅうめんや吉野葛入りそうめんがあったが、あんまりそそられなかったので、豚のしょうが焼きランチ。これが豚肉が大きくとてもおいしかった。
 1240、長谷寺。門からして立派。受付はなんやかんやつけて1700円。高過ぎぃィィィ!すぐに石段がスタート。この石段は天井が庇で覆われており登廊と言った。とても長い登廊だった。
 途中で宗宝蔵があった。何があるのかと入ると、思いがけず国宝の銅板法華説相図があった。これは銅板に仏様が浮かび上がっていて、そこには長谷寺の縁起が書かれていた。銅板には金剛力士像が浮かび上がっていて、これは日本で最古の金剛力士像だそうだ。
 登廊に戻り、ひたすら上がっていくと、大きな本堂があった。この本堂は国宝で、清水寺のように崖に飛び出ていて舞台があった。本堂の中には巨大な十一面観音菩薩立像があった。高さは10mで金ぴかだった。凄いというか威圧的だった。
 1340、特別拝観。受付で塗香(ずこう)と呼ばれる粉を手のひらにつけられ、両手で揉んでよく広げるように言われた。お線香のような匂いがした。また結縁の五色線というミサンガのようなものをもらった。説明によれば、白、赤、黄、青、黒の五色の糸を寄り合わせた腕輪で、身に付けると観音様とご縁が結ばれたという印になるそう。
 特別拝観では、十一面観音菩薩立像の足下まで行けた。見上げると鼻が見えた。不思議なアングルだった。また足の指や甲を撫でることができた。足の指や甲はたくさんの人に撫でられたのかピカピカだった。薄い和紙が置いてあり、和紙越しに足の指や甲を触るシステム。触れてみると金属のひんやり感があった。
 ここは三井寺と似ていてお堂が点在していたが、三井寺と違ってあんまりたいしたことはなかった。奥の院にも行ったが、基本的に誰かを供養するところだった。奥の院とは一般的にそういうものなのかもしれない。
 1435、大講堂。明治に再建したもの。十一面観音菩薩立像を描いた日本最大の掛け軸があった。大きすぎて、大広間の畳に広げられていた。
 明日香方面に向かい、1545、安倍文殊院。ここはやたらと道路標識に出て来た。無視してたら国宝があった。駐車場500円・・・セット券は1200円・・・。
 金閣浮御堂霊宝館。池の中に金ぴかで六角形のお堂が浮いていた。金ぴかのおさめ札というものを渡された。7枚綴り。お堂を「◯◯しないように」と災難避けを唱えながら回って、お札を1枚納める。これを1周ごとに違うことを唱えながら7回行う。そんなん急に言われても。しかも7つも。私が唱えたのは、「事故に遭わないように」「病気にならないように」「悩まないように」「散財しないように」「悪縁が振り払えるように」「太らないように」「不幸になりませんように」。特に「悪縁が振り払えるように」と唱えた後はしばらく思い付かなかった。今の私のほとんどの関心はそこだと思われ。
 お堂の中には陰陽道に関する展示があった。ここが安倍とつくのは安倍一族の寺であるためで、安倍晴明とも関係があった。陰陽道は我々の生活の中にも浸透してて、例えばカレンダーの六曜(大安、仏滅とか)、節分やひな祭り、五色の色もそうらしい。長谷寺でもらったミサンガも関係あるかも?
 1615、本堂。本堂の中には快慶作の国宝文殊師利菩薩像があった。大きくて見事なものだった。両脇を固める4躰も国宝。この並びは壮観だった。まさかこんなに凄いとは。
 明日香に向かっていると山田寺の看板があった。1655、山田寺跡。あんだけ山田寺に肩入れしてるくせに過去2回明日香に来た時は見忘れていた。3度目の正直。予想通りただの原っぱ。誰もいなかった。五重塔と金堂の跡が一段盛り上がっていた。草原を歩くと水でべちゃべちゃしてた。発掘された東回廊は地下水のおかげで原形を留めていたことを思い出した。説明板が埋まっていて、それは東回廊の位置を示していた。ここが新聞記事で出てきた場所か。静かな感動があった。
 山田寺跡の角には神社が建っていた。行ってみると、神社の横に普通の家があった。草ぼうぼうで誰も住んでなさそうだった。すると玄関に看板がかかっていた。「山田寺」。確かに跡地に寺があるとは聞いてたが、酷いと思った。
 1730、亀岩前のセブンイレブン。晩飯を買って時間調整。
 18時、民宿若葉。3か月連続3回目。おばさんも覚えてくれていた。前回たくさん話したからかあまり話さずに部屋へ。
 今日の室生寺長谷寺安倍文殊院は大当たりだった。こんな日もあるんだな。でも、お金が湯水のように飛んで行った。特に昨日もそうだけど、車でしか行けないような山の中でも駐車場が有料なのは納得いかない。