今朝、前にAさんと一緒に飲んだTさんから「みんなわかってますから」と言われて驚いた。てっきりAさんと仲がいいのかと思っていたから。出張で来ている尼崎の人からは「Aな、前のとこでも問題起こしたんや」と言われた。去っていく私に悪口を言う人もいないだろうけど、はなむけの言葉としては「身体を気をつけて下さい」よりはずっとマシに思えた。
わずか10か月で滋賀から出ていかなければいけないのは、部長とAさんのパワハラのためだ。今後、何年もこんなんに付き合ってられないと思った。また、テーマの内容が悪すぎて、まるでできる気がしないし、できたとしても売れる気がしない。自分のスキルアップにも繋がらずまったくやる気がわかない。新規提案するにも調査するという概念がこの人たちには欠如していて、調査のための時間を与えられそうにもない。どの視点から見ても完全に行き詰まっていた。
滋賀という土地は友人がまったくいなくて寂しい限りであった。電話して寂しさを紛らわしていたけど、やはり面と向かってしゃべらないと息が詰まった。結局、これって15年前とまったく一緒の結果。孤独に打ち勝つのが人生だとしても、なるべくなら孤独な状態は避けたい。
異動が思ったよりも早かったのは、偉い人のご尽力のたまものだが、その理由として想像するに、Aさんが過去に各地でパワハラ問題を起こしており、社長にパワハラで注目されている研究所としては、早いうちに芽を摘み取っておきたかった。また、尼崎から無理矢理滋賀に異動させた際に、7人中2人も会社辞めた件が問題視されていた。それから、私の体調を考慮して希望をかなえてくれた等々、総合的な判断となったように思う。
私が部長とAさんからマークされることとなり、部長とAさんはおとなしくなったように見えた。ただ、私がいなくなれば、また新たなターゲットを作るだろう。その証拠に昨日の報告なんかは悪い癖が出始めているように見えた。私は偉い人に洗いざらい状況を伝えて、2人に×を付けておいた。そしていざという時の脱出ルートを示したつもりだ。
送別会をしてくれた人たちがとてもいい人たちで、隣の課に配属されてたら違う人生があったかもしれないと思った。しかし、今回はそういう巡り合わせだったのだろう。おそらくもう私が滋賀で仕事することはないから、最後の顔見せをさせてくれたのかもしれない。
隊長の心遣いはたいへんありがたかった。同期のありがたみが染みた。一方的に助けてもらっただけで、こちらからは何もお返しすることができなかった。それだけが心残りだ。
自分の行動が正しかったというのは、これから先に証明していくしかない。周りの人をできるだけ助けることだと思う。