びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/06/25(土)「梱包&常楽寺」

 梱包を始めた。たくさんの物を捨てなければならなかった。物は財産であり、思い出も詰まっていた。なるべくなら捨てたくはなかった。一つ一つ持っていくかを判断していく作業は、過去を捨てていくようにも思えた。
 「キープ」と書かれた段ボールが2箱押し入れにあった。高校や大学時代の物が入っていた。時間が経つほど、価値が上がっていくと思っていたが、実感が薄れて来ていることに驚いた。
 15時、常楽寺。一昨日と違って今日は開いていた。常楽寺には二十八部衆があった。二十八部衆は本には載っていたが、実際三十三間堂以外にあるのか知らなかった。見仏記を見た時に二十八部衆が紹介されていたので驚いた。さて、駐車場からして看板だらけだった。前回覚えた不快感がよみがえってきた。さらに門のところに天台宗から独立した旨の貼り紙があった。金だろうなと思った。先には檀家は持たず一人で管理してるとも書かれていた。金ないアピール?受付には監視カメラのモニターがたくさんあり、お坊さんはむすっとして無愛想だった。
 国宝の本堂の中に入ると、注意喚起の気分の悪い貼り紙だらけだった。目的の二十八部衆は凄かった。一度見たはずなのにまったく記憶から欠落していた。こんな貼り紙だらけのとこにこんなものが?まさに掃き溜めに鶴である。残念なことに二体が欠けていた。無住職時代に盗難に遭ったとのこと。あらゆる説明書きには、二十八部衆の情報は少なく、盗まれたことが強調されていた。余程悔しかったのはわかるが、いつまでも恨みつらみで他の関係ないお客を不快な気分にさせるなよ。また順路に従って歩いていると監視カメラの映像がモニターに映しだされた。どこまでもイヤな気分にさせようとしている感じだ。
 やはり常楽寺に関しては二十八部衆よりも注意書きの不快感が勝った。ネットの書き込みで、住職は一人でよくここまで整備したと書かれていた。病的なまでの貼り紙についても、擁護派が多いようだった。でも、私はやりすぎに思うし、皆が守ってきた財産を私物化して台無しにしてるように見えた。管理がたいへんなら博物館に寄付すればいいのではないか?
 これで湖南三山の二回目のお参りが終わった(善水寺、長寿寺、常楽寺)。最後に常楽寺で残念な思い出が残った。滋賀でうまくいかなかった私にはふさわしいラストなのかもしれない。