びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/05/22(日)「東福寺」

 7時、起床。疲れていて何もやりたくない気分だった。820出発。今日は東福寺に行った。東福寺もまた妙心寺大徳寺と同じく臨済宗の寺だった。四条高倉から東福寺行きのバスに乗ろうとすると、大量の修学旅行生がorz。このバスは清水寺でガラガラになった。
 バス停から東福寺の方に歩くと塔頭が現れた。後で行くことにして、先に進むと、妙心寺大徳寺と同じように雰囲気のある道となった。すると前方に木橋が現れた。臥雲橋。橋から写真を撮ってる人がいた。その方向を見ると、たくさんの青もみじが見えた。足元には小川が流れていた。
 東福寺はでかくて、人も多かった。私は東福寺は駅名になっているイメージしかなかったが、寺も有名だったのか。
 東福寺の三門は国宝だった。でかいとは聞いていたが、やはりでかかった。やはり妙心寺大徳寺と同じように、池、門、本堂の並びだった。本堂もまたでかかった。
 910、通天橋。先ほどの小川にかかる橋で、屋根のある廊下になっていた。通天橋に面している庭にはたくさんの青もみじがあり、多くの人が散策していた。東福寺がもみじの名所と言われるのはこの辺りだろう。ここは北野天満宮の紅葉園のようだった。
 940、方丈庭園。ここの庭は昭和に入ってから重森三玲により作庭されており現代風であった。方丈庭園の目玉は、裏庭である北庭の市松模様であったが、写真で見るよりも実物はあんまりだった。なんか奇をてらってるだけというか。表の庭は枯山水で、たくさんの人が座ってのんびりとしてた。こういうのって人が多いとあんまりなんだよなあ。
 東福寺にはもう一つ木橋があった。偃月橋(えんげつきょう)。誰もいなかった。国宝の龍吟庵に繋がるが、龍吟庵は工事中で立ち入り禁止だった。
 東福寺は人が多くて風情がなかった。それと昨日の疲れもあった。ダイエット中に感じたカロリーが足りなくて全身がエネルギーを欲しがっている状態だった。塔頭なら静かでゆっくりできるのではないかと期待した。
 1035、東福寺光明院。庭園がきれいだった。でも、縁側のいいポジションを占領されていて困った。すると、一人が退いたので、そこに座った。苔、白砂、石のコンビネーション。配置の意味はわからないけど、いい感じだった。後でこれも重森三玲だと知った。
 11時半、東福寺芬陀院(ふんだいん)。別名雪舟寺。雪舟が作った庭園で庭園としては最古級、重森三玲が復刻したとのこと。手前側が白砂で、縞は真っ直ぐに引かれていた。奥には苔で鶴島と亀島があった。この構成は、大徳寺黄梅院の破頭庭とほぼ同じであった。鶴島と亀島が苔庭の方にあるのも斬新だった。最古にしてすでに抽象を極めており、雪舟の非凡さを現しているようだった。
 12時、「しん坊」、にしんそばとご飯。
 1235、東福寺霊雲院。500円。開いてる時間が短くて高い。トイレもない。なんかやる気ない。ここも重森三玲。この近辺はどこも重森三玲なのかもしれない。庭は障子ではなくガラス戸で仕切られていた。でも、そのお陰で部屋の中からでも庭全体を見渡すことができた。白砂の真ん中に遺愛石があり、それを中心に同心円状に強い砂紋。重森三玲は主張が強すぎるんだよな。
 1310、東福寺勝林寺。フォトジェニックではあったが、庭はなくて、絵の具とかを広げて御朱印を書いていた。すぐに退散。
 塔頭は庭があっても重森三玲だろうし、情報量が少ないと思った。それよりは強く行きたい場所があった。東福寺は早めに切り上げて場所を移動することにした。東福寺駅1334発京都行き。京都で山陰本線に乗り換え、1353発車亀岡行きで花園駅下車。
 14時半、旧邸御室。先週ニュースで見てからかなり気になっていた。ここには瑠璃光院のような鏡面仕上げの座卓があり、座卓には庭が映り込んでいた。1000円で絵はがきつき。庭園にしては高いのだが、瑠璃光院の半額だから安く感じた。いっそ他の庭もつるつるの机を置けばいいのに。単価倍になるぞ。
 やっぱり混んでいたorz。瑠璃光院と違うのは、座卓のある部屋の隣から写真を撮ることだった。場所を占領してなかなか退かない爺さんがいて、後ろから苦情が出ていた。写真では伝わらない激しい場所争いが繰り広げられていた。お客さんが庭に降りる時は、フレームに入るので邪魔だと思った。係のおばさんが説明してるのに、みんな写真に夢中だった。人間の醜い部分が出てるようで気持ちいいものではなかった。整理券でも配ればいいのに。
 15時、近くに行きたいところはなかったので、撤収することにした。JR花園駅でアジア系外国人の男性が片言の日本語で道を聞いていたので、声をかけて一緒に京都駅に行った。外国の人にとって、目的地までの切符を買って、自動改札を通るのは難しいだろう。ましてや近鉄に乗り換えだからもっと複雑だった。その人は中国の人で明るくて元気だった。日本語が少しわかるのでなんとかなった。近鉄の改札を通るところまで見届けてから別れた。
 16時ちょうど発新快速敦賀行き。草津駅のエレベーターでキャリーバッグを持ってるおばさんがいた。草津線に乗り遅れそうになっていた。石部で降りると、おばさんがいて跨線橋の階段の前で困った感じだった。私はおばさんのキャリーバッグを持って跨線橋を渡った。今日はこういうのが続くなあ。17時前に帰宅。
 昨日の登山は明らかにやりすぎだった。それから東福寺は人が多くて、メジャーどころはあんまりなのかもしれない。完全に仏像から庭に興味が移ってしまった。何かに興味を持つことはいいことだと思う。