びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/04/09(土)「五條」

 7時半に起床。8時半出発。行くとこがなかった。王寺は法隆寺の近くだが、法隆寺はこないだ行ったばかりだし、夢殿の公開はまだだった。昨日、大学友人Sが「五條に国宝の寺あったやろ」と言ったので、五條方面に行くことにした。
 いい天気で暑かった。940、葛城市歴史博物館。ここに寄ったのは古代の豪族である葛城氏について知りたかったから。この博物館の評判は、なかなか本格的と書かれていた。博物館の前に着くと、まったく人気がなくて休みかと思った。中には職員さんが何人かいた。この人たちは土曜日に何の仕事をしてるのだろうか?
 最初に「質問がある方は学芸員まで」と貼り紙があった。本気だ。展示もマニアックだった。私が知りたかった極楽寺ヒビキ遺跡の情報はなかった。わからないことが多いのだろうか?残念なことに、私が葛城の土地勘がなくて、古墳や遺跡の場所を説明されてもピンと来ないことだった。葛城には古墳や遺跡がたくさんあることはわかった。
 五條へ移動。国道を逸れて、吉野川沿いに進んだ。1120、栄山寺。国宝が2つある寺。受付には誰もいなかった。中にも誰もいなかった。まるで管理されてない公園のようだった。風が吹くと桜が舞った。
 国宝の梵鐘は厳重に建物で覆われてて、鉄格子の間から見るしかなかった。残念な感じだった。
 本堂も締め切られていた。格子の間から中を覗こうとしたら、シャッターのようなものが降りていた。ケチ。
 八角堂も国宝だった。夢殿と同じくらい古かった。五條が奈良から離れていたから焼き討ちの被害に遭わなかったのだろう。扉は閉ざされていた。見ただけ。
 昼前にして行くとこがなくなってしまった。五條には尼崎の時に観光したことがあった。ふと五新線のことを思い出した。五新線は国鉄未成線で、五條から新宮を結ぶ予定だった。城戸までは路盤は完成したが、鉄道は通らずバス専用道となった。そのバス専用道も廃止になってしまった。前回、レンタサイクルで城戸まで探索したが、その先の未成線の遺構までたどり着けなかった。車だったらちょうどいいじゃないか。国道168号線を新宮方面へ。
 以前の五新線の探索はとても印象的なものだった。レンタサイクルで山奥に挑戦して、体力的にキツかったけど、大成果だった。とにかくこの五新線はクレイジーだった。ほとんど人の住んでない谷筋を路盤が真っ直ぐ山奥の方に延びていていた。新宮までってw。
 車を使えば、あんなに大変だった道程があっという間だった。山あいの眼下に時折、五新線の路盤が見えた。賀名生(あのう)を経て城戸を通過。城戸まででもすでにとんでもない山奥だったのに、ここから先は何が待っているのか?
 相変わらずとんでもない山奥だった。1225、突如大きな橋が頭上に現れて、先のトンネルに吸い込まれていた。宗川橋梁。何度も写真で見た景色だった。手前側もトンネルに吸い込まれていた。こんな巨大な構造物が一回も使われることなく放棄されるなんて。そこに廃の美を感じた。車を停めて写真を撮りまくった。
 もっと写真を撮りたくて少し道を戻って、脇道に逸れると、そこにも短い橋が。おおっ!もう大興奮。ここもまたトンネルとトンネルの間にコンクリート橋があった。
 分水嶺である天辻峠にも未成線のトンネルがあったが、出口は南側だけだったはず。国道は九十九折でどんどん上っていった。そしてトンネルが現れた。新天辻トンネル。なんて狭いんだ?中に入ると圧迫感があった。バス、大丈夫か?地面はスレート。なんか一昔前の風情。とんでもない山奥には怖いトンネルがあった。
 トンネルを出ると、道の駅大塔が現れた。UFOみたいな形をしていた。ここは旧大塔村。こんな山奥でどうやって生計を立ててるのだろう?13時「金剛」で昼食。うどんと柿の葉寿司とこんにゃくのランチ。
 未成線の天辻トンネルを探しに国道をさらに南下。峠を下りると、目の前が開けた。川が太くなってダム湖になっていた。国道の側壁に未成線の天辻トンネル発見!何度も写真で見てたからすぐにわかった。車を停められなかったので直進。川を渡ったら三叉路に。ここは阪本という集落だった。五新線はまず阪本を目指した。地図で何回も見た地名。郵便局しかないやん・・・。
 Uターンして、未成線のトンネルへ。このトンネルは阪大がニュートリノの実験に使っていた。入り口には鉄格子。中を覗くと、小さな守衛室のような小屋が見えた。中からはとてもヒンヤリした空気が流れてきた。入り口に掛けていたインターフォンは朽ちていた。この施設、今も現役なのだろうか?
 来た道を道の駅まで戻り、1345、大塔郷土館。天誅組についてわかるかと思ったら、ただの食事をする店だったのでスルー。
 国道を逸れて急坂の小路を上がって行った。1555、維新歴史公園。天誅組が反乱した時に、天誅組を支援した豪農の家があった場所。今は更地となりただの公園だった。傾斜地にポツンポツンと家屋があったが、どれも一晩中住んでなさそうだった。限界集落では?
 国道を戻り、1415、城戸バス停。なんかバス停が新しくなってるような?廃の味が消えていた。奥の方に何人かのおじさんがうろうろしてた。そこには建物を建ててるみたいで、どうやらそれも五新線と関係がありそうだった。村起こし?本来なら人が入るような場所ではないので、私はそそくさとその場を後にした。
 前回、城戸の手前で私は未成線の路盤を見失っていた。それは自転車では機動力がなさ過ぎて限界だった。今回はその謎を突き止めることにした。
 1425、城戸から最初のトンネルを抜けたところでトンネルを回り込む横道に逸れて、路盤を発見。これは前回も確認したもの。ここから山をぐるっと回り込んだ。すると眼下に丹生川があり、電源開発のダムが現れた。そして、ダムの上流には未成線の橋梁があった。大興奮だった。
 さらに積極的に下に下りて川を渡った。そこには未成線突堤が続いていた。未成線に上がる道はなかった。そういえば、未成線は道路と繋がってなかったことを思い出した。車を停めて、写真を撮ろうとしたら、おばあさんが農作業していた。こんな人気のない山奥で明らかに私は不審者だった。おばあさんがこっちに近づいてきたので、「バスの道をたどってます」と言うと「国鉄バス走ってたもんね」と言われた。
 国道を戻り、1505、賀名生の里歴史民俗資料館。ここは前にも訪れた。隣には、南朝の皇居であり、天誅組の立て籠った場所もあった。歴史的に面白い場所だと思う。知名度はほとんどないだろうが。
 16時過ぎに五條に戻り、天誅組のことを説明している資料館に行こうとしたが、車を停める場所がなかった。諦めて宿に向かった。国道24号線をひたすら奈良まで。
 近鉄奈良駅のいつものコインパーキング。商店街入り口で晩飯用に田中の柿の葉寿司を買った。1830、猿沢池の近くのプチホテル「古っ都ん100%」。まさかの和室だった。でも、ユニットバスはある。初めてのパターン。
 今日はネタ切れだった割にはうまくまとめることができた。明日はどうなるか?