びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/12/29(木)年休「旅行7」

 乗り鉄の朝は早い。0617出発。大分―日田―久留米―博多。久々の18きっぷ使用。
 久大本線はその名のとおり大分と久留米を結んでいる。由布院の手前から上りになり由布岳がよく見えた。由布院を過ぎてもまだ上りだった。豊後森で扇形機関庫が見え懐かしかった。0845終点の日田で降りた。
 日田でレンタカーを借りた。トヨタレンタカーは駅から2km離れていたので迎えにきてもらった。日田は大きな町だった。大分県だけど、地図では福岡や熊本に近い。ここが源五郎丸投手の地元なのかと思ったり。
 レンタカーの目的は阿蘇山観光だった。本当は高千穂の前に行くべきだったが、行きがかり上こうなってしまった。阿蘇は98年末に上野と回ったことがある。それ以来ずっと行きたかった。
 大観峰に行った。北側の外輪山の上から内輪山が見渡せる。まるでお釈迦様が寝ているように見えると言われている。若干もやがかかっていて残念。ここは360度見渡せて、反対側にある丘もなかなかいい。草原でありおよそ日本らしくない景色だ。
 内輪山を山頂目指して上った。妙に草千里に行きたくて仕方なかった。98年に見落としたのではと思っていたが、頂上に行く途中にあったから、単に忘れてただけなのかもしれない。さらに進むとロープウェー乗り場があった。98年はガスが出てて火口には行けなかった。今日は大丈夫だったので、車で有料道路を上がった。火口の駐車場に停めてドアを開けると、強烈な硫黄臭。スタッフが大声で「ガス規制になりましたのですみやかに降りてください。」、まてwwwww
 阿蘇山からの帰り道で黒川温泉に寄った。人気ナンバーワンの温泉。景観を整備して統一感をもたせるなどの取り組みが知られている。谷間の狭い道に観光客がわんさかいた。やっとこさ車を停めたものの温泉から遠く、時間も心配だったので止めた。町の雰囲気がわかっただけで充分だった。コーラの自販機が茶色や黒だったり。
 道の駅小国に行った。ここはかつて国鉄宮原線の終点の肥後小国駅だった。宮原線は山岳地帯を走る路線だったが、JR転換時に廃止された。現地で、一つ前の北里駅まで遊歩道が整備されていることがわかった。ただし、4kmもあったので往復は諦めた。
 宮原線で有名なのはアーチ橋である。戦中に作られた。鉄筋ではなく竹を使っていると言われている。北里駅に行く途中にあるアーチ橋を見に行った。下から写真を撮るだけじゃなくアーチ橋に上ったりもした。森の間から電車が来そうな感じがした。他にもアーチ橋を4箇所見つけたけど、深追いはしなかった。実はアーチ橋については今まで士幌線、根北線、戸井線、大間線と強烈なのを見てたので免疫ができていたと思われる。
 宮原線跡と同じルートをたどる国道を北上した。高千穂もそうだけどよくもまあこんな山奥に鉄道を作る気になったなあ。山奥ほど人はいなくなり、鉄道を敷設するのが難しくなる。
 国道からは廃線跡はわからなくなっていた。車から見てるとほとんどわからないものだ。国道に駅の表示があったので行ってみると久大本線引治駅だった。再び国道に戻ると廃線跡を見つけた。でも、面倒なので路盤は見に行かなかった。引治駅の隣の恵良駅から宮原線は分岐していた。恵良駅宮原線ホーム跡も確認しておいた。
 恵良駅の隣は豊後森駅宮原線豊後森から発着していたために扇形機関庫が整備された。4年ぶりに扇形機関庫の前に立った。夕方の機関庫には誰もいなかった。相変わらず窓ガラスが割れていた。4年前から時の流れが止まったような空間だけど、その間にいろいろあったことが思い出された。あのときに戻りたいと思ってしまう。
 日田までは久大本線と国道がくんずほぐれつだった。国道から見る久大本線は鉄橋やトンネルのオンパレード、とても険しい山の中を走っていた。乗るよりも外から見る方が面白いかもしれない。久大本線を作るとき鉄道大臣が言った言葉が思い出された、「猿でも乗せる気か」。
 博多到着は20時過ぎだった。昨年は飲まなかったが、今日は妙に飲みたかった。「東横イン」が23時から安くなることを確認して、西鉄バスセンターの「夢花」という海鮮居酒屋に行った。呼子イカの活け作りに驚いた。味云々の前に動いてるのがダメだ。ふぐ刺しも食べたけど、高いだけだった。時間潰しだから仕方ないんだけど。23時を過ぎた「東横イン」には続々と人が集まっていた。