びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/01/15(土)「明日香」

 状況が大変な中でも無理矢理宿を予約して明日香に行くことにした。明日香を意識しだしたのは尼崎に来てからで、それまで明日香の存在は東大寺法隆寺の影に隠れていた。しかし、大学友人Sなどの評判はすこぶるよかった。ちょっと遠いけど、頑張って行ってみることにした。
 6時起床。道路凍結が心配だったので余裕を見て8時に出発。信楽の山は避けて、京滋バイパスへ。有料で驚いた。京田辺ジャンクションで京奈和道へ。京奈和道は京都から奈良を経由して和歌山を結ぶものだが、部分開業に留まっていた。まさかの対面通行。対向車が突っ込んで来たら死ぬやつ。終点の奈良まで。1時間半で1600円。確かにラクだけど、下道と比べるとコスパはよくないような?
 給油後、国道24号線をそのまま南下。京奈和道ができないのも広い国道24号線が奈良を南北に貫いているからだと思われ。途中からまた京奈和道へ。ここは無料区間だった。終点の橿原まで。
 10時半、奈良県橿原考古学研究所附属博物館。たまたま看板を見て寄り道しようと思った。こここそ小学校の頃から気になっていた場所だった。小学校時代に旧石器から飛鳥時代くらいまでが好きだったことをすっかり忘れていた。
 特別展をやっていた。内容はシリアのパルミラという古代都市についてだった。パルミラにはベル神殿という遺跡や博物館があったが、イスラム国にことごとく破壊されてしまった。この復元作業の一部分を指導したのが橿原考古学研究所だった。文化財を破壊する行為は、文化や歴史を否定するものである。過去の人類の営みへのリスペクトに欠けており、野蛮極まりない。
 もう一つ特別展があった。黒塚古墳から発掘された三角縁神獣鏡33面と画文体神獣鏡1面を展示していた。銅鏡がこんなに出てくるのが珍しいとのことだった。さすがに鏡の装飾の違いがわからないので、そのすごさがわかりづからかった。
 常設展示の内容は、旧石器から大和朝廷までで、日本の歴史の黎明期をほぼカバーしていた。展示はとても豊富であり、解説内容も詳しくて、国立レベルの博物館に勝るとも劣らない内容だった。これこそ私の興味のど真ん中だった。まだこんな凄いところが残っていたとは。もっと早くに来たかった。それでもここに来れただけでも不思議な巡り合わせを感じた。
 昼食のお店を探していると迷ってしまい、偶然に古い町並みに行き当たった。おそらく重要伝統的建造物群保存地区であるとすぐにわかった。今井町と書かれていた。スルーしたけど、この時点でもう一度明日香には来ないといけないと思った。
 13時、彩華ラーメン橿原店。本当は天理スタミナラーメンを探したが、近くにあったのは彩華ラーメンだった。彩華ラーメンは2回目。スープには野菜の甘さが出てるが、少し塩辛かった。あっという間に完食。
 14時、飛鳥寺。日本で一番最初の寺。それなのに大学友人Sに教えられるまで知らなかった。すべての仏教の宗派の源であるが、本殿以外にはなく、こじんまりとしていた。ここには日本で一番古い大仏があった。お顔は法隆寺の仏像と似ていて面長だった。長い年月のせいあちこちヒビが入ったり欠けてたりしていた。かなりのインパクトがあった。どこにも国宝と書いてないけど、きっとそうなんだろうと思った。法衣を着たおじいさんがいて、大仏について解説してくれた。お元気でハキハキしてて、とてもいい解説だった。
 後でwikipediaで調べると大仏は国宝ではなかった。後から継ぎ接ぎした部分が大きいらしく、しかもその部分が判然としないらしい。日本で一番古い大仏が国宝でないなら、国宝の基準って一体何だろう?神社だって立て替えるし、後世に継ぎ接ぎしてるものだってある。興福寺にある山田寺大仏なんて、首だけでも国宝。志賀島の金印なんて偽物説が強い。国宝なんて所詮人間の都合による権威付けに過ぎないからな。
 1440、国営飛鳥歴史公園館。公園の一角にある情報発信施設。別に見るべきものはなかった。
 ここに来た元々の目的は高松塚古墳高松塚古墳の壁画は教科書レベルで有名である。高松塚古墳は、きれいな緑色の小山になっていた。整備されてるから古墳とわかるけど、もし草ぼうぼうだったら古墳だとはわからないだろう。石室の入り口は埋められておらず、どこかわからないレベルだった。。
 高松塚古墳壁画館。壁画のレプリカが展示されていた。有名な、女性が描かれている壁画の他にも男性が描かれてるものや、方角を表す玄武、青龍、白虎があった(後で調べると朱雀はない)。天井には星が描かれていて、昔の世界観が表されているようだった。昔の人はどういう思いだったのだろう?
 1545、石舞台古墳。駐車場が500円、さらに屋外なのに入場料300円。これは暴利!これまた教科書レベルで有名。小高い丘に石室がむき出しになっていた。写真で見るほどのインパクトはなかった。写真がいいところを切り取ってるからだろう。札幌の時計台みたいなもん。さて、思いがけず石室の中に入ることができた。中は広くて、石組の間から光が漏れていた。
 石室の前にガイドのおじいさんがヒマそうにしていたので、説明してもらったら、やる気がなくてビビった。説明する気がないならやらなきゃいいのに?何がしたいのか意味不明だった。
 16時、亀石を見に行こうとしたら駐車場が500円なのでパス。この辺りは自転車じゃないとダメかもしれん。
 17時、岡寺の参道にある民宿「若葉」。老夫婦がやっていると聞いていたが、すごくきさくなお二人だった。お客は私だけでまさかの貸し切り。オミクロン株が流行しだしたのでお客が来ないらしく。畳6畳の部屋に座卓と座布団。押し入れから布団を出して寝床を作った。懐かしさがあった。
 明日香は思ったより起伏があり、小さな丘が多かった。丘の全てが古墳に見えて、長方形の空きスペースは寺院跡に思えた。マンガ日本の歴史で見た飛鳥時代の山や寺が出てくるのに、現代の明日香は奈良の田舎で、あまり話題にならないのは寂しいことであった。
 でも、ここ10年のうちに飛鳥時代のブームが来ると予想する。もう他の時代をやり尽くしており、いよいよ登場するに違いない。飛鳥と藤原は世界遺産登録を狙っている。私が行った場所は、富岡製糸場軍艦島も後から世界遺産になっている。ここもまた有名になるだろう。