びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/12/25(土)「Kさん」

 朝方一回トイレに起きてから布団に横になっていたが、仕事のことが思い浮かんで眠れなかった。するとやらなければいけない仕事があることを思い出した。そのためには休む予定だった月曜日と火曜日に会社に行く必要がある。最低限自分の仕事はやっておかなければ、今後その点を責められてしまうだろう。筋を通しておくことは、生活のために必要なことであった。
 こういう感じで起きてからも仕事のことで頭がいっぱいだった。頭の血管がどくどくして、頭痛がした。次から次へと溢れ出す感情のためにまったく幸せではなかった。
 今日は尼崎で一緒だったKさんと会う予定だった。本当なら久しぶりの再会で楽しみなイベントだったが、こんな精神状態で出かけなければいけないことが残念でならなかった。
 家を出る前にKさんの4人のお子さんのために何かを準備するべきだと思った。今日はクリスマスだった。一家水入らずにお邪魔するのだから手ぶらではいけないと思った。思い付いたのは、昨年に岐阜で買った昔懐かしのオモチャたち。コマ、お手玉、グライダー、ストローで膨らます風船、お手玉など。昔を懐かしむために買ったが、結局開封もせずに押し入れの奥に入れっぱなしだった。余り物というのが私の中で引っ掛かっていたので、早く出かけて別の物も用意することにした。
 待ち合わせ2時間前の10時に家を出発。興奮状態であったため車の前で事故らないように祈った。行きの車の中でも頭の中は仕事のことでいっぱいだった。いつものミスチルも耳には入らなかった。国道1号線は予想通り混んでいた。しかし、いつもと違いイライラすることはなかった。
 待ち合わせ場所は瀬田川沿いの「ベイビーフェイスプラネッツ」だった。国道1号線から近江大橋の方に行くと、大将軍という地名が表れた。この地名は大学の研究室で一緒だったTさんが住んでいたところだった。Tさんはうちの大学では珍しく滋賀から通っていた。大将軍という地名は姫路モノレールの駅名にもあるが、どういう由来だろうか?
 適当に道を進むと、瀬田川に直角に合流した。この辺りは大萱といい、同じく大学で研究室が同じだったIさんが現在住んでいるところだった。Iさんが通っている会社はすぐそばで、大きな工場群を形成していた。この瀬田川に直角に合流した三叉路は、どこかで見たことがあった。もしかすると数年前に起きた、右折車が対向車にぶつかり、対向車が歩道にいた幼稚園児の列に突っ込こんだ事故現場ではないか?その現場だったかはわからないけど、いつもより慎重に左折した。
 瀬田川沿いを国道1号線の方に走るとお店があった。待ち合わせには1時間早かったので、近くを散歩することにした。
 ここには漕艇場があり、第1回と第2回の琵琶湖レガッタで来たことがあった。今回Kさんがこの場所にしたのは、漕艇場があったからだった。2回目の琵琶湖レガッタの後に、私がKさんに琵琶湖レガッタを教えて、うちの会社の関西の人たちが3回目の琵琶湖レガッタから参加するようになった。当の私は滋賀から東京に転勤し、しばらく会社の人とは距離を置くスタンスだったため、Kさんと漕艇場で一緒になることはなかった。
 瀬田川の景色は素晴らしかった。対岸には山が迫り、家がところ狭しと建てられていた。そして静かな湖面の瀬田川。見晴らしの良い景色を見ると、今起きてる問題が小さく思え・・・て欲しかった。漕艇場には高校生がうろうろしてたけど、ボートは浮かんでなかった。高校生は私のことを不審者と思ったんじゃないかな?漕艇場の建物には「関西みらいローイングセンター」と書かれたロゴ入りの看板が掲げられていた。まるで銀行の名前みたいだなと思ったが、これって本当に銀行の名前ではないか?まさかの漕艇場にネーミングライツ
 クリスマスプレゼントの買い増しについては、目的のお店の隣にアヤハディオがあったが、そこには目ぼしいものがなかった。反対側にあったヤマダ電機に行くと、なぜかキッズ用のお菓子コーナーがあった。「ねるねるねるね」とか、そういう感じの遊んだ後に食べる系のお菓子が並んでいた。お子さんに喜んでもらえるかどうか独身にはわからなかったけど、何を買ったところでどうせよくわからないし、逆に4人もいたら誰かに当たるだろうと思った。
 12時、「ベイビーフェイスプラネッツ」。駐車場で車から降りるKさん一家を見つけた。旦那さんに挨拶した。旦那さんはうちの会社で私よりはいくつか上で、大昔に東京の同じ建物で働いていたことがあった。話したのは一回あるかないかだけど、優しそうな印象があった。
 元気なお子さんが次々と登場して、最後に車からKさんが現れた。会うのは2年ぶりくらいだった。私が会社復帰した一週間後にKさんは転職していった。挨拶もそこそこにお子さんのことで精一杯といった風だった。お子さんがいたら大変だというのはわかっていたつもりだったけど、まるで戦場のようだった。Kさんは次から次へと当たり前のようにお子さんたちを捌いていった。純粋に凄いなあと思った。
 店は板間でローテーブル。そこをお子さんたちが部屋の隅から隅まで縦横無尽に走り回った。あの手この手で発想豊かにそこらじゅうの物をいじり倒し、3秒後には違うことに興味を示す。カオスだった。でも、そこにはなんの悪意もなく、純真無垢な天使のような笑顔があった。おそらく子供の顔を見れば、また明日も頑張ろうって思えるのかもしれない。子供は希望の星だなあ。独り身のおっさんにはうらやましい限りだった。
 帰り道で、完全に仕事のことを忘れてる自分がいた。子供の前では仕事の悩みなどほんのちっぽけなものに思えた。
 しかし、それもつかの間の平和だった。時間とともに頭の中の悪魔が復活した。血管がビートを刻み、脳ミソがパンパンになった。いくら他のことで誤魔化したところで根本的な問題が解決しなければ薬にはなりえなかった。
 結局、私の人生は私で決めるだけ。ベストを尽くしたら、あとはなるようにしかならない。いつも通りの結論だった。