びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/05/23(日)「北梅田」

 もし、本当に転勤ならば今のうちに大阪を回っておきたい。マルトクの後に出かけた。天気は曇りながらも日差しが強くて夏手前の暑さだった。
 阪神杭瀬駅から珍しく梅田方面に向かった。梅田の一つ手前の福島駅下車。今日は梅田貨物線を狙った。梅田貨物線は大阪駅の北を通っており、特急はるかやくろしおが走っている。梅田貨物線は大阪駅を通らずにそのまま大阪環状線に合流する。梅田貨物線と大阪駅の間にはかつて梅田貨物駅があった。今は梅田貨物線を大阪駅と接続する工事をしていて、梅田貨物駅があった場所には地下線を建設中である。背広氏のYoutubeではもうすぐ梅田貨物線は付け替えになるので今のうちに写真に撮った方がいいと言っていた。
 阪神の福島駅からJR福島駅はすぐだった。JR福島駅では高架になっている大阪環状線の下に梅田貨物線の単線があり、駅前の車道には大きな踏み切りがあった。ここを特急が通過するシーンを動画に撮りたかった。しかしながら、適当に来たものだから通過時間がわからなかった。待てども待てども特急は現れず。ついには諦めて先を急ぐことにした。
 大阪駅の方に歩いていくと、梅田貨物線は大阪環状線から離れ始めた。目の前では地下化工事が行われており、その先には梅田の高層ビル群が見えた。しばらく行くともう一つ踏み切りがあった。線路の向こう側には男性が一人首から一眼レフをぶら下げてうろうろしていた。同業者に違いなかった。すると踏み切りがカンカン鳴り始めた。来たか!同業者は左右をキョロキョロした。ここの踏み切りには方向指示がなく、どちらから電車が来るかわからなかった。しかし、どちらから来るかは音でわかった。デジカメを構えて特急が通過する様子を録画をした。高速で目の前を通過する特急は大迫力だった。
 同業者と別れて、先を進んだ。途中後ろの方で先ほどの踏み切りの音が聞こえた。急いで近くの駐車場の中に入り、フェンスにへばりつき動画を撮影した。大阪環状線の回送だった。こんなとこを走るのか、と思ったら、行きすぎたところで停車した。もしかして留置?
 もう少し行くと、左手にスカイビル、右手には梅田貨物駅跡を潜って大阪駅に行く地下道があった。私は思いがけず強烈に昔のことを思い出した。私は小学校1年まで母親に連れられてこの地下道を毎週火曜日歩いていた。地下道の出口を出たところに日本精工の営業所があり、そこで母親が詩吟を教えていたのだった。この辺りはとても汚れていて殺風景なイメージだったが、今やおしゃれなスポットになっていた。どこかに痕跡がないかと探したが、建物があった場所どころか、道までわからなくなっていた。唯一大阪北郵便局という建物に引っ掛かりを感じたが、それも今となってはわからない。
 引き続き梅田貨物線に沿って進むと、阪急をアンダークロスして、そこには阪急中津駅があった。中津駅なんて数えきれないほど通過しているのに来るのは初めてだった。まさか梅田貨物線の真横だったとは。
 もう少し先に進むと梅田貨物線を潜るガードが出てきた。中国街道というらしかった。このまま新大阪駅まで歩くのも面白くないので、引き返すことにした。
 スカイビルの空中庭園に行こうとした。Youtuberはみんな梅田貨物線の俯瞰図を撮っていた。しかし、緊急事態宣言のため休業だったorz。
 思い出の地下道を歩いた。昔、地下道の壁は無機質なざらざらのコンクリートで真っ黒にすすけていて、ところどころ水が染み出ていた。触ると手が真っ黒になった。照明は薄暗くて、ただ無機質で通れればいいというだけ無骨な道だった。道端にはいつもお遍路さんのような白い格好をした人が座っていた。乞食を見たのはそれが初めてだった。今の地下道はきれいにペイントされて、明るい雰囲気を出そうとしていた。長さもずいぶん短くて、すぐに出口になった。確かしばらく行くと大阪駅の北口だったはず。大阪駅の北口はもともと人通りが少なく寂しい感じだったのだが、今はグランフロント大阪が立ち、噴水で子供が遊び、最先端のおしゃれスポットになっていた。
 いつものますのすしを狙ったが、売り切れていた。補償にいか焼きを買って帰った。
 地下道について調べた。地下道には名前があり梅北地下道と呼ばれていた。もともと500mだったが、今は40mとのこと。大阪駅に地下駅ができると、この地下道も完全に取り壊されてしまう予定だという。あの日一緒に歩いた母親ももういない。時の流れを感じずにはいられない。