びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/10/16(水)休「外来」

 昨晩も大学友人Sと電話した。医療費控除についていろいろ聞いた。2時前まで。
 6時に起きた。もちろん寝不足だった。JR尼崎駅の「すき家」でいつもの玉子かけごはん。dポイントで支払い。
 8時半前に病院に到着。臨床検査部で採血を待っていたらコーディネーターの看護師さんがやってきた。「白血球の型を調べた時の領収書のコピーは会計の時にもらえます」と言われた。昨日ややこしくなるので書かなかったが、実は10/12に領収書は見つけていた。ただ、その領収書は私だけじゃなく弟分も合算されて記載されていた。なぜか私は、2つに分けて発行し直してもらったのではないかと思ったが、再発行された形跡はなかった。ということは2人合算の領収書を阪大に提出して、すぐに返却してもらったということか?コピーを見ればわかると思った。看護師さんには今回調べたまとめを書いたメモを渡した。「ドナーさんの骨髄を運んだ代金は健保で処理。100%還付」「私の白血球の型を調べた代金は阪大で処理。振り込みを確認。100%還付」「キメリズム検査は治療に必要だったら医療費控除に組み込める。治療に必要かどうかは先生しかわからない」。それから口頭で「弟の白血球の型を調べた代金が医療費控除の対象になるかについては税務署の場所によって違うという話でしたが、国税局によれば前例がないということでした。昨日友人に聞いたところ、前例がないというのはよくある返答の一つで国税庁判例にこのケースが見当たらないということです。判断は現場の税務署に任されているらしいです。もし判例にしたいなら裁判をしなければいけないですが、還付額と比べて金と時間がかかり過ぎるので誰もやりません」と伝えた。
 9時半に一連の準備手続きは終わった。診察は1115の予定だった。座っててもすぐに眠くなるので無理矢理病棟に行った。どうやって知り合いに出会うかと考えていたら、談話室で同部屋だったYさんが電話してた。また窓際にはいつものYさんがスマホをいじっていた。窓際の方のYさんに声をかけた。しばらくするとICUに運びこまれたKさんが現れた。痩せてて一瞬誰かわからなかった。退院が決まり、しかもいつでも職場復帰していいとのこと。私より遅く入院して、私より重症だったのに、私より復帰は早いのか。
 10時半外来に戻った。まだモニターには番号は出てなかった。椅子に座ったらすぐに眠くなった。座ったまま寝るのは避けたいが、寝る以外やることがなかった。
 12時半診察。「どうですか?」と聞かれたので「絶好調です。前より調子が上がってきました」と答えた。実際ここ最近はめんどくさいことにも取り組めるようになった。血液検査の結果はまったく問題はなかった。血小板はいつもよりちょっと増えて2万を越え、減少傾向だった赤血球も横ばいだった。これらはいい傾向だった。今日のメインは2週間前のCT結果の聴取だった。あの時点ではまだ左胸の痛みが残っていたので、治ったとは言われないだろうと予想していた。結果は思いの外良好だった。問題となってた炎症はかなり薄くなっていた。それどころかどうしても治らなかったGVHDらしき炎症までよくなっていた。これは完全に治るかもしれないと思った。もらった用紙にはCTの専門医の所見が書かれていた。初めて見た。目についたのは「びまん性の骨硬化像は前回と同じです」という一文。骨硬化?今以上に硬くなるの?そんな症状があったなんて初めて聞くんだが?CTの骨の部分で特に白い箇所がそれとのことだった。びまん性という言葉にいい気分はしなかった。意味は知らないが、リンパ腫の人たちに嫌われている言葉だった。骨のことは今まで出てこなかったので気にしないでおこう。で、「どうなったら会社に行けるでしょうか?」と聞いてみた。「動いてしんどくなければいつでも」と言われた。もう行けるのではないかと思った。ただ復帰に対しては前回の失敗があり少し慎重になっていた。また正直なところようやく元気になってきたので自分の自由にできる時間が欲しかった。「肺炎がもっとよくなるのなら治しておきたいです。次のCTで決まるのかなと思ってます」と言うと「来年の1月を目標にしましょう」と言われた。異論はまったくなかった。この先はどうなるかはわからない。よさそうに見えてもあっという間に暗転したことが何度もあった。もしかすると、これがベストコンディションで与えられた最後の休暇かもしれない。大切に過ごしていこう。
 会計を済ますと封筒を渡された。領収書のコピーを見ると、私と弟分の合算になっていた。
 遅い昼食を一般食堂で食べた。今日は日替わりランチでチキン南蛮。なんかイメージと違うのが出てきた。もっとタルタルソースがエグくないとなあ。ここの味付けは全体的にギリギリ許せる範囲の薄味。
 日本調剤で薬を受け取り、モノレールで彩都西駅へ。Tさんのお見舞いに行った。1週間ぶりのTさんはこないだよりもしんどそうに見えた。笑顔は暗かったし、咳き込んでいた。Iさんの時と似ているような気がした。病気が進んでるのかもしれない。思いがけずTさんは電動車椅子で出かけることを提案してきた。なんと「りくろーおじさんの店」だった。こんな失敗ニュータウンにそんな有名店があるのか?難波にある本店はチーズケーキが有名で、大学時代から行列ができていた。しかし、私は一度も食べたことがなかった。時は過ぎ、尖閣のデパートでまったく同じロゴの店を見つけた。ホテルに持って帰って食べたが、帰国して調べたところ偽物だった。どんな味なんだろうと思い続けて30年。ようやく疑問に終止符を打つ時が来た。Tさんと食べるために30年待ったのかもしれない。15時外出。店ではケーキやパンを売っていて、中には喫茶スペースがあった。喫茶スペースは平日の昼間に関わらず満員だった。チーズケーキはあり得ないくらいふわふわだった。甘さもチーズの味も控えめだった。まるで空気を食べてる感じだった。「デリチュース」の濃厚チーズケーキの真逆だった。さすがにふわふわすぎではないかと思った。それとも私の舌が濃い味に慣れてしまってるのだろうか?Tさんは金曜日に一時退院することになったとのこと。先週焼肉しようと言われていたが、昨日の電話でキャンセルになっていた。奥さんが「片付いてないので止めて」と言ったらしい。そりゃそうだ。何ヵ月ぶりの帰宅なのに家族をさしおいていきなり私と焼肉はないだろう。私は「娘さんも息子さんも待ってますよ。落ち着いたらやりましょう」と言った。帰り際、Tさんの提案で駅前の平和堂に行った。Tさんはスーパー好きである。私は「冷蔵庫買ったから冷凍食品教えて下さいよ」と頼んだ。一昨日の「コスモス」とは品揃えが全然違った。おいしいそうなのをたくさん教えてもらった。私もちゃんとスーパーに行かないとな。16時半に駅で別れた。平和堂の2階から坂を下る車椅子を見えなくなるまで見送った。もうそんなに時間はないかもしれない。来週も会えるだろうか?
 帰りはモノレールで南茨木まで行き、阪急とJRで帰った。明らかに食べ過ぎだったので、夜はコンビニのパスタサラダだけにした。
 CTの所見についてちゃんと調べてみた。難しい言葉で書かれていてよくわからない部分があったのだが、とりあえず肺炎は改善傾向で、炎症は器質性肺炎か炎症かわからないと書かれていた。気質性肺炎について調べると「ステロイドを大量投与した後、服用を続けると80%の人が症状が改善する。ただし、ステロイドの投与を減らしたり、中止すると肺炎がぶり返すことがある」と書かれていた。1月の肺炎の時はまさしくこの治療を受けた。ステロイドを減らしてきてるが、今回よくなってるのはいい傾向に見える。びまん性の骨硬化像については、びまん性とは広く分布するという意味だった。リンパ腫では怖い単語だが、私が怖がる必要はないと思った。骨が硬化する影響については折れたらくっつきにくいのかな。あと骨になにか突き刺すのが難儀するらしい。
 大学友人Sからメールが来てた。昨晩の電話の疑問を調べてくれていた。ただ、時間がなくて移送費の通達に関するリンクしかチェックできなかった。そこには臓器移植の移送費について書かれていた。ふと骨髄移植で調べたら出てくるんじゃねと思った。すると骨髄バンクが作った、患者側の病院とドナーさん側の病院との間の事務手続きに関する手引きが出てきた。そこに書かれていたことによれば、今回の件は次のようになることがわかった。ドナーさんの骨髄を運搬した費用を阪大が立て替えて、私に請求する。私は阪大に振り込む。私は健保に移送費として申請する。申請が認められると保険適用となる。限度額を越えているので100%還付される。ついでに私の白血球の型を調べた代金についても調べた。移植が施行された場合に保険適用になる。あとは上記と同じ。ああそういうことだったのか。法律的根拠まではつかめてないが、やっとからくりがわかった。両方とも保険とは別枠の特別なものと考えていたのがそもそも誤解の原因だった。今度コーディネーターの看護師さんに教えよう。