びーの独り言

どこいくの?どっか。

2016/05/04(水)祝「盛岡」

 0645に起床。身支度を整え、0740に宿の前で恒例の記念撮影。天気はぐずついており、天気予報の通りだった。デジカメの中の私はレコダイの効果が現れていた。もうこれで最後かもなあと思っていたら、オーナーさんから「また会えますよ」と言われたのが嬉しかった。きっとまたそうなるといいな。
 感傷的な気分になり七重浜駅では写真を撮りまくった。全国にたくさんある駅の一つに過ぎないのに、もはや特別な駅になってしまった。いさりび鉄道の自販機では新函館北斗まで買えなかった。五稜郭駅で乗り換えるとき、一度改札を出て切符を買い直した。これはアカンやろ?改善することを強く希望する。
 新幹線接続用のはこだてライナーは予想に反してガラガラだった。東北で見られる車両のように扉から車内が直結していた。特に面白くなかった。
 新函館北斗の乗り換え時間は10分ちょっとしかなかったので、速攻で「鰊みがき弁当」を買いに行った。2年ぶりの「鰊みがき弁当」はあんまりだった。食べすぎて慣れちゃったかなあ。
 新幹線の中はガラガラだった。17×5列=85席に10人しか乗ってなかった。乗車率12%って大丈夫か?新青森でドバッと乗ってきた。津軽海峡の壁は厚いのか?
 1045盛岡駅に到着。今回盛岡を選んだのは戊辰戦争で活躍した楢山佐渡に関心があったからである。盛岡には何度も泊まっているのにちゃんと観光したことはなかった。観光案内所で作戦を立て、循環バスに乗ろうとしたら雨が激しく降っていた。これも旅である。
 盛岡城跡公園に行った。傘をさして回ってると、こんな雨の日に回るなんてという気持ちと、雨なんかに負けるかという気持ちが入り乱れていた。盛岡城はただ石垣が残ってるだけだった。敢えてそういう残し方を選んでるように見えなくもなく。これで百名城なのか?片隅にはもりおか歴史文化館があった。南部家の特集をしていた。いろんなところと同じで徳川幕府成立前後は身の振り方がたいへんそうだった。楢山佐渡に関してはわずかにパネル1枚だけだった。最後のみやげもの屋でなぜか戊辰戦争の本を3冊見つけたが、すごく悩んだ挙げ句荷物になるのでスルーした。
 文化館から出るとすっかり晴れていた。楢山佐渡切腹した報国寺まで歩いた。すごく雰囲気のいい寺だった。でも、楢山佐渡の情報は一切なかった。楢山佐渡のことは黒歴史として葬り去られているのかもしれない。まさしく負ければ賊軍だ。そして平民宰相原敬こそが盛岡のヒーローなのかもしれない。
 やりつくしたのでわんこそばを食べに行った。わんこそばはやすをとの東北旅行以来で98年以来。今回は最初からわんこそばにすると決めていた。東屋という店に行った。座敷にたくさんの長机が並んでいてお客さんが座っていた。机には薬味とお客さんが食べ終えたお椀が重ねられていた。しばらくすると着物姿の年配の女性が薬味を持ってきてルールなどについて教えてくれた。そんなに食べられないですよと言ったら、男性で50〜60杯食べるとのこと。別の着物を着た若い女の子が盆の上にそばを入れたお椀を載せて持ってきた。女の子は「よいしょ」とか「じゃんじゃん」と言いながら、どんどんお椀にそばを入れてきた。リズムを乱すことが悪いことのように思えて急いで食べた。途中で隣の老夫婦がいなくなり、女の子の担当は私だけになった。これはさらにプレッシャーだった。5杯食べるごとにマッチ棒を並べた。自分でも意外なほどマッチ棒が積み上がっていった。最終的に67杯いった。もっといけたけど、苦しくなるのがイヤだったので諦めた。長年もう一回食べてみたいと思ってたのでクリアになってよかった。
 バスで盛岡に戻り東横インにチェックインしたのは16時すぎだった。やることがなかったので映画を観ていた。「KANO-1931海の向こうの甲子園-」、嘉義農林が甲子園で準優勝したときの話。台湾映画だからか演出に若干の違和感があった。