びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/04/29(金)祝「豊岡」

 GW1日目。今回は車で旅行することにした。車に乗って独りで長期旅行するのは初めてのような気がする。滋賀からの旅行は最後だろうから西の方で行きたいところを選んだ。
 今日は日本海側の伊根、加悦、出石を回りたかった。尼崎の時から行きたいなと思っていたが、車がないと無理な場所だった。移動してから観光なので時間がかなり押していた。5時過ぎ起床。6時出発。外は曇っていた。
 名神で京都南IC下車。下道を山陰本線に沿って行くしかないと思っていたら、京都縦貫道があることに気づいた。沓掛ICから乗った。いくつも山間にある鰻の寝床のような町を通過した。
 分岐が現れた。左が宮津、右が舞鶴。必死で宮津舞鶴の位置を考えた。昔乗った舞鶴線北近畿タンゴ鉄道を思い出した。舞鶴だ!右へ曲がるとすぐに綾部PAがあったので、入って地図を確認した。間違ったorz。次の舞鶴西ICで降りて、すぐにUターンした。
 8時半、与謝天橋立ICで降りた。こんなに早く着くとはまったく想定していなかった。嬉しい誤算だった。
 まずは伊根に向かった。伊根は丹後半島の東にある漁村で、重要伝統的建造物群保存地区だった。伊根の特徴は、舟屋と呼ばれる家屋で、海に面した1階が船置き場で2階が住居になっていた。江差とか増毛の鰊番屋と同じ構造だった。海側から見た写真を何度も見たが、現地に行ってどうやって観光するのかわからなかった。なんとかなるだろ?
 行く途中で海の方を見ると、海の中に松林が一直線に延びていた。天橋立だった。天橋立の陸地との接続部を通ると、傘松公園と書かれた看板があり、リフト乗り場があった。おそらく天橋立が展望できるのだろう。
 そのうち道路は海沿いを通るようになった。日本海は水の色がどんよりしていて遠くまで来たという感じがした。道があるだけで、後は山と海ばかり。本当にこの奥に集落があるのだろうか?
 伊根には9時に到着し、あっけなく遊覧船が見つかった。これに乗れば、海から集落を見ることができる。タッチの差で船を逃して、30分待ちになったorz。職員のおじさんに、傘松公園のリフトをセットした券を勧められた。いい機会なのでセット券を1500円で買った。すると、受付のおばさんがかっぱえびせんをくれた。こんなサービスあるんだと思ったら「かもめの餌にどうぞ」と言われた。他には天橋立の「かわらけ」無料券をもらった。なんだ?
 9時半、出港。デッキではお客さんが、かもめにかっぱえびせんをあげていた。かもめの方も慣れたもので、目の前をホバーリングしてたりした。私は写真を撮ろうとしたが、かもめは基本動くので、かなり難しかった。以前から手に餌を持って、かもめを集めてみたいと思っていたが、実際その場になると、指を噛まれたらイヤなので、床に撒いただけだった。後で少し後悔した。
 舟屋は湾に沿って並んでいて、湾の三方向をびっしり埋めていた。どうしてここだけこのような集落が発達し、残っているのかが不思議だった。とても印象的な風景だった。
 天橋立に戻った。雨は台風並みに激しくなっていた。こんなんでは天橋立が見えないのではないかと思ったが、券を買っていたので上ることにした。駐車場は700円。しょうがない。駐車場のおばさんが「雨降ってて残念だけど、これくらいだったら見えるから」と言った。
 10時半のケーブルカーに乗った。最近よくケーブルカーに乗るような?景色はわずかに天橋立が見えたが、雨であんまりだった。
 土砂降りの傘松公園にはほとんど人はいなかった。天橋立は霞んでわずかに見えた。写真に撮ったらかろうじてわかるレベルだった。
 売店でかわらけをもらった。かわらけとは粘土の円盤だった。意味不明。それを投げてわっかの中を通したら願いが叶うらしかった。わっかってなんだと思ったら、崖の下から金属製の柱が延びてて、先っぽにわっかがついていた。スナップを利かせて円盤に回転を与えるのがコツと看板に書かれていた。雨の中、傘をさしながらおっさんがかわらけを投げた。失速して届かなかった。願いは叶わなかった。面白くなかった。
 この公園で有名なのは股のぞきだった。股の間から天橋立を見ると何かがあるらしい。一応ここまで来たのだから、土砂降りでもやってみようか。上下反対になった。ただそれだけ。土砂降りだからじっくり見ることもできなかった。それでもびしょ濡れになった。
 1045のケーブルカーで下山した。滞在時間はわずか15分だった。麓の店で黒ちくわを買った。前にmisterと来た時にちくわを食べた。あの時は太い棒にちくわが刺さっていて、ちくわが棒にへばりついていたが、今回は太い棒からスポッと抜いた状態で渡された。食べてみると、香ばしくて、旨味が凝縮されていて、おいしかった。これはいい。
 次は加悦に向かった。加悦鉄道は国鉄宮津線の丹後山田駅、現在の北近畿タンゴ鉄道の与謝野駅から分岐していた。小学校の頃からこんな田舎に私鉄が走ってることが不思議だった。加悦鉄道にはSL広場という施設があったが、最近営業を止めた。でも、まだ資料館があるようだった。
 与謝野駅からちりめん街道を南下すると、いかにも街道といった風情の通りとなった。道路は狭くて、昭和のまま時が止まったようだった。加悦鉄道跡を探すと、街道に沿って田んぼの中に不自然な白い柵が延びていた。廃線跡はサイクリングロードになってるようだった。
 資料館は終点の加悦駅跡にあるはずだったが、行きすぎてしまった。それでもまだサイクリングロードは続いていた。加悦鉄道の終点から先には大江鉱山までの貨物線があった。ここまで来たら止められない。最後まで見届けるのだ。
 サイクリングロードが途切れた先には、まさかのSLがあった。何っ!11時半、道の駅シルクのまち かや。SLはSL広場のものだった。SL広場のことはすっかり忘れていたので、これは僥倖だった。外からはたくさんの車両と転車台とホーム、駅舎が見えた。スゲー!でも、駅舎はバリケードで塞がれていて、「私有地につき無断侵入禁止」と書かれていた。同業者が侵入するのかもしれない。近くの案内板には、ここは貨物線の終点であることが記されていた。土砂降りの中、写真を撮った。2回目の廃業、寂しさも倍増する景色だった。
 12時、加悦鐡道資料館。資料館は昔の加悦駅の駅舎を利用していた。ここにもSLがあった。こちらは明治に神戸京都間が開通した時のSLで、とても古いものだった。資料館は無料で、おじいさんが一人で管理をしていた。展示はかなり頑張っていてとても充実していた。
 1250、丹後山田駅資料室。北近畿タンゴ鉄道の与謝野駅の中にあった。ここの資料室の存在は加悦鐡道資料館で知った。小さな展示コーナーで、わざわざ足を運ぶレベルではなかった。
 県道2号線で山を一つ越えて、1345、出石。駐車場は前金で300円を料金箱に入れる方式だった。300円がなくて、どこかで崩せないかと思ったが、見当たらなかった。土砂降りで寒いし、トイレにも行きたいし、泣く泣く500円玉を払ったorz。
 出石の町並みはだいぶ観光地化されていて、特にそば屋の密度がヤバかった。全国にそば処はたくさんあるが、こんなにそば屋があるのは初めてだった。
 1405、「山下」。皿そば1人前5皿。1皿にはわんこそばの倍くらいのそばが載せられていた。そばつゆに生卵ととろろとネギを落とした。そばつゆだけで食べると、薄くてあんまりだったが、薬味を入れるとうまかった。生卵ととろろがこんなに合うのか?2皿を追加した。
 出石城跡。ここが但馬の中心であることを知らなかった。なんでこんな奥まったところを本拠地にしたのか?おかげで町並みがよく保存されてるとも言えるのだが。城跡はただ石垣と神社があるだけだった。土砂降りで誰もおらず、地面はあちこちに水溜まりができていた。
 辰鼓楼。明治になって、作られた鐘楼。途中から時計台となった。出石のシンボル。
 1510、家老屋敷。家老の屋敷は初めて見たような?中では大名行列の祭りを紹介していた。
 1540、車に戻った。もう見たいものは見て、充分満足した。寒くて、早く宿に入りたかった。
 1620、豊岡パークホテル。部屋は東横インをよくした感じ。すぐに暖房を入れて、風呂を入れた。ズボンや靴の中をドライヤーで乾かした。
 今日はかなり充実していた。全部回るのは難しいと思っていたから、嬉しい誤算だった。思ったより移動時間がかからないなら、明日以降もうまく行くような気がしてきた。