びーの独り言

どこいくの?どっか。

2015/11/07(土)「同窓会」

 今日は高校の同窓会と大学の集まりが奇跡的に被った。いつ調子が悪くなるかわからない中、昔お世話になった人たちに挨拶できるのもうまい巡り合わせだなあ。高校の同窓会が終わった後、急げば大学の方の懇親会に間に合う。大学の方に合わせてスーツで出発。
 まずは高校の同窓会。おそらく同窓会が開かれるのは初めて。卒業25年周年と銘打たれていた。前日同窓会HPで大体の参加者はわかっていた。学年540人くらいのところ170名が出席、3人に1人の計算。クラブ12名の中では私しかいなかったり。その代わり理研の連中が多かった。
 14時スタートのところ13時半江坂到着。ロビーに行くと知らない人だらけだった。受け付けは3年のクラス別に分かれていた。でも、受け付けにいた女性が誰かわからず。確かにあまり知らないかもしれないけど、こんなにも知らないものかと。するとずっと会いたかったひでおがプロっぽいカメラを持ってウロウロしてた。これでちょっと落ち着いた。受け付けを済まして周りを見渡すとSもいた。Tの結婚式以来だった。今回連絡をくれたTもいた。深いつきあいではないが、それが逆に長く繋がっているのかも?後は3年5組だったO、S、Y、Sなど。当時みんなと話した印象はほとんどなかったけど、25年の歳月は打ち解け合うには十分な期間だった。ほぼ全員に太った太ったと言われた。
 女性陣の顔はほとんどわからなかった。私は高校時代恥ずかしくて女性の方に顔を向けることもできなかった。クラブの女性以外とは会話することが事件であるような状態だった。ただ25年経つと女性への免疫もできており、話してみたい3人がいた。
 Kさんとは、当時過去の住所録を見てたとき、小学校1年のときに同じクラスで、しかも同じマンションに住んでたことがわかった。Kさんの顔はわからなかったので、誰だろうと探すと、すごくかわいくて驚いた。なぜ話題にならないのか疑問に思ったくらいかわいかった。私は勇気をふりしぼって食堂の前で話しかけた。Kさんはとても気さくで「えー!」みたいなリアクションだった。高校卒業後、SとMから担任のO先生の家で麻雀を打たないかと誘われた。2人とはそんなに親しいわけではなく、いじめっ子といじめられっ子という感じだった。そこに行くと、なんとKさんもいた。多分どちらかとつきあってるのだろうということは想像がついた。結局麻雀イベントは3回くらいやった。今となってはいい思い出だ。その後年賀状でSとKさんが結婚したことを知った。Kさんは麻雀してたときと雰囲気は全然変わらなかった。まるで時間が止まっているかのようだった。話してもまったく同じだった。「今やから言うけど、俺昔めっちゃかわいいって思ってたんやで」「なんで早く言ってくれないの!」w。また先生と麻雀したいなあということで一致した。今日はO先生は来ていなかった。今先生の話を聞けば、人生の答え合わせみたいで面白いだろうなあ?断然企画したくなった。
 Mさんには聞きたいことがあった。高一のときの文化祭が終わった後、友人からファンシーな封筒を受け取った。誰かが私に渡して欲しいということだった。封筒には女性ぽい字で私の名前が書いてあった。封筒の絵柄も女性が選ぶものみたいに見えた。その当時女性への免疫がまったくなかったのでかなりドキドキして封筒を開けた。封筒の中には文化祭のときの写真が1枚入ってるだけだった。当たり前と言えば当たり前なのだが、ちょっとがっかりした。とてもよく撮れた写真だった。今でも特別な一枚である。結局その写真を誰がくれたのかはわからなかった。今となってはそのときにすぐに探さなかったことが悔やまれる。だいぶ後になっていつどこで誰から聞いたかは忘れたが、写真をくれたのはMさんじゃないかということを聞いた。Mさんはものすごく気さくな人という印象だった。Mさんに長年の疑問をぶつけてみた。答えは「写真を撮って配ったことはあったけど、あのときカメラを持ってたかなあ」だった。白でも黒でもない灰色。「これじゃずっともやもやする!」と言うと「私が撮ったことにしよう!」となった。それでいいのかもねw。
 Iさんとは実は話したことはないし、顔もわからなかった。Iさんは卒業後に実家に電話をかけてきたみたいだった。親が受けて私に替わろうとすると切れていた。今文章にするとこれだけだが、当時はこれはデートのお誘いではないかとドキドキしたものだった。結局Iさんとは話さなかった。さすがにこれは聞けないような気がした。知らなくていいこともあるよなあ。この話はおしまいにしましょう。
 遅れてwaaaaanがやって来た。相変わらず飄々としていた。歯医者を独立開業したまでは誰かから聞いた。ぼちぼちだと言うので何よりだった。もうたまやん会はやってないらしい。tamayanが運送会社を辞めて、結局佐川急便に就職したので、休みが取れなくなったとのこと。kipのことを聞くと相変わらずたいへんらしかった。いつも理由はわからないが、たいへんだと聞こえてくるw。こちらがdonpaとつるんでることを言うと驚いていた。俺も不思議やわ。
 Iがいた。Iには会いたかったけど、もう会えないと思っていた。名簿にIの名前を見つけたときにはびっくりした。社交性がないのでこういう場所に出てくるとは思えなかったからだ。Iは私が思ってる以上に私に会いたかったみたいだった。私はIに変な奴というイメージを持っていたが、会ってみるとそんなに変じゃなかったし、今となっては逆に心地よいくらいだった。また連絡するので飲もうということになった。
 17時お開きとなった。二次会にも誘われたけど、泣く泣く会場を後にした。すると階段の踊り場に見知らぬ大柄な男性が立っていた。名札を見ると、関東の窓口をやっていた人だった。いい感じで酔っぱらっていた。関東でも飲み会をやってるのでそこで会おうということになった。今回いろんな人と約束をした。これを最後なんて思わず、まだまだ元気でおらなアカンな。
 大学の工学部食堂にタクシーで横付けしたのはすでに日が落ちて暗くなった1815だった。懇親会終了まではわずか45分だった。今回の大学の集まりは、私が学生だったとき助手だった先生の学会賞受賞のお祝いであり、教授だった先生の喜寿のお祝いだった。午後から記念講演があり、夕方から懇親会だった。
 会場に入ると、助教をやってた1年下のKがいた。基本的に大学のことはKがいるから安心だった。今回のイベントもKから連絡を受けた。みんながいる方に歩いていくと助手だった先生がいたので挨拶した。懐かしい研究室の仲間たちはなにも変わってなかった。私も太ったとは言われなかった。おそらく大学の間に太ったのだろう。
 閉会になったときに教授だった先生にも挨拶ができた。卒業以来18年ぶりの再開だった。おそらく今回が最後の挨拶になるだろう。あのとき右も左もわからない私をイチからスパルタで鍛え上げていただき、私の技術者人生の基礎を作っていただいた。社会人になり道に迷ったことも失敗したこともたくさんあったけど、行動の羅針盤として常に私の道を照らしてくれた。心残りなのは、人の役に立つようなことができなかったこと。私の不徳のいたすところであり、たいへん申し訳なく思う。
 その後二次会に行った。いろんな話をしたのだが、江坂で飲んだツケが回って来ていて、ソフトドリンクしか飲まなかったけど、ずっと吐き気があった。ここで頑張らないとどうするの、という感じだったが、もうお腹いっぱいだった。
 西宮北口のネカフェへ。ホテルを取らなかったことをすごく後悔した。今日は盆と正月がいっぺんに来たような日だった。たくさんの懐かしい人に会えて、楽しかったし嬉しかった。ここに来て自分の歩いてきた半生を振り返ることができるとは思わなかった。社会という荒波に揉まれ、一瞬だけ岩場で羽を休める海鳥のような、そんな夢のような一日だった。