びーの独り言

どこいくの?どっか。

2015/10/22(木)年休「大阪」

 1230に病院に到着した。6Fの病室に行ったが、相部屋でカーテンが閉まっていてどこのベッドかわからなかった。廊下に立ってると静かだった。声も聞こえなかったし何も起きそうになかった。時折忙しそうに看護婦が通り過ぎていった。看護婦さんを捕まえてベッドの場所を聞く気は起きなかった。手術は早くて1330の予定だったので1Fに降りてソファーに座った。
 すると父親が現れた。「いつ何が起こるかわからないから着信拒否は止めてくれ。100%大丈夫ということはないんだから。調べたらそんなに長くないかもしれない。」「誰が判断した?」「ワシが判断した。」「素人が勝手に判断するな。医者に判断に従え。」「医者は判断しない。」「だったらなんで昨日になるまで医者とちゃんと話をしてないんだ?今度しょーもない理由で電話してきたら、また着信拒否するからな。大事なとこで繋がらなくても知らんからな。」。いつも腹が立つ。俺の言うことがすべて正しいという態度のくせに、やるべきことをちゃんとやってない。すぐバレるウソをつく。
 父親は6Fに上がっていった。そして14時に電話がかかってきた。「手術するので3Fの待合室に来い」と言われたが、行かなかった。そっから本読んだり、テレビ見たり。何もやることはなかった。弟も嫁さんもいなかった。本当に来る必要があったのか?16時半に「終わった」との電話があった。早く終わったから何もなかったということは想像がついた。17時に「病室に戻ってきた」ので病室に向かった。
 病室の前で父親が待っていた。中で看護婦さんが点滴の準備をしてるらしかった。そこに昨日の先生が歩いてきた。先生が手術したのだろうか?先生は大きくて明るい声で「お疲れ様」と言った。私は頭を下げて絞り出すような声で「お疲れ様でした」と言っていた。「お疲れ様でした」というのはなんだか変だと思った。どうして「ありがとございました」ではなかったのだろうか?私なんか気にせず病室に入った先生は明るい声で手術がうまくいったことを強調していた。看護婦さんに「大きな声で話しかけてください」と促されてそばに行くと、母親は酸素マスクをしていて目線は上を見ていてしんどそうだった。「うまくいったってよ。おとなしくしてたら早く治るわ。」と言うと、昨日の元気がウソのようなか細い声で「遠くから来てくれてありがとう。」と言われた。さすがに悪態をつく元気はないかと思ったら、その後はあまり関係ない話を始めた。すぐに父親が「もう休め」と遮った。
 それからすぐに帰った。結局この2日はなんだったのか?内容からして完全に騙された。私のできることは何もなかった。騙された俺が悪いのか?誰しも年をとり弱ってきていつかは死ぬ。死ぬことからは誰も逃れられない。家族とはなんだろうか?関わりたくなくても、死ぬときには法律が許さない。長生きのリスク、人生の負債。よかった時代は終わった。これからは確実にイヤなものともつきあわなければいけない。もう本当になるようにしかならない。やることやったらそれ以上考えない、それ以外の対策が思い浮かばないわ。