びーの独り言

どこいくの?どっか。

感性の限界

 「理性の限界」「知性の限界」に続く3冊目。これも4回読んだ。
 第1章は行為の限界。よくあるホルモンの話。恐怖心はアドレナリンの分泌。恋愛感情はドーパミンおよびノルアドレナリンの増加とセロトニンの減少で説明できる。恋愛ジャンキーと言うが、本当にジャンキーと同じホルモンが出てたり。ホルモンが持続する期間は2年くらい。愛し合う状態も2年もすれば冷めるということか。
 次のアンカーリングの話は興味深かった。交渉の場では強気に出た方がいいということ。損害賠償請求などで金額を高く請求すると、妥結額も高くなる。強気に出すぎると返って逆効果にも思えるが、そちらは証明されてないらしい。提示された賠償金額には刷り込み効果があり、理屈とは無関係に本能的に反応してしまうそうだ。この戦法ってガチの交渉事や短期決戦だけに通用すると思われ。Kプロが社内でやってるが、仲間内でやるのは卑しいし、今や手の内までバレて、信用が失墜しているんですが。
 またフレーミング効果も興味深かった。フレーミング効果とは、得をするフレームではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする傾向のことである。これを応用するなら、コップに半分の水があるときに、まだ半分あると表現するか、もう半分しかないと表現するかで、相手の印象を操作できそう。複眼的な視点で眺めれば、うまい表現が見つかりやすくなるということだな。
 第二章は意志の限界。ドーキンスの「利己的な遺伝子」に関する内容である。これはよく知られた話。生物は遺伝子の乗り物、遺伝子を複製するために存在している。乗り物の部分の本能はDNAにプログラムされているが、人間では乗り物の枠を越えて獲得した理性がある。ここから決定論か非決定論かの議論になるが、きりがないので省略。
 第三章は存在の限界。前章に引き続きドーキンスが出てくる。生物は遺伝子を複製する機械だが、自分の子供には自分の遺伝子は半分しか伝わらない。何世代も経つと自分の欠片はほとんどなくなってしまう。後世に自分の考えを残すことができれば、自分の存在はずっと残る。このとき伝えるものをミームと呼ぶ。最初ミームの概念を聞いたときには、とても驚き激しく同意してたけど、よく考えれば、人間が人間である限り、完全オリジナルな考えってないような気がする。それだったらミームよりも遺伝子を選んだ方が確実だ。それに自分の生きた証を伝えなきゃいけないという前提がおかしい。人生に決まった目的などなく、意味は自分で持つものだ。
 次のカミュが挙げた不条理に対する3つの方法は衝撃的だった。第一は自殺。自分が消えれば、不条理も消える。ただし、実存する人間は根源的に生を欲するものであり、それを超えてまで自殺を肯定する思想は存在しない。第二は盲信。不条理を超えた何らかの理由を信じること。全知全能の神を創ることも盲信に該当するだろうが、そういう形のない概念よりは実存が優先される。盲信することは哲学的自殺である。第三は反抗。世界が不条理であることを認めて、人生に意味がないことを受け入れる。これを形而上学的反抗と呼ぶ。西洋人が恐れる東洋の思想ですな。
 最後にリベットの実験。これは池谷先生の本に詳しい。リベットが証明したことは、人間が行動するときには、身体を動かすと意識してから身体が反応すると思われているが、実は意識より先に身体が反応している。そして、後から立ち上った意識は、身体よりも先に意識したように内容を書き換えられている。これは衝撃の内容だ。まるで人間には自由意思がないように見える。池谷先生によれば、人間にできることは、自然と動いてしまう身体を止めることだとしている。
 高橋先生の限界シリーズは、どれもとても面白くて、結局盆休みの旅行から今までかかってしまった。こんなに知的好奇心を刺激されまくった本も珍しい。内容を忘れないために書評を充実させてしまった。こういう出会いもあるんだな。読書って素晴らしい。