びーの独り言

どこいくの?どっか。

武器としての決断思考

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

 稲毛海岸ジャスコで購入。平積みになっていた。著者は京都大学の准教授。この著者のことは知らなかった。パラパラとめくると「大学の一般教養で教えている内容」と書かれていた。私は優柔不断で迷うことが多く、最近特にひどくなってきている。決断のセオリーに興味があった。以前読んだ大村氏の期待値や最大効用から選ぶみたいなのを期待していた。
 内容はディベートのやり方の話しだった。理系でいうところの技術論を戦わせることである。正しいことと正しくないことは単純にどちらかに決められるものではない。議題に対して客観的な根拠を示して、最後は主観で判断する、というもの。正しいを主張するには、演繹、帰納、因果関係による証明があり、正しくないことを主張するにはこれらの前提が間違っていることを論破すればよい。ディベートの特徴は議題はあらかじめ決められていて、賛成側と反対側は直前のくじ引きで決める。どちらが優秀だったかは第三者が判断する。
 印象に残ったのは本文の内容と関係のない部分だった。エキスパートではなくプロフェッショナルを目指せという下り。エキスパートの専門知識は時間とともに陳腐化するから、そこに時間をかけるべきではない。私は激しく同意する。専門知識にしがみついても時間に対する効果は薄い。むしろ思考停止している。深く掘り下げるよりは様々な分野に挑戦した方がいい。
 うちの仕事じゃ全くディベートなんてできない。最近の気付きはうちの会社は100%建前ということ。ディベートなんかに持ち込んだら機嫌を損ねてえらいことになること必死。うちの会社で必要なのはディベートではなくて交渉術。ディベートなんて対人でやるんだから、突き詰めれば交渉にならないか。信じるか信じないかだろ?そもそも正しいの根拠ってなんだ?新聞や論文に書いてたら正しいのか?正しいなんてのは人が作り出したルールであって、真に正しいなんてことはないんだよ。
 私のプライベートの意思決定では、気になることを並べて、全体を眺めて優先順位や順番をつけていく。ぶっちゃけ右に行っても左に行ってもなんとかなるんだよ。得な道を行けば堕落するかもしれないし、厳しい道は結果的によいかもしれない。後悔さえしなきゃいいんじゃないか。後悔しても、次頑張ればいいのさ。
 この本は2回読んだ。この本の題名とディベートは直接関係がない。題名に直接関係ないディベートの話しを延々とだらだらやっている。「決断思考」の部分にはほとんど触れることがなく、他人に流されずに自分で考えることが重要とだけ説かれている。最初の導入部分とかは読みやすくてワクワクさせるけど、考えれば考えるほど、たいしたことは言ってない。40のおっさんには余計なお世話だった。確かに大学生には役立つかもしれないけど、経験に基づかない知識で促成栽培の学生を生み出しやしないかと心配だ。こういうビジネス書はまったく生産的でない。著者の印税に化けるだけだ。長い人類の営みであらゆる思考法が検討されてきたと思うが、この本のどこにオリジナルな考えがあるわけか?京大やマッキンゼーの肩書きに騙された。題名詐欺がすべて。