びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/12/05(土)「五條」

 8時半に起床。遅いスタートになったのは、疲れてたのと、あまり向こうでの予定がなかったから。1013発でスタート。
 ジョルダンは不思議な経路を示していた。先週、痛い目に遭ったので素直に従った。
 新今宮で降りて南海電鉄へ。ここの乗り換えはあまり記憶になかったり。1102発急行橋本行き。南海高野線もあまり乗る機会がなかった。河内長野を過ぎてから、山越えとなった。山を越えた所は和歌山県橋本市林間田園都市といういかにも南海が開発しましたよという駅があった。
 橋本で再びJRに乗り換え。1207発奈良行き。奈良まで直通してるのか?単線電化の2輌編成、自動放送で中国語とハングルが入るのが興ざめ。12時半に五條駅に到着。
 五條を選んだのは、五新線の跡があったからである。行くとこに悩みまくってた時に、偶然Youtubeで五新線を見て即決した。五新線とは五條と新宮を結ぶ予定だった未成線であり、五條から城戸の間がバス専用線として2014年まで運行していた。未成線にはとんでもないものが多いが、その中でもこの線は特に酷いと思った。地図を見れば一目瞭然だが、こんな道路も作れないような所によくもまあ長大路線を通そうとしたもんだ。しかも、計画のみならず、着工してるなんて。絶対に政治家が絡んでるとしか思えなかった。
 五條駅は小さいが有人駅だった。しかも待合室ではたなかの柿の葉寿司を売っていた。誰が買うのだろう?駅前に出ても観光案内所がわからなかった。駅に戻ると観光案内所まで10mとなっている。再び駅前に出てよく探すとかろうじて見つかった。引戸が閉まっており、一瞬やってるのか?と思った。引戸を開けると、右奥から優しそうなおばさんが出てきた。良く見ると奥にもう一人年配のおばさんがいた。五新線のことを聞いたが、あまり知らないようだった。残念。
 偶然五條にも重要伝統的建造物群保存地区があった。五條は奈良と和歌山を結ぶ紀州街道吉野川がぶつかる地点だった。町並みはかなりよかった。電柱はあったが、茶色に塗られていた。観光客がいないのに驚かされた。おかげで旅情をじっくりと味わうことができた。
 13時半、うどん屋山直。地元のうどん屋。本当は柿の葉寿司に行ったが、並んでいたので止めた。並んでまで食べるようなものではない。さて、カウンターに座ると、経産省のおもてなし規格認証が飾られていた。そんな規格あるんか?鍋焼きを食べた。家族経営のアットホームな雰囲気でとても居心地がよかった。
 まちなみ伝承館に行った。説明のおばさんがいて1時間以上話し込んでしまった。落語家桂雀太さんのお母さんだそう。今度、Youtubeで探してみよう。とても楽しかった。こういう出会いがあるのが旅の醍醐味。
 15時過ぎ、急いで民俗資料館に行った。五條の施設は軒並み16時に閉まる。民俗資料館では天誅組を紹介していた。これは想定外だった。
 天誅組は、尊皇攘夷を唱え土佐を脱藩した吉村寅太郎が結成したものである。公家と共謀し、孝明天皇の大和巡行に合わせて、五條で代官所を攻撃した。五條を支配下に置き、孝明天皇を迎える手はずだった。しかし、次の日に八月十八日の政変が起こり、巡行は中止になった。そして、幕府から討伐される立場になり、結果として全滅させられた。
 こんなマイナーな事件で資料館を作っているのが凄いと思った。まず坂本龍馬知らないと吉村寅太郎は出てこないし、知ってても覚えてるかどうかという感じ。私も明治維新好きだけどパッと思い出せなかった。これ紹介するくらいなら、教科書にも出ている南朝を先にやるべきでは?それに五新線もしっかりやって欲しいな。
 16時、五新線の探索開始。今日は触りの部分だけ。JR沿いからスタートしたが、いきなり袋小路に迷い込んだり。諦めて国道に出ると、国道を渡るコンクリート製のアーチ橋が!しかも、国道部分だけ除去されている!これは大迫力だった。あまり有名ではないが、未成線の遺構ではトップクラスではなかろうか?ワクワク感が止まらなかった。
 アーチ橋の根元に小路があって、それに沿って進んだ。よく何連アーチ橋という言い方をするのだが、ここのは数えるのが野暮なくらい長かった。やがて重要伝統的建造物群保存地区を越えて、吉野川にぶつかった。そこでアーチ橋は途絶えた。
 吉野川の堤防に立ち、向こう岸を見たが、橋脚跡とかは見つからなかった。堤防の上はたくさんの人が散歩していた。リュックを置いてペットボトルのコーヒーを飲み干すと、空には雲一つなく、夕日で少し赤く染まっていることに気づいた。今日一日いい日だった。
 17時、早々と藤井館にチェックイン。普段、旅館には泊まらないが、おいしいものが思いつかなかったから旅館でご飯を食べようかなと。今ならGOTOで割安だ。この旅館はかなり年季が入っていた。板張りの廊下はギシギシと音を立てた。中は広くて中庭をぐるっと回り込んだ所に部屋があった。案内された部屋には二部屋あった。畳で座椅子、既に布団が敷かれていた。ファンヒーターが回っていた。もう冬なんだな。
 18時半、夕食は食堂室。広い食堂室の三面を漫画が埋め尽くしていた。これは美馬牛のおかせん里の漫画部屋に次ぐ衝撃だった。さて、テーブル毎に席が決められていた。置かれた名札には部屋の名前が書かれていた。料理は期待通り豪華だった。どれもおいしかった。今までの旅行で旅館を選ばなかったのは間違いだったのでは?
 漫画を部屋に持って帰って読んだ。矢口高雄
蛍雪時代2巻。矢口高雄釣りキチ三平で一世を風靡した。矢口高雄以前の釣りを私は知らない。ヒューマニズム溢れる内容にはずっと一目置いていた。蛍雪時代矢口高雄が中学生時代の話だった。東北の寒村で厳しい自然にも常に前向きで明るく、村の皆で力を合わせて生きていく姿に感動した。現代人は物質的に豊かになって生活に困らなくなったために、人付き合いが希薄になって精神的に貧しくなってないだろうか?この漫画は大事なものを伝えてくれているような気がした。第一話「校門を掘る少女」は何度も読み返すほどの名作。
 至福の時だわ。毎週、旅行に行ってるけど、特に今日はのんびりしてる。畳がいいんかな?寝るのがもったいないわ。