びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/03/21(月)祝「避難3」

 今回は地震の避難と乗り潰しをセットにしている。実験できないような会社に、無理して行く必要はないのである。だから、明日は年休を取った。関西では友人たちとの遊びを優先してしまうので乗り潰しが進まない。兵庫には播但線加古川線福知山線などあまり話題に上がらない微妙なのが残っていた。が、6時にネカフェを出ると眠いわ雨は降ってるわで、会社行った方がいいのでは、と素で思った。今の会社と旅行のどちらが自分のやりたいことかわからないとは。自分の相変わらずのアホさ加減に嫌気が差した。それでも現実は予定通り。西宮−姫路−寺前−和田山−豊岡−西舞鶴天橋立−福知山−綾部−東舞鶴
 播但線は陰陽連絡線の一つである。姫路と和田山を結んでいる。和田山では山陰本線に接続しているが、一体どこって感じである。車両は2両でロングシート、なぜかえんじ色でかっこいい。周りは住宅地から徐々に田んぼに変わっていった。他の陰陽連絡線と似たような雰囲気だったが、こちらの方が開けてるような気がした。微妙な植生の違いや建物の違いがあるのかもしれない。寺前までが電化されており、そこから先は一両のディーゼルクロスシートだった。ブルンブルン唸りながら狭い山間を登っていった。期待通りの峠越えが嬉しかった。これって姫新線福塩線と同じパターンだよなあ。
 北近畿タンゴ鉄道は豊岡から宮津を経由して西舞鶴を結ぶ旧国鉄宮津線宮津と福知山を結ぶ未成線を引き継いだ宮福線から成っている。全体がT字になっているので、乗り潰し泣かせの路線である。ただし、格安切符が非常に充実しておりずいぶん好印象だ。まずは宮津線から。豊岡での車両は一両のクロスシート、なかなか年季が入っておりいい感じだ。線形が悪く路盤は不必要に高いところを通っていた。円山川に大鉄橋がかかっていた。三セクには管理がきついだろうに。野田川を過ぎると海沿いになり天橋立が見えた。天橋立駅はその名にふさわしく天橋立の目の前に位置していた。因みに天橋立には車で行ったことがあり、特に観光の必要は感じなかった。天橋立からはかわいいアテンダントさんが乗ってきた。日本海側はアテンダントさんが多い。天橋立の隣は宮津駅宮津の町は山に囲まれた狭い湾に所狭しと家が並んでいた。13日の津波では、こういう町が全壊したんだろう。日本全国、どこにでもありそうな町だ。改めて考えてみると、津波が起きても高台に避難なんて簡単にはできそうにない。高い建物を建てるのしかなさそうだと思った。もう少し進むと、栗田を過ぎて断崖絶壁地帯になった。私は線路を敷設困難な地形に無理に通している姿に興奮する。ここが崩れたら三セクの力だけで復旧できるのだろうか?そんな心配がよぎった。人は乗らないし険しいところを通っている。ここは松浦鉄道のと鉄道に似ていると思った。西舞鶴手前では由良川をガーター橋で渡った。側面の鉄骨や風除けが一切ないので、風が吹けば電車が落ちてしまいそう。逆に有名な撮影ポイントらしい。西舞鶴を折り返し、天橋立で特急に乗り換えた。今度は宮福線だ。未成線だけあって、トンネルでズドーン。まるで智頭急行内子線のようだった。北近畿タンゴ鉄道はいろいろな鉄道の要素が楽しめる。なにより旅情気分満載の路線だった。
 綾部から東舞鶴舞鶴線で、そのまま小浜線になる。舞鶴線では海が見えるわけでもなく特に見所はなかった。なぜ小浜線と分離してるのだろうか?今だにわからない。小浜線は明日にして、今日は東舞鶴に宿泊。
 舞鶴は双子都市で西と東に分かれている。古くは軍港で栄えた町だから何かあるだろうと思ったが、商店街はシャッターが下りていて寂れた感じだった。福知山に戻ろうかと思ったくらい期待はずれ。宿は駅前の「オーブ浜」、6000円。内装は東横インとほぼ同じで、部屋は広くてなかなかいい。居酒屋は港近くの「卑弥呼」、海鮮が食べたかった。店には申し訳ないが、名前が嫌いだし、見た目も私の好みじゃなかった。なら入るなと。おいしいが、ちょっと高いかも。トークはなし。味重視だから仕方ない。昨夏のとほ宿以降、居酒屋トークに魅力を感じてない自分がいるが、味重視で失敗ばかりしてるね。海産物に釣られるのは止めた方がいいのかな?と思ったら、最後の焼鯖寿司が絶品だった。うまいものは本能の奥の方に響く。最近、舌が肥えたかなと思ってただけにこれは嬉しい出会いだった。お会計も3500円でとてもリーズナブル、お店の人、ごめんなさい。