びーの独り言

どこいくの?どっか。

2009/08/26(水)年休「旅行⑤」

 旅行5日目。釧路。始動は0559の網走行き。左側に座って釧路湿原を見てた。2年前のノロッコ号ではイマイチと思ったが、今回は凄いと思った。そのときどきで感じ方が違うんだなあ。斜里からはオホーツク海に沿って進む。ここの感想も湿原と同じ。思わずデッキに立ってジッと見ていた。
 網走には9時すぎに到着。昨年に味をしめて、レンタカー。32000円、せっかくだから大奮発。この旅の主目的は廃線跡巡り(^o^)/、オホーツク海沿いの廃線を回りつくすのだ!
 まずは南に戻り、小清水原生花園へ行った。海沿いの丘に花が咲いている。北海道には原生花園がいたるところにある。ここの特徴は丘の眺めが良いだけでなく、先ほど乗ってきた線路が通っていて駅が設置されている。また、陸側は湿原の中に湖があり、こちらの眺めも抜群だ。00年のやすをとの旅行でも印象に残った場所。ここの景色はやはり素晴らしかった。しばらく眺めても飽きることはなかった。
 さらに南下、斜里も越えて、山の中にある幾科川橋梁に行った。ここは廃線マニアには有名スポットで、私が生まれる前に廃止された根北線の、しかも未成線である。場所を適当にしか調べてなかったので、全く路盤はわからないし、先は険しい山だし、本当にあるのかという気分だった。全然人が住んでなさそうだし、速攻で廃止になったのも理解できた。凄い山奥になっても見つからないときはさすがにあせったが、突如現れた橋は存在感抜群だった。コンクリートの8連アーチ橋、戦時中に作られ、鉄筋を使ってないことが学術上貴重らしい。北海道遺産に登録されている。下をくぐる国道を拡張するため真ん中の部分が撤去されている。この橋だけぽつんとあるから一体こんな山奥でどこに行こうとしたのか不思議な気分になった。独りだけの撮影会、もう二度と来ることはないだろう。
 次はそのまま根北峠を越えて、野付半島へ。この一帯、00年の旅行で行かなかったので、ずっと気になっていた。野付半島オホーツク海に釣り針状に突き出た砂嘴である。地図上では途切れそう。実際もそんな感じだった。進入した途端、別世界の美しさがあった。先に伸びる白くて細い道。道の両側は海。左の海は水色で遠くに知床の山。右の海は湾状になっていて遠浅の湿地帯。そこで考えたのは、ここが美しいのではなくて、かつてはどこにでもあった景色なんだよな、って。東京湾だって昔は干潟だらけだったんだろう。ここはナラワラとトドワラで有名。これは地盤沈下により木が立ち枯れたものである。湿原を歩きトドワラを見に行った。景色は凄く美しかった。反面、トドワラは木が白く枯れてるだけでハテナって感じ。学術的に貴重かもしれないけど、珍しさは感じなかった。
 さらに南下して別海町へ。今はどうかしらないが、日本で一番大きな町だった。1630元標津線の奥行臼駅へ。ここは駅舎や線路がそのまま残っているらしかった。駅逓という建物の前で車を停めると、感じのいいおばさんが掃除をしてた。中を案内されたが、目当ての駅ではなくて、大昔に建てられた休憩所のようだった。おばさんによれば、鉄道ファンが3点セットで回るらしい。2つ目の駅舎は100mくらい離れたところにあった。木造の小さな駅舎、開拓時代の歴史を感じさせた。駅名票も本物。意外にも感動は薄かった。手入れが行き届いてて、きれいすぎるからかもしれない。3つ目は100m離れたところにある町営軌道の跡地。あまり関心はなかったが、置いてある車両が古くて小さくて、自然に朽ちていて、いい味をだしてた。周りも草ぼうぼう。こういう廃な雰囲気がいい。盛者必衰、時間の流れに儚さを感じ、せつなくなってしまう。
 次は西に向かい、元標津線西春別駅へ。ここには交通公園があるらしかった。案内がなくて集落で散々迷って到着したころにはすっかり暗くなっていた。SLが置いてあったが、全て新しく整備されており、当時の面影が全く感じられなくて、全然面白くなかった。
 暗くなった。網走で寝るつもりだったが、そのまま帰るのはつまらないので、思いきって元相生線の終点北見相生駅まで行った。相生線は石北本線の美幌と北見相生を結んでいた。話題になることがあまりなかった路線。地図上ではかなり辺鄙そうだから、小学校の国鉄駅名全百科を読んだときから気になっていた。それにしてもこの本が私に与えた影響は大きすぎるw。さて、相当遠かった。ずっと暗い山の中、景色は見えない、ラジオも入らない。しんどかった。たどりついた集落は店もなくひっそりとしてた。鉄道がなくなってずいぶん過疎化が進んだらしい。郵便局があったので駅が近いと感じた。町の構造、店の並び、道の広さとかで場所が予想できる。見つけた駅は木造でいい雰囲気をほとんどそのまま残していた。駅だけでなく周りも往時の雰囲気を醸し出していた。保存されている車両があって、ライダーズハウスになっていた。駅の裏は道の駅だった。
 網走までが遠かった。着いたら2130だった。町の中に道の駅があって助かった。そこに車を停めて、2年前に見つけた「蒸気船」で刺身定食を食べながら飲んだ。車中泊はひさびさ。寒くて長袖を着た。