びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/11/23(月)祝「海南」

 今日は野上電鉄の廃線跡を探索した。野上電鉄は、日方駅から登山口駅の11.4kmを結び、紀勢本線よりも早い1916年に開業し、1994年廃止された。
 8時半に起きた。セブンイレブンで買ったパンを食べて、9時過ぎに出発。
 海南駅の観光案内所にレンタサイクルを借りに行った。若い女性が座っていた。廃線跡の地図をもらおうとしたら、あんまりわからないみたいで、年配の男性に交代。男性は海南市の住宅地図を持ってきた。思いがけず地図上での探索になった。途中まで遊歩道になっていることは知っていたが、一回途切れることがわかった。遊歩道の後は国道に飲み込まれているようだった。
 9時半、探索開始。日方駅は海南駅のすぐ近くにあった。その辺りはだだっ広い空き地になっていて、一部家が建っていた。日方川の側に観光案内所で教えてくれた石碑があり、駅と本社建屋の位置を示していた。本社建屋は見つからなかった。
 廃線跡は健康ロードという遊歩道になっていた。廃線跡は家の間を進んだ。景色はあんまりだった。予想通り、ずっと上っていた。日中線の時の激闘を思い出した。途中で広場が現れた。ここが駅跡。アスレチックの器具が置かれていた。以後、このパターンを繰り返した。
 突如、遊歩道が途切れた。廃線跡は住宅の分譲地として跡形もなくなっていた。しかも、方向が変わっていたので、事前の予習がなければヤバかった。
 再び遊歩道が始まった。これ、廃線跡じゃなくてもいいから繋いだ方がいいのでは?遊歩道はさらに上り始め小さな山を越えた。すると、すごく遠くまで見渡せるようなまっすぐな道となった。その先は再び勾配を上げて、県道と合流した。その先には野上新橋があった。ここで遊歩道は終わり。8km進んでいた。
 その先の廃線跡は国道に飲み込まれていた。歩鉄の達人の頃はまだ国道ではなく、遺構が残っていたようだが、wikipediaによれば国道になったとされていた。実際、探してみたけども何にも見つけられなかった。国道は歩道が広くて走りやすかった。引き続き紀美野町の遊歩道となっていた。
 終点近くで左手の離れた所に昔の野上電鉄の車輌が見えた。歩鉄の達人に書いていたお医者さんの私物だった。そこに行こうとしたら、今度はやはり歩鉄の達人に書いていたくすのき公園にある野上電鉄の車輌が見えた。
 12時、終点に着いた。山に囲まれた貴志川の狭い河岸段丘。よくこんなとこまで延ばしたもんだと思った。登山口駅は丸十バスのターミナルになっていた。歩鉄の達人によれば、痕跡はないとのこと。
 国道はすぐに貴志川を渡っていた。そう言えば、野上電鉄は高野山を目指しており、未成線跡もあったはず。橋から橋脚が見えるらしい。探してみたが、それらしきものはなかった。ネットで調べた。いくつか遺構を見つけた。時間があったので未成線も調べることにした。
 橋脚だから簡単に見つかるだろうと思ったらなかなか見つからなかった。国道は山を上っていた。これを進むかどうか迷った。でも、ここまで来たのだからと頑張って上った。しかし、道はどんどん高くなるばかり。川は相当下の方になった。本当にこれでいいのか?進んでいくと下りに変わり、山を一つ越えた。そこにも橋があった。橋の上から見ると、遠くの川の中に倒れた橋脚が2個転がっていた。やっと見つけた。国道をもう少し進むとまた山越えとなった。途中で倒れた橋脚がよく見える場所があった。こんな山奥に不釣り合いな人工物。不思議な光景だった。
 山を越えた所には支流があり、そこにも橋脚があるようだった。1個は簡単に見つけたが、情報ではもう1つあるらしかった。なかなか見つからなかった。諦めて帰ろうとしたときに発見。これにて未成線探索は完全制覇。登山口駅に戻ったのは13時だった。
 帰りはもと来た道を戻るだけだった。基本下り坂なのでラクだった。1330、野上新橋のセブンイレブンで昼食にした。おにぎりがいつもよりおいしい気がした。その後、オークワ海南幡川店で、梅干しとあんぽ柿を買った。おばちゃんが「土産物屋じゃなくてスーパーで買い」と言ってたからだった。14時半過ぎに観光案内所に自転車を返した。
 1510の和歌山行きで直帰した。17時半過ぎに尼崎到着。風月で思いっきり食べた。でも、食べきれず。旅行の最後に食べるのは本当に止めよう。
 この3日間はとても充実していた。そんなに期待してなかっただけに、予想外の結果だった。湯浅はそこそこだったのだが、まさか紀州鉄道に行けて、先っぽの廃線跡まで行けるとは思ってなかったし、さらには道成寺の説法もインパクトがあった。民宿のおばちゃんには、しゃべりを期待していたが、期待を遥かに越えていた。有田鉄道の動態保存や野上電鉄の未成線も想定外だった。ちょっと和歌山のこと甘く見過ぎてた。これは何回も足を運びたくなるレベルだった。