びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/08/04(月)「独り言」

 ハイゼンベルク不確定性原理は、「微粒子の運動量と位置を同時には決定できない」というものである。ミクロな世界のみならず、マクロな世界でも似たようなもんじゃないだろうか。人の存在はぼんやりした確率的なものである。相手のこともぼんやりしてよくわからない。そこで私がグーを出せば、それを見た相手はパーを出す。私の戦略がわかった瞬間に相手の戦略も決まる。誰にでも通用する必勝なんて存在しない。人は揺らいでいて、一番期待値が高いと思われる戦略をとるだけだ。
 ゲーデル不完全性定理は、「本の目録を作るときその目録自体を目録に乗せるべきか」という例えで用いられる。これは数学自身が矛盾を含んでいるという興味深い証明である。人の存在も矛盾を含んでるのだろう。生きてることは揺らいでる状態であり非平衡なのかもしれない。ニュートラルでは生も死もないと思われる。死は恐れるものではなく神の思し召し。神の下では皆が平等。神は存在しないけど、人類最大の発明。
 では、個人てのがなんだと言えば、まず第一に意味がない。第ニに、自分で意味を与えるなら、認識力の差が個性かと。どこまでも楽しんだもん勝ち。物事は2面性があって、悲惨だと思われる中にもなにかしらの光明がある。ただ悲惨だと捕らえるよりも、悲しくて苦しいことは認めてしまって、逆にそいつらを越えていくことが、強いんじゃないだろうか。誰かにあいつよりマシだと思われるのより、人がうらやむような過ごし方を目指したいもんだ。