びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/07/25(日)「関」

 起床は6時半。障子から日の光が射していた。手を洗おうとしたら、途中から水が冷たくなった。井戸の水を使っているのだろう。0710チェックアウト。
 早朝の郡上八幡は昼間の喧騒とはうって変わって、本来の落ち着きを取り戻しているように見えた。耳を澄ますと水の音が聞こえてきた。郡上八幡には多くの水路が張り巡らされていた。清々しい木の匂いもした。周囲が山に囲まれているからだろう。これらの雰囲気が郡上八幡を私にとって特別なものとしていた。
 0756発の電車は、チャギントンのラッピングがされて、残念極まりなかった。チャギントンとは機関車トーマスのようなもので、電車を擬人化したアニメのキャラクターだった。長良川鉄道の集客策だろうが、これは長良川鉄道の本質を見失ってると思わせた。長良川鉄道は自然で素朴なところがいいのに、こんなキャラクターもんなんて風情も何もあったもんじゃなかった。
 さらに中から見ると、窓までラッピングされていた。景色は透けて見えたが、景色はラッピングの色に染まった。せっかくの観光資源である車窓の景色が台無しだった。こんなん本当にあり得ないと思った。一体何を考えてこんなことしてるのか?私はロングシートの一番前に座り、ラッピングされていない、前面展望を見ていた。
 9時に関駅。まさかの1両増結。次の刃物会館前駅で下車。
 刃物会館にはずっと来たかった。面白いとの噂を聞いていた。どんな感じで説明してるのだろうかと期待した。中に入って驚いた。いろんな刃物をガラスケースで展示していたが、どれも売り物だった。刃物の作り方など一切説明はなかった。10分で撤収した。
 捨てる神あれば拾う神ありで、近くには関鍛治伝承館があった。ここは関の歴史を紹介し、日本刀の作り方からその見方まで説明していた。なんとなく日本刀の基本がわかったような気がした。ただ何が名品の条件かまではわからなかった。
 11時、フェザーミュージアム。フェザーとはカミソリのメーカーである。企業博物館まであるのはラッキーだった。カミソリの作り方がわかっただけでなく、医療用のメスやミクロトームとかも作っていることがわかった。刃物って今は替刃が主流なんだな。1210撤収。
 目の前に鰻屋があったが、並んでいた。先を急ぐと強烈に煙が出ている場所があった。そこにも鰻屋があり、たくさんの人が並んでいた。前に美濃市に行った時、鰻を食べておいしかった。この辺は鰻が有名なのだろうか?全身おいしい匂いに包まれて腹が減っただけだった。
 次に行こうとしていた岐阜県博物館はJR岐阜駅と長良川鉄道関駅の間の関駅寄りだった。バスで行くのだが、バス停からも結構歩くようだった。
 長良川鉄道の関駅からバスに乗ろうと、重い荷物を抱えながら炎天下の中を走ったのだが、タッチの差で逃してしまった。30分待ちとなった。もう長良川鉄道に乗って帰ろうかと思ったら40分待ちだった。
 予定通り1303のギフハブに乗車した。乗客は私だけだった。ペットボトルで水を飲んでると「お客様にお願いします。バスの中での飲食は大丈夫ですが、ゴミは持ち帰って下さい」。俺に言ってんの?別にリュックにしまったのだが?小屋名で下車した。
 見渡す限り田んぼで途方に暮れた。どこに博物館があるんだ?すると、柵に小さな案内板があるのを見つけた。田んぼの中の道を歩くと橋が出てきた。小さな橋を渡ると、川の中に鮎釣りの人がいた。岐阜は川が多い。博物館は大きな公園の中にあった。公園の中からさらに300m歩かされた。
 博物館入口の前の道は急坂になっていて、スロープカーというゴンドラのような乗り物があった。なんだこりゃ?テンションが上がった。レールは一本でギア式。いかにも遊園地にありそうな感じだった。エスカレーターじゃダメだったのか?
 博物館に着いたのは14時前だった。結論から書くとこの博物館は巨大だった。通常の県立博物館の3倍の規模があった。岐阜県の歴史を紹介するだけでなく、化石、動植物、岩石までもカバーしていた。さらに特別展、企画展、別館でイベントもやっていた。一字一句を丁寧に見る私のスタイルでは一日あっても無理だっただろう。とりあえず歴史と生物の半分だけ見た。いつかまたリベンジしたい。
 1612小屋名停留所からギフハブでJR岐阜駅。
 18きっぷ使用。1706新快速大垣行き。大垣で乗り換え米原駅へ。米原駅からは1817発新快速で一気に尼崎駅へ。
 今回の旅行は、郡上八幡で大チョンボした以外はよく頑張ったと思う。地味に早起きした効果が大きく、時間を最大限使えた。お盆はちゃんと計画すること。

2021/07/24(土)「郡上八幡」

 起床は4時半。TVのニュースでは昨日の開会式を伝えていた。聖火の最終ランナーは拍子抜けだったけど、まさかQueenの「Teo Torriatte」が流れるとは。この曲を初めて聞いたのは高2の時。初めは変な曲名だなと思った。Sydneyduckに教えてもらうまで日本語とは気づかなかった。しかし、そのうちどんな日本の曲よりも優れていると思うようになった。この曲想や世界観は日本人には描くことはできないと思った。しかし、この曲はアルバム曲であり、その実験的内容から、表だって流れることはなかった。ごく一部のマニアだけでしか知られていなかった。この曲は確かに今の新型コロナウイルスでソーシャルディスタンスを取らなければいけない世の中にピッタリなのかもしれない。ただ、これ明らかに目的外使用だよな。さすがに奇をてらいすぎなような?
 それにしてもバルセロナオリンピックでもFreddie Mercuryの「Barcelona」が使われていた。Queenにはドラマチックでスケールの大きな曲が多く、オリンピックと相性がいいのかもしれない。ふと「We Will Rock You」だったらシャレにならんかったなと思ったw。
 チェックアウトは5時。JR岐阜駅0526発高山行き。2両のディーゼルが入線。ブルブルと車体を震わせると、排ガスの臭いがした。高山本線は非電化の単線だった。鵜沼で名鉄とのランデブーを見届けた後に、近づいてきた木曽川を眺めるまでがデフォルト。坂祝駅という難読駅を過ぎれば、美濃太田駅。ここで下車。
 美濃太田からは長良川鉄道。今回で4回目になる。1両のワインレッドにカラーリングされたディーゼルが停まっていた。乗客は10人程度で、ほぼ同業者と思われた。進行方向左側で前よりのロングシートに陣取った。ここが特等席だ。0626出発。
 長良川鉄道は旧国鉄越美南線だった。福井県国鉄越美北線と結ばれる予定だったが、鉄道の需要の低下により、ついに結ばれることはなかった。それどころか第三セクターに転換した。長良川鉄道はその名前の通り、ほぼ全線が長良川鉄道に寄り添っている。これほど的確にその体を表す名前はないだろう。
 刃物で有名な関駅を過ぎ、うだつで有名な美濃市を過ぎたら、長良川鉄道の本領発揮である。山間には長良川河岸段丘を形成し、そこには田んぼが広がっていた。険しい山はどこも燃えるような緑で、田んぼもまた鮮やかな緑であった。山の隙間から見える空には夏の入道雲が湧き、長良川の水面は白い波を立てていた。日差しが強く、すべてが輝いて見えた。生命力に満ちた夏のイメージそのものだった。
 その一方で、線路は痩せていて、電車はガタガタと揺れた。まるで遊園地の乗り物のようだった。バラストの間には草が生えて、まるで苔むしたようになっていた。いずれも厳しい経営状況を反映しているように思えた。
 いい席を確保したが、かぶりつきの座席は別の同業者に取られていた。こうなるとポイントポイントでの写真撮影が困難になってしまった。
 郡上八幡を過ぎても、まだ乗ってる人は同業者確定だったw。美濃白鳥駅に停車している時、駅員さんが運転士さんにタブレットを渡していた。あれ?確か廃止になったのではなかったっけ?
 終点北濃駅には0838に到着した。2時間乗ってどん詰まりとは。何時来ても最果ての寂しさがあった。北濃駅は、鉄オタたちの大撮影大会となった。何回も来ている私だが、負けじと撮りまくった。すべての物が撮影の対象だった。
 0854北濃駅から鉄オタ電車が発車。今度はかぶりつきの座席を確保。テツという人種は行きに価値を見い出すが、帰りは軽視しているように思う。そこをうまく狙った。席では飽きたらずかぶりつきに立った。特等席だった。すべてを一人占めしてる感じだった。美濃白鳥駅に着いた時、前のドアにもたれてたら、運転士さんにドアを開けられた。間一髪で避けたが、驚いた。運転士さんが怒ってるのかもしれないと思い、かぶりつきからは撤退した。
 0936郡上八幡駅下車。この旅の目的は郡上八幡でおどるつもりだった。骨髄移植から3年経とうとしてるし、思いっきり羽を延ばしてもいいかなと思った。今日は有名な徹夜おどりではないが、徹夜おどりじゃない日でもおどりは開催される。そっちの方が断然人が少なかった。急遽行くことに決めたから宿はめっさ高かった。でも、それだけの価値はあると思った。
 さて、駅では小さな市場が開かれていた。活気があった。昔駅舎に併設された鉄道コーナーはなくなってて、おしゃれな喫茶コーナーになっていた。
 コミュニティバスの時刻表がなく、なくなったかと思ったら、そこにコミュニティバスがやって来た。結構乗っていた。0945スタート。10時郡上八幡城下町プラザ下車。
 まず郡上八幡城に行こうとしたが、荷物を預けたかった。今日泊まる旅館が目の前だったのでダメ元で預けられるか聞いてみた。若いおかみさんが出て来て、預かってくれることになった。ついでに聞いてみた。「今日の踊り何時からですか?」「今年中止になったんですが」。エエエエエエエーーーーーーーーーΣ(Д゚;/)/。爆死した。こんな酷いことは記憶になかった(パスポート事件を除く)。別のとこに行ってから戻ってくることも考えたが、あまりにも悔しすぎた。せっかく来たのだからスケジュールはそのまま続行することにした。この町は雰囲気がよくているだけで楽しいんだからと自分に言い聞かせた。
 爆死したのにはバリバリ予兆があった。大阪の箱物がことごとく休館してたアレ。また大阪文化館がもぬけの殻だったり。調べ方が甘いんだよな。今回、ネットで見たのはおどり日程のpdfファイルだった。わざわざ見返して日付大丈夫だなと確認してたのに。なぜお前はHPを確認しない!もし、大阪の箱物の時に対策が打ててたらこんなことにはならなかったはずだ。ミスを繰り返す奴はバカだ。猛省せよ!
 郡上八幡城への道のりは強烈な山道であることは織り込み済みだった。それでもなお強烈な坂道が襲いかかってきた。ひたすら続くつづれおりは、ショックを引きずっている私に止めを刺そうとしてるのかのようだった。時折、狭い道を車が上がっていった。中の人は楽そうで腹が立った。つづれおりには近道があったが、これがまた強烈な階段だった。そういや函館山もこんなんだったなと思った。
 城の前には、誰もが絶対水を買いそうなタイミングのいい売店があった。店のおばちゃんに「おどりに来て」と話すと「申し訳ありませんでした」と言われた。その時、私なんかよりここに住んでる人の方がつらいんだと思った。私は自分の不徳を恥じた。私がやらなければいけないことは、コロナで困っているこの町を応援することだ。
 郡上八幡城の外観は、白くてきれいだった。前に来た時にはかわいそうなくらい蛾が発生していて、壁には繭がつきまくっていた。改善してよかったと思った。
 城の中はもうまったく記憶になかった。記憶にないので二度おいしいと思った。城は歩くとギシギシと音が鳴った。郡上八幡城は日本で最初の再建木造天守である。郡上八幡の町の特徴を考えれば、木造なのは当然の選択だったのかもしれない。天守から見る景色は素晴らしかった。近年、郡上八幡城の評価が上がってきて、日本の城ランキングで18位らしい。これが本当ならかなりすごいことだ。ようやく時代が追い付いてきたかな。
 11時半、そばの平甚。特段美味しいとは思わないのだが、いつもここで食べる。10人くらいが行列していた。飛騨牛丼と自然薯蕎麦のランチにした。飛騨牛丼を大盛にしたのは失敗だった。吉野家を見てわかる通り、牛丼には牛丼にふさわしい肉があり、それは飛騨牛のどこの部位かわからないようなものではないと思った。蕎麦は美味しいけど、そばつゆがあんまりなんだよなあ。自然薯もようわからん。とろろでいいような?
 12時半、郡上八幡博覧館。ここでは郡上おどりの実演があった。ここでなんとか補償したかったが、実演は中止だったorz。そりゃそうだよな。ここは郡上八幡の町の歴史も説明していて博物館的要素もあった。もう何回も見ているが、毎回新鮮である。千葉にいた時に千葉氏は郡上大和で東氏になったと説明していたが、今回しっかり東氏の説明が出ていた。いろいろ繋がってるよな。
 おどりの実演はなかったが、おどりのビデオはあった。郡上おどりには10のおどりがあった。そのうち代表的なのは「かわさき」で、有名なのは「春駒」である。私が好きなのは「猫の子」、これは流れる頻度が少なかった。私は周りに誰もいないのを確かめてここぞとばかり「猫の子」をおどり始めた。やはりビデオだとわかりづらくスッキリしなかったが、少し心が晴れた。「春駒」「かわさき」も同様。
 郡上八幡まちなみ交流館。まちなみ交流館は重要伝統的建造物群保存地区には必ずある。でも、以前はなかったような気がする。やたら施設も新しかった、大正8年に吉田川より北の地区は全焼したと書かれていた。町全体が昔の雰囲気を残していると思ってたが、北側は違っていたとは。博覧館でもちゃんと説明しとけばよかったのに。
 サンプル工房。食品サンプルの店。滅多に旅行でグッズは買わないのだが、これだけは面白いので何度も購入している。年の流れは残酷で、500円だった物が660円になっていた。私が最初の衝撃を受けた薄皮のついたみかんもレベルが下がったような?今回、外の皮をむきかけの薄皮みかんがあった。1500円もしたが、他に欲しいものもないので買った。
 強烈に暑かったので、かき氷が食べたかった。どの店も行列。しばらく彷徨った。このパターン、以前もあったような?郡上八幡に来るときはいつも灼熱地獄だ。
 やなか水の小道を抜けて、あまり人の来なさそうな裏通りに行くと、店があった。一休茶屋。かき氷のブルーハワイを注文。すると店のおばちゃんに話しかけられた。そのうち宿の話になった。いつもは洞泉寺ユースホステルに泊まっていたが、この度廃業になっていた。それで物凄く立地のいい旅館しか空いてなかったが、四条河原町並みの値段に驚いた。「それだったら安いとこあるわよ」と、おばさんはお客の若い男性に「どこ泊まってた?」と聞き出した。男性は「善光寺会館で、4000円くらいですよ」と答えた。それから最近、ウィークリーマンションができて2000円から泊まれるらしかった。今回は急だったので、どっちみち無理だった。次回は是非。
 いがわこみちを抜けて、もう一度さっきの一休茶屋に戻り、辺りをうろついた。この辺りこそが重要伝統的建造物群保存地区であった。前は感銘を受けたが、今回はそうでもなかった。いろんな建造物群をみまくった影響かもしれない。
 宗祇水。郡上八幡の代表的スポット。小駄良川のたもとにある水場で。昔、飯尾宗祇がこのそばに草庵を結んだことに因んでいる。相変わらず川でたくさんの子供が遊んでいた。ここの景色は好きだ。
 17時、旅館にチェックイン。旅館が悪いわけではないが、残念な気持ちだった。
 19時、外に出た。薄暗くなった道の上に大きな提灯が光っていた。本当ならその下で踊っていたはずなんだが。
 店を物色し1920泉坂。前に来たような?鶏ちゃん焼き定食。やはり鶏ちゃんを食べないとな。めっさ旨かった。鶏肉を味噌とキャベツ、玉ねぎ、人参などで炒めたものだが、なぜかご飯がススムくん。昼間の蕎麦より余程おいしかった。
 旅館への帰り道、郡上八幡城、はるか山の上でライトアップされていた。まさしく町のシンボルだった。
 郡上八幡はだいぶ人が多くなっていた。コロナ下で郡上おどりもやっていないのに不思議なことだった。今までその良さが認知されていなかったのが、昨今のSNSによる口コミ、旅行ブーム、古きよき日本への憧れ等で、人気が出て来ているのかもしれない。これにさらに郡上おどりという最強の体験型コンテンツが加われば、末恐ろしい。ローカル線に人が押し寄せると風情がなくなるように、郡上八幡も急速に観光地化しているように思う。私が抱いてた隠れ家的な良さはもはやなくなりつつあるのかもしれない。
 今回、壮大に自爆してしまった。このままでは終れない。いつかまたおどりに来いということなんだろう。その日を楽しみにしておこう。

2021/07/23(金)祝「大垣」

 起床は4時半。昔から旅行と言えば、朝早いのが当たり前だったが、眠い!不当に眠い!あと2時間寝てもいいんじゃないかと思ったが、なんとか正気を保った。
 昨日、デジカメのデータをパソコンに移そうとして、途中で充電がなくなった。仕方ないので朝まで充電してからデータを移そうとしたら、これが思ったより遅くて。予定の電車を逃してしまったorz。
 運良く次の電車でも遅れが取り戻せることがわかり、駅まで猛烈に早歩きした。誰もいない道を鬼の形相で早歩きしてるのだから、周りから何事かと思われたかもしれない。幸いなことに朝の空気は比較的涼しくて快適だった。駅に着いてから5分で、18きっぷとお茶を買った。
 0527の吹田行きに飛び乗った。意外にもそこそこ人がいた。皆さんリュックやキャリーバッグを持っていた。同業者?
 大阪駅で0555始発の快速長浜行きに乗った。朝日が眩しかった。早起きは辛いけど、朝日は気持ちがよかった。これから始まるぞという感じがした。
 早起きすると、弊害としてずっと眠いわけであり、それを補てんするには電車の中で寝るしかなかった。しかし、体勢がよくないので、寝てるのか起きてるのかわからないような状態。スッキリしないまま米原駅に到着した。
 この先トイレがない車両なので、トイレを済まそうとすると、長蛇の列になっていて驚いた。皆さんやはりリュックを抱えていた。
 大垣行きに乗り換えて、終点大垣駅で下車。大垣という町はいまいちどんな町かわからなかった。重要なのかそうじゃないのか?ただ子供の頃、快速と言えば大垣行きだった。
 9時、大垣城大垣城は昔は国宝だったが、空襲で焼けてしまった。名古屋城といい、大垣城といい、アメリカは酷い。その後コンクリート天守が建てられた。Wikipediaによると、郡上八幡城が大垣城を真似て作ったので、郡上八幡城を参考にしたらしい。郡上八幡城は1933年に建てられたので、その時はまだ大垣城が健在だった。
 大垣城の中では思いがけず関ヶ原の戦いの説明がされていた。そう言えば、あの誰もが教科書で習う関ヶ原の戦いについて説明している施設は、つい最近までなかった。大垣城関ヶ原が私の頭の中で結びついていなかったが、大垣城は西軍の拠点だった。関ヶ原の戦いについて詳しくわかったので大満足だった。
 大垣城の城主は代々戸田家が継いできた。実は戸田氏鉄が尼崎城の後に入城したらしい。どこでどう繋がっているかわからないものだ。不思議な縁を感じずにはいられなかった。
 1040に大垣市立郷土館。全然聞いたことのない地元の有名人を紹介していた。飯沼慾斎、江間細香、梁川星巌小原鉄心。本当に知らんけど?1135撤収。
 奥の細道むすびの地記念館。芭蕉伊賀上野の人だから無理矢理ではないかと思った。でも、私は芭蕉が好きだしアリかと思ってしまう。まずは腹ごしらえ。といっても併設の喫茶店でグリーンティーと緑茶アイスを食べただけ。
 12時に見始めた。伊賀上野の説明より取っつきやすかった。奥の細道に掲載されてる俳句は文章とセットであり、創作も含んでいるとのこと。そんな事、伊賀上野では説明してなかったなあ。
 他にもさっきの郷土館で出てきた地元の有名人が再び登場。やたら出てくるけど、この人たちのことを知ってて後々役に立つとは思えないのだが?1335に撤収。
 大垣駅に戻り、1415の名阪近鉄バスに乗った。墨俣下車。
 墨俣一夜城に行った。豊臣秀吉が一晩にして建てた城。見つけてびっくりした。そんなものが現代にあるのかと。急に思い立って行くことにした。そこには立派な大垣城のような城が建っていた。あれ?墨俣城って木の板で囲っている原始的な城ではなかったのか?これでも市立。
 15時から見始めた。昔はもっと揖斐川長良川木曽川が入り乱れていたらしい。悪くはないけど、後は知ってるような話だった。16時半撤収。
 バスの墨俣停留所に戻り、1659のギフハブ・・・ではなく岐阜バス名鉄岐阜駅まで。
 いつもの東横インにチェックイン。入り口の黒板に「鵜飼い3500円」と書かれていた。これは面白い!フロントで聞いたら「休日は予約でいっぱいですよね」。そりゃそうか。
 岐阜ではいい店を見つけてない問題があった。居酒屋なら面白そうな店があるのだが、もう飲まないからなあ。良さげな焼肉屋に行ってみたが、予約でいっぱいだった。
 JR岐阜駅に行った。1828発豊橋行き。18きっぷだからタダ。30分で名古屋駅に到着。いつもの新幹線口へ。
 アカン!ひつまぶしは大行列!いつもの山本屋本店へ。わけわからんくらい高い。うどんの値段じゃない。普通の2倍以上はする。でも、注文する。うまいから困る。高いのも満足度を上げてる気がする。
 岐阜に戻り、ホテルに帰った。TVで東京オリンピックの開会式をやっていた。観客席には誰も座っていなかった。別にリアルタイムで見る必要はなかった。明日も早いので寝よう。

2021/07/22(木)祝「計画」

 待ちに待った4連休初日は家でぐうたらしてた。
 昨晩、急いで旅程を考えたが、どっこも宿が取れなかった。
 今朝、ようやく計画を立てたが、時すでに遅し。明日からのスタートになった。
 それでも盆休みの予約を取らない。

2021/07/21(水)「反応」

 早速メンバーに回覧をお願いした。いつもまったく返信がないのだが、2人から返信があった。仲良くなったOさんと、素振り少年の親からだった。
 Oさんは、否定的な意見であり、別のことをなんとかして欲しいと書いてあった。いや、別のことは関係ないでしょ?
 問題の人は、ワンチャン謝って済ますかもと期待したが、息子のことは一言も振れずにキャッチボールやサッカーなどはどうするんだと言ってきた。さらに別に2つの問題を提起してきた。
 金属バットの代わりにまったく別の問題が3つとなった。これまでの会社生活でこういう返しは記憶になかった。
 答えは容易かった。金属バットのことを言ってるのだから他は別の問題。会社が言ってるのだから守って。新たに起案された問題は、一つは軽微だし、一つは自治会は関係ない。
 わかりやすい比喩を入れようかと思ったが、攻撃材料にされるのがイヤなので一切余計なことは書かなかった。
 向こうが納得するとは思えなかったし、かといってどうすれば良いのかはわからなかった。
 特に返信はなかった。これ以上ゴタゴタするなら、気持ちよく会社に連絡するだけのことだった。
 昨日からこのことを新部長に話していて、盛り上がったのがせめてもの慰めだった。

2021/07/20(火)「苦情」

 昨日、一件の苦情が寄せられた。前の副会長からだった。「社宅の前で金属バットで素振りしている少年がいる。会社に言うと、退去になるので、会長から注意できないか」。証拠写真付きだった。
 昨年、社宅の前からは離れた比較的安全なところで、素振りしている少年がいた。ユニフォームを着て、足を広げて、膝を曲げて、腰を入れて、一振り一振り丁寧に振っていた。見事なもんだなと思うと同時に、社宅の敷地で振ってたら何か苦情が来そうだなと思った。
 実際、そのあとに回覧が回ってきて、そこには素振り禁止と書かれていた。その少年は、どういうわけか社宅の前で素振りするようになった。腹いせに挑発してるのかなと思った。一度注意されても繰り返しているだけに悪質だった。何かしらの処分が下されても不思議ではなかった。
 前の副会長は、その少年が誰か知っていると言った。今朝、メールが届いていて、少年の親はこないだ草刈りを手伝ってくれた現場の主のような人だった。直接言うのは無理だと思った。こじれて恨みを買うだけの恐れがあった。
 とりあえず、現状を把握したかったので前の会長に昨年回覧したファイルをもらうことにした。すると返ってきたメールには「昨年は会社から注意喚起してもらった。会社に連絡した方がいいよ」と書かれていた。ccを見るとすでに人事の人が入っていた。いや、連絡してるやん!ファイルの文面を作ったのは前の副会長だった。おそらくそうだろうと思っていた。前の会長や副会長の反応を見てると、すでにいろいろあったのかもしれない。
 前の会長と副会長と人事には「回覧します、ダメなら直接言います、ダメなら会社と相談します」としておいた。
 会社に逆らっても何の益もないのに、なんでこんなことするのだろう?私にはまったく理解できない。いきなりダメ出ししてもいいくらいだけど、とりあえず穏便に済ましたい。一つ一つステップを踏んで粛々とやるだけだ。

2021/07/19(月)「汚れ」

 一日かけて装置を洗浄する予定だった。インジェクションを酸洗浄したら、狙い通りゴーストピークは消えたが、新たに別のゴーストピークが出現した(涙)。おそらく最初にゴーストピークとなっていた物質が分解したのではないか?
 それとは別に、普段より圧力が少し高めだった。配管に何か詰まってるのではないか?THF洗浄を一晩かけてみることにした。
 汚れが頑固すぎる。洗浄に2日かかるなんて実用的ではない。早く洗浄方法を確立せねば。

2021/07/18(日)「科学館」

 今日は大阪市立科学館に行った。9時半過ぎに出発。阪神杭瀬駅から福島駅。徒歩で中之島へ。大阪市立科学館には以前チャレンジして休館だったことがあった。科学館の前には国立大阪国際美術館。美術館には行かないと宣言したものの、国立なら凄いものがあるのではないか?寄り道してみた。
 企画展を2つやっていたが、まったく誰か知らない人の個展だった。そういうのより常設展が見たかった。インフォメーションで聞くと、現在常設展はやってないとのこと。また敗退した。縁がないんだな?
 気を取り直して、大阪市立科学館。キッズがたくさんいたのは折り込み済み。大体科学館は子供の方に寄せてある。それでも、他にもおっちゃん一人とかもいて、どこか心強くて。
 エレベーターに乗って4階からのスタート。こういうところは絶対に宇宙から始まる。宇宙って普段の生活では忘れているけど、誰もが身近に接している壮大な世界である。子供向けの説明ではあったが、内容は大人でも読むのが難しかった。科学あるあるである。したがって、ほとんどの人は文章など読んでなくて、そこらじゅうにある体験コーナーをガチャガチャいじってはキャーキャー騒いでいた。キッズは多かったけど、自然と隔離されていた。
 12時、プラネタリウム。ここのプラネタリウムは千葉の科学館と似ていて、比較的きれいな感じだった。真ん丸な月が出たと思ったらいつも太陽だったりするw。太陽が沈む時に、宵の金星。通天閣あべのハルカスの夜景が現れてとてもきれいだった。夏の大三角形にてんびん座、さそり座、おとめ座など。星座は苦手なので眠かった。目を瞑ってカウントダウンすると、夜景が消えて、空一面に満天の星。ここまでまったく明石と同じ構成。
 今年はアインシュタインノーベル賞を取ってから100年らしくて、アインシュタインが予測したブラックホールの画像を撮るという世界的プロジェクトについての話が始まった。世界12箇所の電波望遠鏡を組み合わせて、ブラックホールを撮影し、画像を合成していった。これってトモグラフィーでは?その可能性に気づいて妙に興奮した。10年かかって、世界初のブラックホールの画像が得られた。
 プロデューサーが映像の素人だからか、ブラックホールが渦を巻いてるシーンは目が回りそうで気持ち悪かったし、他にも演出上変なとこがいくつかあった。単純にブラックホールの画像一枚を出すためにここまで引っ張る必要があっただろうか?それにこの内容をプラネタリウムでやる必要はなかったのではないだろうか?
 1245、喫茶コーナーでオムハヤシを食べた。
 4階の展示に戻った。いきなり霧箱があるのにはびっくりした。霧箱は宇宙から飛んで来た素粒子を観察する箱である。話は知ってたけど、実物を見るのは初めてだった。こんなキッズばかりのところで、こんな超マニアックな物を置いてるなんて。そしてスーパーカミオカンデの説明に繋がっていくのである。
 企画展でアインシュタインが来日した当時の資料がたくさん展示されていた。アインシュタイン関連は結構見たことあるつもりだったが、知らないものばかりで驚いた。つか、これキッズはおいてけぼりな展示。
 そっからは物理と化学の歴史の説明と、隣では体験コーナーが同時並行した。私は一人でマニアックな説明を読んで、久しぶりに科学の歴史の知識を棚卸しした。昔のSEMとかXRDに釘付けになるのは私くらいのものだろう。
 3階は鉱石からだった。またパワーのかかる展示が(誉めている)。鉱石の展示は初めてじゃないかな?熱かった。科学好きな人は最後に石にたどり着くらしい?
 続いて高分子。高分子のコーナーも初めて見た。天然高分子から合成高分子まで、果ては再生セルロースにシュラック、ザイロンまで。こんだけ高分子をやってくれるのは嬉しいなあ。
 そこで時間切れ。色や臭いは積み残した。2階はキッズコーナーで省略。1階はなんと高圧鉄塔あるやん。一時期スマートグリッドで系統連係を調べた身としては気になる展示だった。この施設は元々電力館だったのでその名残だろう。
 この施設は、キッズを山ほどある体験コーナーに釘付けにし、マニアは説明に釘付けにするという恐ろしい施設だった。誰でも楽しめるだけの懐の深さがあった。小学生は行くべきだし、高校生も行くべきである。もしかしたら、人生が変わるかもしれない。似たような千葉、お台場、皇居と比べても、一番内容が濃かった。この振り切れ方というかノリというかホスピタリティーはさすが大阪だ。

2021/07/17(土)「石橋」

 今日は大阪大学総合学術博物館に行った。大学の博物館は初めてだった。大学ってめっさたくさんのことやってるよな?何を展示してるんだろ?マニア向けで歯ごたえがあることを期待した。
 10時に出発。JR大阪駅ますのすしw。阪急宝塚線で石橋阪大前駅へ。いつの間にか駅の名前変わってるやん。
 大阪大学豊中キャンパスは噂で聞いてただけ行ったことはなかった。東口から国道176号の高架を潜り右折すると踏切。スナックがたくさんあった。大学に行く途中になぜ?国道176号の大きな交差点は石橋阪大下といういかにもという名前がついていた。道路の向こうに博物館への道しるべが見えた。道しるべに従い、左斜め前の狭い方の道を行くと、阪大の入り口があった。キャンパスにいくには右折だったが、博物館には左折だった。古くて大学にありがちな重厚感のある建物だった。
 入場料は無料だった。最初に出てきたのは、世界初の電子計算機であるENIACを真似た真空管の計算機だった。とても驚いたのは、富士フイルム東芝東大グループに先を越された挙げ句に、トランジスタ計算機が出て来て、未完成のまま終わっていたことだった。展示って大体成功した物しか飾らないから、とてもアグレッシブだと思った。「日本の計算機科学に果たした役割は大きい」とまとめられていたのが、その通りかもしれないが、どこか寂しかった。
 湯川秀樹は阪大の助手時代に書いた論文でノーベル物理学賞を取ったとのこと。湯川秀樹イコール阪大のイメージはないなあ。京大ではと思っていた。阪大の研究室に刺激されてと書かれていたが、そうなんかな?
 X線回折でタンパク質の構造解析した話とか細胞融合を見つけたとかなるほどと思う話もあった。
 しかし、展示の大半は阪大の建学までの歴史と豊中キャンパスのある待兼山から出土したマチカネワニの化石、古墳、開発の歴史、昆虫、植生、だった。これでは、総合学術博物館ではなく、郷土資料館だと思った。
 1115に入って1515に出た。もっともっとかかるかと思ってたんだが、なんか生焼けな感じだった。それはターゲット層がはっきりせず、展示が寄せ集めになってて、博物館としての統一感がないからであろう。それでも自然科学系の展示なんてなかなか見られないところをプラスに評価したい。ただあんまり成果が出てないのではないかと思ってしまった。きっと凄い成果はあるのだけど専門的過ぎて説明できないんだろうなと思う。
 昼飯抜きだったので、梅田の阪神百貨店スナックパークでいか焼きを食べた。
 帰り道、家の近所の交差点を自転車で渡って右折した時、背後でガシャンと激しい衝突音がした。振り返ると自転車の若い女性が車と衝突して倒れるところだった。信号を見ると、車の方が青信号であり、女性の信号無視だった。女性はよろよろとなんとか立ち上がったが、あちこち擦りむいていた。
 私は女性に駆け寄り、とりあえず自転車を歩道に移動した。車からは作業着のおっちゃんが出てきて「救急車呼ぼか」と言って電話し始めた。私は女性に「ご家族に電話できる?」と聞いた。女性は頷いて電話し始めた。おっちゃんは救急車と警察に電話してた。
 やがて警官がバラバラに4人くらい来た。私は目撃者としてしばらく付き合うことになった。
 警察は女性の怪我の状態を確認して、自転車を細かく確認した。おっちゃんは免許証と自賠責保険を提出していた。
 周りを見ていると、道行く人がやたらこちらを見ていた。いつもは何かあったのかしらと見る方なのだが。ここは会社の敷地の横、もしかしたら会社でなんか言われるかもしれない。
 警察は、私がどこにいて何を見たかを聞いた。目撃者になるのだろう。住所、名前、生年月日、電話番号、職業も教えた。「実況見分する時に連絡させていただくかもしれません。」と言われた。
 別に事故だから焦るとかはまったくなかった。上野とレンタカーのミラー擦って警察行ったことがあるので、何をすればいいかはわかっていた。今日は博物館に行ったネタにするつもりが、すっかり消し飛んでしまった。昨日も行きつけのセブンイレブンに車が突っ込んでたし、尼崎はどこから何があるかわからないなあ。