びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/07/06(火)年休「海遊館」

 装置の故障対応などで残業が溜まっていた。まだ装置が故障しているから、仕事にならなかった。残業を消化するためにフルフレックスとした。
 平日の休みは貴重である。平日しかできないことをやりたかった。直感的に海遊館が頭に浮かんだ。こないだの須磨海浜水族園ではキッズが凄かった。もしかすると、平日なら混んでないのではないか?
 9時前に出発。JR大阪駅で無理だろうと思ってますのすしを探したらなんとゲットできた。時計は917、幸先のよいスタートになった。地下鉄御堂筋線に乗り換えて、本町駅で中央線に乗り換えようとしたら、そのまま降りてしまったorz。ボーッと生きてんじゃねえよ!再び初乗り運賃を払い、大阪港駅下車。
 1011天保山山頂。天保山天保山公園の中にあり、標高4.53m、日本で一番低い山と言われている。立て札がないとまったくわからなかった。ご丁寧に三角点まで埋まっていた。すぐ近くの段差の方が余裕で高く、悪ノリし過ぎ。完全にネタ。
 10時半、開門と合わせて海遊館。平日だけど、そこそこ人出が。それに隣の方に幼稚園児の集団。これはヤバいかもしれない。入場券は2400円で、水槽を上から眺めるのに1000円必要だった。
 海遊館に来るのは初めてだった。海遊館が出来たのは1990年で、当時は評価の厳しい大阪人にも大人気だった。ここの目玉はジンベエザメだった。その大きさが話題になった。
 入場すると、エスカレーターで8階に上がった。水族館でこれは珍しかった。最初は180度水に囲まれた通路だった。初っぱなからやってくれるわい。思わず旭山動物園を思い出した。
 すぐに水槽を上から見れる所への分岐にたどり着いた。制服を来たお姉さんがいて、靴の裏を消毒してポケットの中の物をすべてロッカーにしまった。
 水槽の上から見る水は青かった。水面まではだいぶ下で、水面の上の通路では職員の人が働いていた。ジンベエザメはすぐにわかったが、遠目なので迫力は感じなかった。制服のお姉さんがジンベエザメの名前を教えてくれた。ジンベエザメは2匹いた。飼育係の人が餌を上げると、ジンベエザメは前進しながら横に細長い口を大きく開けた。餌はオキアミがメインらしい。場所を変えると、別の制服のお姉さんが他のお客さんに説明してた。「ジンベエザメをあそこのクレーンで水槽ごと持ち上げます」、なるほど。
 滞在時間10分。これで1000円はちょっとなあ。実は水槽の上から見るのは美ら海水族館で経験済みだった。美ら海ではお金払った記憶がないんだが?それに美ら海で水槽の上から見たのはメイン水槽を見た後だった。順番大事だよな。
 順路に戻った。世界の海ごとに水槽が並んでいた。魚の絵が書いてあったので、とてもわかりやすかった。また魚の種類もキャッチーで多彩だった。須磨ではほとんどスルーしたのに、ここでは写真や動画を撮りまくりだった。小難しい説明はほぼないに等しかった。ある意味洗練されていた。
 海遊館の順路は、下りのスロープになっており、螺旋状に降りる構造だった。自分が何階にいるのかわからず斬新な構造だった。
 ここのメインは真ん中を貫く太平洋水槽だった。ジンベエザメはここにいた。ジンベエザメのみならず、他にもたくさんの魚が泳いでいた。先ほどのお姉さんの説明では約1500種類いるそうだ。後で知ることになるが、ここの水槽は高さ約9mもあるらしかった。
 とにかくここはキャッチーな魚を揃えていた。きれい、かわいい、大きいみたいな、見た目重視で生態とかは二の次だと思われた。人気のなさそうな魚は最初から排除してるようにも思えた。なにもかもおしゃれであり、泥臭さは感じなかった。「地球環境を考えてみませんか」という問いかけも説教臭くなく、軽いノリに見えた。旭山動物園のような奥深さはまったく感じなかった。都市の水族館では都市のやり方があるのだろう。別にわざわざ楽しみに来ている人たちに厳しい現実を見せつける必要はないのかもしれない。これはこれで筋が通っていると思った。
 12時半、自由軒。実は海遊館と同じくらい楽しみにしていた。新橋の自由軒には何回も行ったことがあるが、そことは系列が別。創業は同じで対立してるってパターン。並んでるかもしれないと思ったら、お客さんは一組しかいなかった。
 名物のカレーは最初からご飯とルーが混ざっていて、真ん中に玉子が落としてあった。ソースをかけてぐじゃぐじゃにかき混ぜた。味は適度にスパイシーで、ソースが酸味、玉子がマイルドに落ち着かせていた。どこかにありそうな味だが、他には思い出せなかった。大阪のB級グルメに君臨するだけのことはある。
 13時、大阪文化館に行こうとした。大阪文化館は元々サントリーミュージアムだったのを、大阪市に寄付したものだった。どういうわけか建物の中はもぬけの殻だった。看板すら出ていなかった。HPはあるし、Googleでも営業中になっているのにどういうことだ?
 どっか別の所に行こうかと思ったが、中途半端になるのがイヤだったのと、家にはダスキンさんが来てたので帰ることにした。
 14時半、帰るには少し早かったので、JR尼崎駅のエディオンに寄り、マウスを買った。今までノートパソコンのポインターを使っていたが、はっきり言って不便で一刻も早くマウスが欲しかった。
 15時、帰宅した。久しぶりダスキンさんと会った。ダスキンさんが風呂を掃除してる時に机のとこでマウスを設定した。廊下から音が聞こえてくると、まるで母親が掃除してるみたいだった。帰り際にいろいろ世間話をした。顔を出して正解だった。
 17時半、USBハブを買いに再びエディオンに行った。さっきはUSBのバージョンがわからず先送りにしていた。ノートパソコンにはUSBポートが少なくて、すぐにでも増強したかった。
 結局、マウスによって劇的に便利になった。それからUSBハブで当面のUSBポートは賄えそうだ。
 海遊館から自由軒の流れは大成功だった。その他、気になるポイントはクリアになったし、今日は大満足の一日だった。

2021/07/05(月)「設定」

 パソコンの設定は大体終わっていたが、なぜかファンクションキーでカタカナ変換をする時に、Fnキーを押しながらf7キーを押さなければいけなかった。ネットで調べると、PC ManagerというHUAWEIのソフトを使うようだった。しかし、まったくうまくいかなかった。画面が全然違うのだが?
 PC Managerにログインしなければダメなのかなと試みると、ひたすら難解だった。日本語の文面やフォントが迷惑メールみたいなんだよな。何回も弾き返されながらなんとかログインすると、画面変わってないじゃん!やっただけ損した。
 ちゃんと機種から調べると、マニュアルが落ちていて、そこにやり方が書いてあった。なんのことはない。Fnキーを長押しすれば、以後はFnを押さなくても済むようだった。なんで初期設定がいきなりトラップなんだ?いやがらせか?
 ああでもないこうでもないと悪戦苦闘していると、どこか懐かしい気がした。PCの設定とは昔から不親切と決まっている。

2021/07/04(日)「草刈り&PC」

 6時に起きた。7時から草刈り機による草刈りだった。この日のためにどれだけ苦労したか。動作チェック、コーナンに買い物、保護具の準備、日程調整、住民へのアンケート・・・全部一人でやった。
 窓から外を見ると非常に怪しい天気だった。アメダスでは小雨が降っていることになっており、草刈り中はずっとその状態のようだった。少し早めに外に出ると、小雨が降ってるか降ってないか微妙な感じだった。決行するか中止にすべきか悩んだ。小雨の場合は延期だが、天気がこれ以上崩れなければ、逆に涼しくていいコンディションなんだが?誰かに相談しようかと思っているとTさんが来た。Tさんは現場の人で役員中一番気合いの入った人だった。「やります?」と聞いたら「降ってへんやん」と言われた。
 事前の動作確認のお陰でスムーズに作業に取りかかれた。しかし、刈らなければいけない草は多かった。刈っても刈ってもなかなか進まなかった。最初、腰痛対策で腰を気をつけていたが、途中から気にしてる余裕はなくなっていた。腕のコントロールもつかず、何度も刃が土に噛み、仕上がりはボコボコになった。暑くてTシャツ1枚になった。マスクも下ろした。作業は終わりがないように見えた。
 作業は社宅の掃除が始まりタイムアップ。1時間半が経過していた。まだ終わってない箇所があった。一旦休憩を入れて、家で水分補給。水を入れた紙コップを持つと震えていた。その後、延長戦。
  なんとか終わったが、来月もまたやらなければいけない。8月は今日より暑くて、草も伸びてるだろう。
 草だらけになったので、洗濯して風呂に入った。何にもする気が起こらなかった。すると、ノートパソコンの様子がおかしくなった。動きが極端に遅くなって、どうにもやりようがない。前々から買い換えたかったので、急遽パソコンを買いに行くことにした。
 JR大阪駅ますのすしを買った後、ヨドバシカメラ。地下のパソコン売場に行くと、若い女性店員がやってきた。マスクで顔が隠れていたが、目元は能年玲奈のような感じだった。その人は私のやりたいことを聞いてきた。「簡単な動画編集がしたい」と言うと、すぐにお勧めを2台教えてくれた。dynabookHUAWEIHUAWEIの方が早くて安かったので、HUAWEIに決めた。オフィスとウイルスバスターをつけて13万円。これで本当によかったかどうかはわからないが、女性店員との縁を信じるだけである。それにしてもオフィスの4万円は暴力的だ。
 帰ってきたのは出発からわずか2時間後だった。早速いろいろ設定した。今までの設定と異なり、マイクロソフトアカウントから余裕のよっちゃんだった。どういうわけかワイヤレスマウスが設定できなかったが、オフィスとウイルスバスターのインストールは問題なく、TVやプリンタの設定もうまくいった。デスクトップに置いてたエクセルファイルはバックアップ以後のデータは消失したが、多少は仕方ないだろう。肝心のマシンスピードはサクサクだった。今回、i3からi7相当になったらしい。それ以前に前のマシンはずいぶん不安定だったからなあ。
 とりあえず困らないレベルまで持ってきた。後もう少し。今日はいろいろ頑張ったよ。

2021/07/03(土)「太陽の塔&民博」

 8時半過ぎに出発。今日は万博記念公園にある国立民族学博物館に行くことにした。JR茨木駅からいつもの病院に行くバスで日本庭園前で下車。
 東口は裏口みたいな雰囲気で閑散としていた。民博には公園に入らなくても行けそうだったが、太陽の塔の中に入れて、当日券があるとのこと。マジで!これは行くしかない。急遽、太陽の塔に寄り道することにした。
 太陽の塔大阪万博のシンボルで、岡本太郎の作品である。子供の頃から万博公園と言えば、太陽の塔であった。ただし、子供心に変な塔だなあと思っていた。その良さがわかるようになったのは大人になってからで、躍動感のあるフォルムと一度見たら忘れないインパクトが素晴らしいと思うようになった。
 万博の時には太陽の塔の内部に入れた、と知ったのは最近のことだった。太陽の他にも顔があることも知った。その時内部はまだ未公開だった。
 阪大病院に入院した時、談話室からは万博記念公園が見渡せた。真正面に太陽の塔の後ろ姿が見えた。太陽の塔の後ろには紺色で正面とは違う顔が書かれていた。子供の頃には裏側はなかったような気がするのだが?
 そのうち太陽の塔の内部が公開された。私は一時的なものだと思っていたので、特に気にも止めてなかった。今日、まったくノーマークだったのでビックリした。
 公園の入場料は260円。太陽の塔まで歩いた。公園は広くて開放感があり、気持ちよかった。これならちょくちょく来てもいいよなあ。太陽の塔の裏側から入場。別途720円が必要だった。
 中は暗くて、展示物が照らされていた。そこには地底の太陽があった。これは当時太陽の塔の地下で展示していたものだった。実物は行方不明だったが、今回復活されたとのこと。照明はLEDで調光して、徐々に赤青黄や模様に変化した。そこに神秘的な歴史を感じさせる荘厳な音楽が流れていた。最近、時々箱物でこういう演出を見かけることがある。凄いなーと思ったけど、万博当時にはこんな演出はなかったのではないかと思った。
 次に生命の樹が現れた。生命の樹は赤くライトアップされていて、太陽の塔のてっぺんまで伸びていた。枝には下から時代順に生物がぶら下がっていた。螺旋階段をどんどん上がっていくと、ブロントザウルスとか恐竜がぶら下がっていて、最後は猿や人間が出てきた。昔はこれらが動いたらしい。
 階段の上からは右手と左手の中が見えた。まず左手は鉄骨作りで先細りしてた。左手にはかつてエスカレーターがあり、そのまま太陽の塔を囲んでいた空中展示に移動出来たらしい。そこにも岡本太郎の作品が並んでたとのこと。右手は左手と同じだが、空中展示からの非常階段が設置されていた。
 太陽の塔の中は、古代からの生命の進化を現しており、素晴らしいと思った。ただ演出が現代的なのはどうかなとも思った。少し煩すぎるような気がした。今日、これを見ることが出来たのは幸運だった。
 11時半、日本民族学博物館。民博には昔、2回来たことがあった(はず)。1回目は小学校6年生の時だった(はず)。面白くて凄くはまった。ニューギニアの首狩族の干し首が怖かった。2回目は中学2年生だった(はず)。塾のクラスのメンバーでパキスタン展か何かを見た。雨が降ってきて、どっかで雨宿りをしてた時に、一人一曲歌おうなと言われて、童謡の赤とんぼを歌ったら、「ソプラノボイスやな」と言われた。そこには、空き缶を回収する自販機みたいなのがあって、空き缶を入れると5円出てきた。凄いなーと思ったが、それを見たのはそれが最初で最後だった。
 今回、大人になって見方も変わっているだろう。小学生が面白いと思ったのだから、簡単な内容ではないかと予想した。
 まずレストランで腹ごしらえ。ハンバーグ定食を食べた。お客さんはあまりいなかった。
 展示は世界の各エリアに分かれていた。まずは順路に従い、オセアニアから回った。初っぱなのオセアニアだけで1時間が過ぎて、全部回れそうな気がしなかった。どうやらオセアニアがやたら充実していたようで、あとはサラッとしていた。それでもボリュームが多かった。結局、4時間半で半分しか回れなかった。佐倉の歴博と同じ運命をたどってしまった。民衆の文化という意味では同じだもんな。
 どうやら私は人間の営みにかなり興味があるらしい。そこに人間の本質があるような気がするのだ。世界の大体の場所で、自然を崇拝し、家族や仲間を大切にし、死者の魂を信じる風習があった。もしかすると、人類のDNAにインプットされたプログラムがあるのかもしれない。だとすると、創造の神もあながちウソではないのかもしれない。
 くたくただった。博物館って、ずっと立っているからいつも1時間で足の裏が痛くなってしまう。床の硬さはなんとかならんものかな?
 中央口からモノレールに乗ろうとしたら、エキスポシティからJR茨木駅行きがあったので飛び乗った。17時半、一か八かJR大阪駅で降りてますのすしを探した。奇跡的に1個余っていた。チャレンジすることは大事だなあ。
 今日は太陽の塔の内部が見れて面白かった。また民博も有意義だった。大満足の一日だった。

2021/07/01(木)「謝罪」

 夜中に気持ち悪くて目が覚めた。頭がおかしくなりそうだった。実は連日のダメージが蓄積してたのかもしれない。冷や汗がダラダラ出て吐き気がした。トイレに行ったら、物凄く腹を下していた。なんか変だ。これは食あたりでは?昨晩景気付けに食べたしゃぶしゃぶが良くなかったらしい。生肉は禁止されているので、下痢以外の症状が出るのが怖かった。脱水症状がイヤだったので紙コップで水を飲んだ。そのまま布団に戻った。
 今日は午前中で切り上げて帰ろうと思った。なぜか装置が壊れた件について別室で四者会談することになった。使えないお姉さんが召集したらしく、スタートから訳のわからないことを言い出した。「何が言いたいんですか」と問いただすと、すぐに新部長が仕切りだした。具体的な対策について、私がまとめた内容を説明した。
 そしたら、急に菱沼さんが言いたいことがあると立ち上がった。また訳のわからないことを口走るのかと思ったら、謝罪の言葉だった。こいつ謝ることができない病気だと思っていたのに、自分の予想が外れたことが残念だった。またすぐに誰かの入れ知恵だと思った。たった2日前に廊下で「腰抜けえええ」と絶叫した奴が取る行動とはとても思えなかった。使えないお姉さんと連携している可能性が高いと思った。
 それにしても、暴言を吐いて悪態をついた挙げ句に、謝罪されたところでどうでもよかった。菱沼さんが本当の意味で反省しているとは思えなかった。謝罪とは、できるだけ早くやればやるほど効果があり、具体的な再発防止策とセットである。そして一番大事なのは、被害者の感情を逆撫でしないで、許されるまで謝り続けることである。菱沼さんにはそのすべてが欠けている。
 私は言葉など信用していない。言葉なんて信じても大体ろくなことがない。口ばっかりで手が動いてない奴なんてごまんといる。甘言を弄する奴には注意だ。世の中にはそんなうまい話など転がっていない。その人が信用に値するかどうかは、その人の行動と周りの評判を聞けば充分判断できる。
 午前中はほぼ無駄な時間だった。私しか使わない装置をここの人たちに説明する意義を感じなかった。装置は担当者制にすると言うなら、なおさらである。難しい技術の伝授は徒弟制であるべきだ。マニュアルを作ったって伝えきれるものではない。そもそもここには伝える相手がいない。
 結局、午前中にやりたいことができなくて、午後からも働いた。故障対応で溜まった残業が消化できない。何もいいことがない。

2021/06/30(水)「反応」

 少し早く起きたので、スマホで録音する方法を探したが、そういうアプリは付属してないようだった。急いで昔に買ったボイスレコーダーを充電した。何かの抑止力にはなるだろう。
 会社で着替えてると、珍しく後輩Hから「大丈夫ですか」と声をかけられた。よほどインパクトがあったらしい。
 菱沼さんは先に来て何事もなかったように座っていた。昨日の今日でよく平気だなと思った。こいつが隣に座っているのはなんという罰ゲーム?
 昼食時に新部長と話すと、菱沼さんの訳のわからなさが充分に伝わったようだった。新部長の情報によれば、かつて菱沼さんが問題を起こした時に心療内科に連れていったらしい。心療内科全然ダメじゃん。
 Yさんから「不信行動」というファイルが送られてきた。そこには菱沼さんの悪行が記録されていた。ものすごい量で、全部読めなかった。Yさんはただ記録に残すしかできなかったんだな。Yさんの無念が伝わってきた。
 実験室にいた時、菱沼さんから話しかけられた。「塩酸と硫酸処分していい?」、菱沼さんはここんとこやることがないのか薬品の片付けばかりやっていた。「いいですよ」と答えた。ただ今思うと、酸なのが不気味だな。
 結局、勤務時間が終わるまで何も起こらなかった。菱沼さんは、すべて「私は悪くない」と脳内変換しているのだろう。菱沼さんがすべてにおいて上から目線なのはこれで説明がつく。理由はわからないが、そうしないととても精神のバランスが保てないらしい。いくら装置を壊したことを指摘しても、絶対に反省することはないだろう。こんな基地外は無視するに限る。

2021/06/29(火)「衝突」

 菱沼さんが装置を壊した件で、反省の様子が見えずワケわからんこと言ってきたので口論になった。すると菱沼さんは立ち上がって「私背が高いんです」と言って私を睨み付けた。私は思わず「また首絞めるんか」と言った。この人には東京の時に首を絞めた前科があった。菱沼さんにとって意外な一言だったのかたじろいだ。「あれは絞めたんじゃない」とか言い訳し始めた。事実は認めるんだ。へー。それからスマホをいじりだした。録音?
 そうこうしているうちに新部長が「装置の話以外するな」と言うと、菱沼さんは新部長に「私異動届け出します」と言った。意外な一言に驚いた。どうぞどうぞ出て行ってください。でも、すでにリストに載っていてどこにも引き取り手がいないんだな。菱沼さんは「外、出ましょ。あなたには言いたいことがたくさんある」と言った。当然行くわけもなく。菱沼さんが部屋の外に出る時に、なんか罵られたので(忘れたのが残念でならない)、「それで結構」と返した。廊下から「腰抜けえええ」という絶叫が聞こえた。
 帰り道で刺されるのではないかと、後ろを振り返りながら帰った。今日じゃなくてもそのうち刺されても不思議ではないだろう。
 思わずYさんに電話した。「無視した方がいいよ」と言われた。
 装置を壊しておいて逆ギレするとは。完全に基地外だ。

2021/06/28(月)「剛腕」

 作業環境測定で第三管理区分となり、早急に是正措置が必要となった。昨年に業者に作業がバレて、測定対象となっていた。昨年は引っ掛からなかったのに今年は引っ掛かった。新部長曰く「昨年は忖度されたんとちゃうか」と言われて妙に腑に落ちた。
 別に作業環境測定するまでもなく、転勤してきた当初から危ないとは思っていた。今まで対策出来なかったのは、装置をドラフトに移動したいのに、そこには別の装置が鎮座してたからであった。
 ちょうど明日該当の作業があったので、すぐに是正しなければいけなかった。他の人の手を借りて、無理矢理ドラフトの中の装置を退けて、そこに問題の装置を組み込んだ。やってみたら意外となんとかなった。こんな機会がない限り装置の移動なんてできなかった。