びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/06/28(金)年休「シマノ」

 東横インあべの天王寺。6時に起きた。6時半、朝食。部屋に戻ってどこに行くか調べた。今回の目的は岸和田だったが、施設は悪の十字架らだった。外は昨晩から雨が降っており、一日中雨の予報だった。825、出発。
 これでもまだ出発が早すぎたので、住吉大社に寄り道することにした。阪堺電気軌道上町線天王寺駅前停留場。乗るのは2011/5/5以来2回目。歩道橋から階段で停留場に降りた。たくさんの人が電車に乗り込もうとしていた。
 電車は完全に路面電車だった。内装は年季が入っており(昭和32年製造)、動き出すとガタゴトうるさかった。楽しくなって、すぐに乗ってよかったと思った。席は全部埋まっていて、わずかに立ってる人がいた。私も電車を味わうために立った。最初は併用軌道だったが、松虫の手前から専用軌道となった。ほとんどの人が松虫で降りた。ここには学校があるみたいだった。東天下茶屋を過ぎると、また併用軌道に戻った。
 住吉停留場下車。料金は230円だった。この停留場には明らかに見覚えがあった。ここで北から阪堺線が合流してきて、そのまま真っ直ぐ南へ伸びていた。今まで乗ってきた上町線は進路を変えて阪堺線に合流していた。実は2016/1/31までは、上町線阪堺線を真っ直ぐ貫いていてX字型に交差していた。
 分岐の向こう側には明らかに怪しいスペースがあり、コインパーキングになっていた。これが廃線跡だった。コインパーキングの中を歩いて行くと、道と交差してその向こうもコインパーキングとなっていた。正面には南海本線の高架が出現し、廃線跡は高架に並行するように緩やかに左カーブした。その先は終点住吉公園停留場だった。住吉からの距離はわずか200mだった。
 9時、住吉公園停留場跡。まだ三角屋根の駅舎が残っていた。そして、隣には現役の南海本線住吉大社駅があった。住吉大社駅も元々は住吉公園駅と言った。実際、駅の反対側は住吉公園に面していた。さて、停留場の駅舎の中は狭くて薄暗い通路となっていた。この通路には見覚えがあった。2011/5/5に私はここに乗り潰しで来たことがあるからだ。住吉停留場からたった200mで、しかも、住吉よりも近くに住吉鳥居前停留場もある。なぜここに停留場があるのか?当時は大変に衝撃的であった。乗り潰しで来た後は、案の定、極端に本数を減らされた。そして、日本で一番終電が早い停留場になった(8:24)。廃止になる時には大学友人Sが乗り来た。たった200mだけど、話題の尽きない廃線跡だった。
 920、住吉大社。このブログを始めるずっと前に魂病会で初詣に来たことがあった(多分)。もちろんその時は神社に興味はなく、入り口の太鼓橋しか覚えてなかった。住吉大社は海の神様を祀っていた。大昔目の前は海で、遣唐使もここから出港したらしかった。日本書紀の中ではここの神様は無理矢理付け足したようなポジションだった。おそらく大阪独自の変化を遂げたのかもしれない。
 本殿は国宝だった。第四本宮、第三、第二、最後は第一。どれも中は見えないように白い布が張ってあった。これは珍しかった。
 ここにはいろんな神様が祀られていた。種貸社は子宝・資本金・知恵の神様で、一寸法師の発祥の地らしかった。それは凄くない?楠珺社は、商売発達、家内安全。やたらと招き猫があった。あんまりかわいくはなかったが。他にもいろいろあったけど、スルー。なんかどれも大阪らしいというかご利益がはっきりしてて商魂に溢れてるというかキリがなかった。
 次の場所の堺東駅に行きたくて、南海本線住吉大社駅まで歩いたが、ここで堺東駅へ行くには一旦なんば方面に戻らないといけないことに気づいた。歩いて南海高野線住吉東駅へ。
 1050、堺東駅下車。昼食を食べたかった。堺東駅は堺の中心と言われたりするだけあり、駅と直結している高島屋があった。ここでは関西シウマイ弁当というものが売っていた。パッケージは崎陽軒のしうまい弁当の色違い。めっさパクりやんけ!と思って調べると、姫路駅のまねき食品と崎陽軒がコラボしたらしかった。なんか味が関西風に変えてあって、付け合わせの具が全然違っていた。余計なことせんでええのに。スルー。この雨でべちゃべちゃの中で弁当食べるのもねえ。
 地下に降りて、11時開店と同時に「とんかつKYK」。KYKにはあまりいいイメージはなかったが、入ってしまった。そして、やっぱりあんまりだなと思った。とんかつが小さくておいしくもない。もう二度と入らないぞ。
 1145、シマノ自転車博物館。今朝見つけた。自転車の企業博物館なんて凄く面白そうな予感がした。入り口はピッカピカの会社みたいで、本当に入っていいのかと戸惑ったくらい。入ってすぐ右奥に受付があったからホッとした。左の方には昔の珍しい自転車が並んでいた。早速写真を撮りまくった。入館料は500円。
 最初に上映があった。自転車の歴史について簡単に説明していた。めっさ引き込まれた。もうこの時点で面白くて仕方がなかった。
 あっさりと2階へ上がった。ここからが本番だった。1817年、自転車の原型とされるドライジーネが作られた。これはペダルがなくて、足で地面を蹴って進むものである。よく小さい子供が乗ってるのと似ていた。その後、前輪にペダルがついて、スピードを出すために前輪が大きくなっていった。けれど、こけたら危ないので、前輪と後輪の大きさを同じにするためにチェーンで力を伝えるようになった。さらに接地面は木製からゴム板になりタイヤとなった。この先も技術革新のオンパレードだった。力学的な強度計算や風洞試験の概念が組み込まれ、果ては女性用や競技用やオフロード用や運搬用やいろいろな種類に分かれていった。一時期自動車に押されたが、最近では健康維持や地球環境に優しいなどの観点から見直しが進められている。
 3階では、特別展「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展。簡単な展示だったが、衝撃の物品があった。ドライジーネよりも早く日本には自転車の原型があった。「陸船車」、1729年に庄田門弥が考案した。詳細はわからないが、船にペダルがついていたらしい。ハンドルはなかった。その3年後の1732年、「新製陸舟奔車」、平石久平次時光。こちらにはハンドルがあった。こちらが日本最古と言われる。
 どれも見ていて本当にワクワクした。今まで自動車とかいろんな装置の仕組みは見たけど、ここまで事細かに説明してるのは初めてだった。ここには自転車のすべての要素があるように思えた。とんでなく大当たりの施設だった。マジで素晴らしかった。
 1540、堺伝匠館。ここでは堺の伝統工芸品を紹介していて、購入することもできた。2階には展示があり、「伝統産業展示」「堺刃物ミュージアム」に分かれていた。
 まずは伝統産業展示から。堺では和晒、昆布製品、線香、和菓子などが昔から盛んだった。和晒は日本手ぬぐいや包帯、昆布製品は北前船から集積。線香は16世紀の終わりに中国から伝わった。ここに来る途中ですごく匂いがしている場所があった。和菓子は茶の湯から。
 堺刃物ミュージアムでは、刃物の歴史、作り方、種類などを紹介していた。鉄製品の歴史は古墳時代の鍬から始まったとのこと。さすがにこれはこじつけではないか?そして、鉄砲から現代の自転車などに続く。刃物にはたくさんの種類があり、作り方もいくつかに分かれていた。
 1階は刃物から和菓子までいろいろなものが販売されていた。おみやげに何か買おうかと思ったが、スルーした。基本的に消えものしか買わない方針。
 南海本線堺駅からなんば駅へ移動した。
 1715、自由軒難波本店。こないだ来たばかり。並ばずに入れた。名物カレー大。スパイシーさを生卵でコーティング。ソースをかけて豊潤。これぞB級グルメ。あっという間に完食した。
 1745、北極。頭の中に子供の頃に見たCMが焼き付いていた。「♪パパさん、おみやげ~。なんだい?北極のアイスキャンデー」。「なんだい?」の重低音が癖になっていた。このCMは昼間しか見られなくてなかなかレアだった。感覚的に他のCMよりも長さが短いような気がしたのだが?
 さて、ここでアイスを買うのはきっと初めてではなかったと思う。でも、店は小さいと思った。本当にCM流してたのって感じの佇まいだった。ペンギンはドンペンのようなピングーのような気がした。
 一番人気と書かれていたミルクを買った。190円。高い!店の向かい側で食べた。人通りがめっさ多くて、おっさんが独りでアイス食べてるのはヤバかった。味は濃厚であまくておいしかった。棒が平べったくなくて、幅と奥行きの長さが同じだった。それに斜めに突き刺さっていて、明らかに失敗作ぽかった。いろいろ食べにくかった。店の旗には「手作りの味」と書かれていた。「手作りとは言ってない」というフレーズが頭に浮かんだ。
 疲れたのでどこにも寄り道をせず、なんばから御堂筋線で動物園前へ。
 1810、東横インあべの天王寺。ひたすらブログを打った。東横インでの一時は一番贅沢だと思う。