びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/06/29(土)「岸和田」

 東横インあべの天王寺。起床は6時。6時半から朝食。8時半に出発。今日こそ岸和田に行くことにした。
 南海本線新今宮駅まで歩いた。御堂筋線の動物園前駅を越えると、前方に高架が見えた。おそらく南海本線だった。景色はどの建物も黒く薄汚れていて、荒んでいた。間口が狭くて、奥行きがあり、背の高い店が並んでいる様子は、まるで中国だった。あちこちにはホテルが建っていた。こういう安宿に外国人が泊まるのだろうか?今はほとんど見かけない咥えタバコのおっさんを3人くらい見かけた。なんならスクーターに乗ってるおっさんも咥えタバコだった。まるで映画かなんか非現実的な世界に迷いこんだみたいだった。
 新今宮駅には阪堺電気軌道阪堺線が来ていた。阪堺線は本数が減らされて、いつ廃止になってても不思議ではなかった。踏切からは停留場が見渡せた。複線であることに驚いた。路面は鉄錆で茶色に染まっていた。恵美須町行きホームの入り口には浮浪者が座り込んでいた。そしてホームには一人だけ電車を待っていた。歩いた方が早いのではないかと思った。
 920、岸和田駅。まずは観光案内所から。地図をゲット。Googleマップでは出てこない情報が得られた。回るところはたくさんありそうだった。
 940、佐々木家住宅。上級武士の武家屋敷で、佐々木の表札が懸っていた。観光地図に非公開の一般の家を載せるのはどうかと思うな。
 945、岸城神社。牛頭天王社と八幡社を合祀した岸和田祭発祥の神社。だんじりだから当然牛頭天王社だよなあ。茅の輪があったので潜っておいた。七夕の準備をしていて、あちこちに笹が置かれていた。
 950、大きな堀の向こうに立派な岸和田城が現れた。再建。三層で大きな千鳥破風。思ってたよりも規模が大きかったので驚いた。これが見れただけで今日は成功だと思った。
 1005、入城。三館共通券は700円。1階と2階は展示になっていた。岸和田城は岡部氏が13代に渡って統治した。展示は丁寧だったが、いかんせんマイナーな大名だし。1040、天守閣。眺めはあんまりだった。海に近い平城だからなあ。
 1045、岸和田城庭園八陣の庭。岸和田城の真ん前にあった。現代風の変わった庭。八陣図?昭和28年に重森三玲が作庭。この人は京都でもよく出てきた。それにしても、なぜ城に庭を作った?。
 11時、だんじり会館。三館共通券の二つ目。これが今日のメインだった。面白くなくてビックリした。こんなにやる気ないとは。何を伝えたいのか、何の熱意も感じられなかった。ただ映像を流すだけ。なぜ始まったか、どういう歴史か、なぜ屋根の上に上るのか、なぜ早回しできるのか、疑問に一つも答えてくれなかった。このような施設は他にもたくさん見てきたが、ここまで酷いのは初めてだった。大阪の施設は外れがないイメージだが、これはアカンわ。即刻全面リニューアルすべき。
 今日はうだるように暑くて、あまり歩きたくなかった。目の前に喫茶店が現れたので昼食。1150、Cafe Couesloe。入った瞬間に小型犬に吠えたてられた。入る店を間違えたと思った。その人は客だったのかすぐに去っていった。ハンバーグプレート。あんまりだった。そりゃ喫茶店だからなあ。
 1240、きしわだ自然資料館。三館共通券の最後。ここはやたらとおすすめされていた。なぜだろうか?2階は自然史系の展示。丁寧な手作り感と実例に溢れており、とても好感が持てた。子供が騒いでいた。きっといい施設なんだろう。3階は剥製がたくさんあった。シロクマ、熊、ライオン、トラ、ヒョウ・・・。とにかくド迫力過ぎて度肝を抜かれた。ちょっと怖くて足がすくんだ。ワシントン条約で取引が中止になってるものも多く、貴重なコレクションだった。これはマジで凄かった。
 岸和田駅1358発で貝塚駅へ。貝塚駅からは水間鉄道水間観音駅は2011/5/4以来2回目だった。ここはお寺風の駅舎で有名だった。
 1440、水間観音。こちらは初めてだった。ここは行基が建てたとされていた。これまで行ったところではほとんど行基は出てこなかったが、行基は堺から大阪南部にかけてたくさんの寺を作ったとされている。さて、ここは三重塔が目立った以外は特に普通だった。観音巡りの寺はあんまり見るものがないんだよなあ。水間鉄道水間観音を推してるけど、実は水間鉄道がなければ水間観音はそんなに有名でもないのかも?
 1505、孝恩寺観音堂。昨日見つけたのだが、国宝だった。ここは鎌倉時代後期に建てられて釘無堂とも呼ばれていた。釘を使ってない建物はたくさんあるとの噂も?建物はえっこれが国宝?みたいな、年季が入ってるわけでもなく何の凄みも感じないどこにでもありそうなものだった。ここにはたくさんの重要文化財の仏像があるようだったが、普段は公開してなかった。大阪の仏像は秘仏が多くて厄介だ。
 1550、貝塚市立善兵衛ランド。建物には白いドームが併設していた。望遠鏡で天体観測できるみたいだった。中に入ると、白髪の元気な職員さんに「こんな曇ってる日になんで」と言われた。でも、私が千葉から来たことがわかると、「伊能忠敬記念館行ったことある?」と聞かれた。あると答えると、何か善兵衛さんと繋がりがあるとのことだった。それから施設を案内してもらえた。
 小部屋に案内された。そこにはドームの屋根と大口径の天体望遠鏡があった。こういうところに来るのは初めてだった。おじさんは仕切りに「曇ってなければなあ」と言った。ドームを一部開放してくれた。四角い壁が上にスライドすると、空が現れた。一応太陽を見せてくれた。望遠鏡を覗くと太陽はぼやけていた。「影が地面にはっきり出ない時は難しいのよ」と言われた。星が見れなかったのは残念だったけど、知的好奇心は活性化されていた。
 二階にはこの施設の名前の由来となった岩橋善兵衛の展示があった。岩橋善兵衛は貝塚出身で江戸時代の人、元はレンズ職人であり、そこから望遠鏡を作り始めた。その望遠鏡は伊能忠敬も使ったらしかった。貝塚としては善兵衛を有名にしたくて、施設にこんな名前を着けているが、これでは逆に何の施設かわからなくなるだろう。それにやはり伊能忠敬に比べると、知名度は落ちると言わざる得ない。結局その望遠鏡はそれ以上の発展を見ずに外国製に負けてしまうのだから。
 水間鉄道水間観音駅1716発貝塚行き。方向幕の「貝塚」を見ると、西鉄貝塚線のように思えた。貝塚駅に近づくにつれて乗客が増えた。
 南海本線貝塚駅1741発急行なんば行き。満員。大きなキャリーバッグ持ってる人だらけ。関空からか?はっきり言って邪魔だった。そいつらは天下茶屋でごそっと降りた。どこに行くのか?
 新今宮駅下車。ここにホテルが多い理由がよくわかったような気がした。関空から直結してるからだ。それにディープな界隈ってどこか惹かれるだよな。中国っぽいエキゾチック感があるし。阪堺線新今宮停留場の入り口にはまだ浮浪者が座っていた。同じ人かはわからなかった。
 18時半、餃子の王将太子店。太子って西成側。どことなくそれっぽい空気感はあったが、会社のイヤな空気よりはまったくマシだと思った。
 1910、東横インあべの天王寺。疲れ果てていた。泳いでるくせに歩くと疲れるんだよなあ。足腰が全然ダメだ。ベッドに寝転がってたらそのまま寝ていた。
 岸和田には最初あんまり気乗りしなかったのだが、それなりにインパクトがあった。ただ、やっぱりだんじり会館のやる気のなさがなあ。観光資源があるのに生かす気がないのが残念だった。貝塚はあまりにも何も無さすぎた。善兵衛ランドでやる気は感じられるのに、いかんせん知名度がなあ。まったく話題にならない場所なんて結局はそれなりの理由があるもんだ。