びーの独り言

どこいくの?どっか。

知られざる幕末の改革者 河井継之助

 この本は大学友人Sと池袋の三省堂に行った際に、平積みになっていた。昨年に長岡の河井継之助記念館や塩沢の河井継之助記念館(同じ名前)で詳細は見ていたが、もっと深く知りたかった。
 河井継之助は今では幕末に現れて消えていった悲運の傑物として知られているが、長岡では長く戦争で町を破壊した元凶とされていた。著者も最初は河井継之助を批判してたようだが、研究してるうちに河井継之助記念館の館長になった。
 河井継之助は、役人の家に生まれた。陽明学に触れて、備中松山藩山田方谷にたどり着いた。藩の財政を建て直し、藩主に継ぐナンバー2の立場となった。戊辰戦争では小千谷談判で戦争を避けようと新政府軍と交渉したが、幕府は聞く耳をもたなかった。長岡城を奪われながら一時は奪還したが、再度奪われて、その際に左膝に銃弾を受けた。会津に逃げる途中で、傷が悪化して亡くなった。
 この本は他の本の内容がだいぶ使われているらしい。たまに小説のような心理描写が入っていた。それがちょっと面白いところでもあり、中途半端な部分であった。
 この本で陽明学に興味を持った。陽明学は、一言で言えば性善説である。人の心には勉強しなくても良心が備わっており、良心に沿って行動すればいいと説いている。陽明学を調べてるうちに、山田方谷にも興味を持った。なぜ今まで知らなかったのかと思うくらい抜群の業績を挙げていた。その業績は上杉鷹山をも越えてると思う。有名でないのはおそらく備中松山藩が小さかったからだろう。河井継之助が霞むくらいの凄さがあった。今後、山田方谷にも注目していきたい。