びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/05/25(土)「水戸」

 常磐道谷田部東PA。4時頃にトイレに起きた。二度寝したが、あんまり眠れなかった。普段からよく寝てるからだろう。起きたのは720。車内は明るいし暑かった。でも、外に出ると涼しかった。周りはすっかり車だらけだった。朝食後、昨日のブログを修正。戦略を立てて、髭剃り。なんかこれから起こることへの期待感が半端なかった。これは完全に日常がクソ過ぎるからに違いない。
 8時、出発。今日は天気が素晴らしくて夏のように暑かった。水戸北SIC下車。まずは藩校弘道館を目指した。水戸城の周りは天守閣はないものの、縄張りはお城の雰囲気バリバリだった。
 855、弘道館駐車場。目の前には大手橋からの大手門。これは復元だった。水戸城の建物は明治の廃城令で壊されたか空襲で焼けて残っていないようだった。
 910、弘道館。水戸は第二代藩主水戸光國以来の国学が発達した藩であり、日本の尊皇攘夷思想をリードした。現代風に言えば、極右だった。大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変、老中安藤信正が重傷を負った坂下門外の変は水戸浪士が起こした。弘道館は第九代藩主徳川斉昭が作った日本最大の藩校だった。「文武一致」の理念のもと、文館と武館を作った。たくさんの人材を輩出したが、天狗党の乱により壮絶な同士討ちが起きた。明治維新水戸藩がほとんど出てこないのは、天狗党の乱で主だった人材がすべて失われたからだった。天狗党の最後の決戦の場は皮肉なことに弘道館だった。今回私が水戸に来たのは天狗党の乱について知りたかったから。これは水戸にとっての黒歴史だから調べるのは難しいかもなと思っていたが、最近結構マイナーな出来事も観光資源として扱う事例が増えていたのでもしかしたらと期待していた。
 弘道館の中には簡単な展示があった。水戸藩は御三家の一つだった。展示では水戸光國と徳川斉昭推しが凄かった。水戸光國は「大日本史」の編纂を始めた。水戸の進む道を示したと言えよう。徳川斉昭弘道館偕楽園を作り、先進的でやたらと行動力のある人として描かれていた。大政奉還で有名な第十五代将軍徳川慶喜も元は徳川斉昭の七男だった。私の事前の印象では、バリバリ右寄りのエキセントリックな人だったのだが、水戸では完全に英雄扱いだった。天狗党の乱については少しだけ書かれていた。間のごちゃごちゃしたところは省かれていて、最後に弘道館で戦いが起きたことだけが書かれていた。伝えたいのはそこだけだもんな。
 医薬館開設180年記念企画展「水戸藩の医学と弘道館医学館」。弘道館の中には医薬館というのがあり、本草学や医術を教えていた。これも民を救いたいという光國の思いを斉昭が引き継いだものだった。
 水戸には正直そんなに期待してなかった。幕末のイメージが陰惨すぎており、SNSなどでもほとんど情報が入って来なかった。でも、まさかこんなに幕末推しだったとはビックリした。幕末が好きな私はどうして水戸に早く来なかったのかと後悔するくらいだった。俄然やる気が出てきた。
 水戸城の周りは公園になっていて、いろいろな面白そうな物が散らばっていた。一つ一つ回って見ることにした。
 1040、水戸市水道低区配水塔。城跡の周りにモスクのような丸屋根の塔が建ってるのが気になっていた。 昭和7年建立の配水塔だった。
 1055、水戸東武館(茨城県水戸市) 見た目は立派なお屋敷。坂本龍馬で有名な北辰一刀流の道場だった。
 11時、茨城県三の丸庁舎。まるで東京大学安田講堂みたいな造り。元は旧県庁舎だった。昭和5年建立。
 1105、八卦堂。八角形の建物。斉昭が作った弘道館記碑を覆うために作られた。一度空襲で焼けたので再建。
 1110、弘道館鹿島神社徳川斉昭が作った。「神儒一致」として神道儒教を両立させた。
 1120、出発。車で走りながら、昼食の店を探した。車を停められそうなところで最初に出てきたのはマクドナルドだった。11時半、マクドナルド50号水戸大工町店。12時、出発。今回特に行きたかった回天館に行くことにした。
 1205、桂岸寺に車を停めた。別名は二十三夜尊。赤くて派手な門に、同じく赤くて派手な本堂。装飾や色使いにはちょっと日光東照宮の雰囲気があった。
 常磐共有墓地。まずは水戸殉難志士の墓。天狗党の乱で亡くなった人たちの墓。どれも墓石大きさが小さかった。これは光國の時代に質素にするために、高さや大きさが決められたため。光國は独自の宗教を作ろうとしてたらしい。
 回天神社。回天とは藤田東湖の言葉で、衰えた勢いを取り戻すこと。どうしても人間魚雷が思い浮かんだり。
 1215、回天館。天狗党800名は最後に敦賀の悪臭漂う鰊倉16棟に幽閉され、半数以上が処刑された。ここにはその鰊倉を移設して資料を展示していた。天狗党の一日一日の記録があって嬉しかった。ただもうちょっとわかりやすく背景から整理して説明して欲しかったなあ。
 1240、再び常磐共有墓地。ここには歴史上有名な人たちの墓があった。藤田小四郎(藤田東湖の息子、天狗党のリーダーで敦賀で処刑された)、安積覚兵衛(格さん)、関鉄之介(桜田門外の変の首謀者)、藤田幽谷、東湖親子(水戸の思想的中心。東湖は地震で家が倒壊して亡くなった)。
 1320、保和苑。桂岸寺の庭園。光國が作った。池の周りにツツジが咲いていた。
 1340、出発。義烈館に行くことにした。
 1350、偕楽園に一番近い駐車場。500円。場所なんかいくらでもあるだろうに。なんか納得いかなかった。
 1355、常磐神社。中に義烈館があったが、無慈悲な長期休館。これを見に来たから駐車料金払ったのに。常磐神社は光國と斉昭を祀っていた。他には東湖神社があった。
 1405、偕楽園東門。200円。せっかくお金持ち払って車を停めたので入ってみることにした。過去に栗林公園兼六園に行ったことがあるが、その時はまったく楽しくなかった。今回もあまり期待してなかった。入り口でボランティアガイドさんがいたので即頼んだ。ボランティアガイドさんはおじいさんだった。会話はとても楽しかった。やはり先達はありがたい。
 偕楽園は日本三大公園の一つであり、徳川斉昭が作った。「一張一弛」の理念のもと弘道館の対をなす施設として整備された。緑の芝生には萩が点々と植えられていた。また徳川斉昭の好んだ梅もたくさん植えられていた。眼下には真っ青な水を湛える細長い湖が見えた。水戸市民の憩いの場である千波湖だった。偕楽園を含む周りは遠くまで芝生の映える美しい公園であり、他には類を見ないものだった。都市公園としては世界第二位の広さらしい。因みに一位はニューヨークのセントラルパーク。ここは栗林公園兼六園とはまったく違っていて楽しかった。
 二階建ての茶室のような別邸があった。1440、好文亭。200円。ここでボランティアガイドさんとは別れた。外見は二階建てだが、中は三階まであった。三階からの眺めは素晴らしかった。好文亭の建物には徳川斉昭のさまざまな趣向が凝らされていてとても楽しい建物だった。
 15時半、出発。箱物に行くには時間が中途半端だった。近くに三角形の平面を組み合わせて立体にしたルービックスネークを屹立したようなへんちくりんな塔があった。上れるようなので行ってみることにした。
 1545、水戸芸術館シンボルタワー。高さは100m。200円で展望室へ上ることができた。展望室の壁を見て驚いた。丸窓が点在していて、まるで海中公園のようだった。丸窓を覗かないと見晴らしが見えず、不便で仕方なかった。せっかくの眺望も台無しに思えた。これで金取るのは酷いと思った。
 千波湖に行くことにした。1610、千波湖中央北駐車場。千波湖の前に桜川が流れていて、湖畔に行けなかった。場所を移動した。1625、D51駐車場。名前からして一発で選択。D51515は真っ黒でピッカピカだった。昔は常磐線で石炭を運んでいたらしい。千波湖は水位が高く、あとわずかで溢れそうなくらいだった。湖面は深い青で、風が強かったので波が立っていた。美しい景色だった。
 17時、ばんどう太郎水戸店。ローカルチェーンを狙った。作務衣を着たおばちゃんの定員さんが出てきた。やたら接客が丁寧なんだが?でも、バックヤードのおばちゃんの会話が丸聞こえw。味噌煮込みうどん大盛を注文。八丁味噌。ボリュームは良かったけど、味はなんかいまいちだった。味噌にインパクトがないし、うどんが変。味噌煮込みうどん特有の粉っぽい腰のあるのではなく、ごく普通のうどん。最後は伸びたみたいになっていた。お会計の時、レジのところにスタッフの写真が貼ってて源氏名みたいのが書かれていた。謎の演出だなあ。
 18時半、出発。腹一杯で眠かったけど、頑張ってプールに向かった。
 1850、青柳公園屋内プール。水戸には県営プールはないんか?プールは2日連続。510円。アメニティが古い!皆が銭湯のような木の棚に荷物置いてるぞ!コインロッカーがやたらあるのにどれも小さすぎた。プールは25mでターン禁止だった。県庁所在地だけあって結構人がいた。プールの底の塗装はボロボロ剥がれ落ちていて、うまく泳げてるのかいまいち感覚がわからなかった。底と壁の見分けがつきにくいのは勘弁してくれ。クロール12往復。休憩。クロール48往復。3000m。
 2115、出発。数%を目指した。プールの後の数%ってあんまりだったが一応。
 2135、極楽湯水戸店。やたらたくさんの車が停まっていた。920円。お風呂はたくさんの種類があり、どれも気持ちよかった。来て良かった。風呂上がりはソファーに座ってブログをうった。
 2340、退館。寝場所を探しに水戸市街に戻った。
 010、弘道館駐車場。トイレがあったので目をつけていた。小型トラックが路駐していた。変だなと思ったら封鎖されていたorz。
 千波湖に向かうことにした。千波湖の水面は漆黒の闇だった。そこだけぽっかりと穴が空いたようだった。途中、千波湖中央北駐車場に車が停まっていたのでこれはいけると思った。千波湖には水戸の町の明かりがリフレクションしていて非日常の景色となっていた。
 020、D51駐車場。めっさ静かで大当たりぽかった。でも、なんか遠くで社会のゴミがずっとバイクふかしてるし、大音量で音楽を鳴らしながら変な車が入ってきたり。あんまり人が住んでないから逆に変なんが集まってくるんだな。
 車の中で横になってると自由だなと思う。思いっきり自分を開放してるというか。この時だけは私が私でいられる。自分を殺して会社のために駒になるのであれば、それは生きてるってことになるのだろうか?感情を捨てて理屈で生きるのも果たしてどうなんだろう?そんな人生に意味なんかあるだろうか?ボロボロでもいいから自分の人生を生きたい。死んだ時に後悔しない生き方をしたい。