びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/11/13(日)「八ヶ岳」

 夜は暑かった。氷点下でも耐えれる装備は、韮崎ではやりすぎだった。寝袋から出て、毛布でしのいだ。少し寒かった。外が寒いと温度調節が難しかった。
 隣の車に変なおっさんがいた。最初、ランタンを使ってるから旅行者かと思ったが、缶ビール飲んで普段着のまま寝てた。いくらなんでも寒いぞと思ったら、夜中からエンジンをかけ始めた。最悪!このおっさん、山梨ナンバーだし、ホームレスだったかもしれない。
 起床は450。喉が痛かった。空気が乾燥していた。寝床を片付けて、さっさとエンジンをかけた。隣のおっさんを起こしたかったw。朝食後、昨日のブログを修正した。655に出発。
 小海線野辺山駅を目指した。国道141号線を北上。靄の上に雪を被った尖った頂上がいくつか見えた。まるで絵画のように美しかった。あれが八ヶ岳だろうか?
 725、小海線清里駅小海線小淵沢から小諸を結び、日本で最も高いところを走っている。八ヶ岳高原線との愛称がつけられている。清里に寄ったのは、この先の野辺山との間に鉄道の日本最高地点があるからであった。清里はリゾート地として有名だったが、実際の駅前はおしゃれながらも一昔前で時間が止まったような感じだった。駅前にはSLが置かれていた。SLが置いてあるところは寂しいところが多い。750、出発。
 国道141号線を北上。8時、日本の鉄道最高地点に到着。標高1375m。電車から記念碑があるのを見たことがあったが、実際は、売店やホテル、果ては神社まであり、さながら観光名所と化していた。子供の頃から気になっていた割には、JR最南端である西大山駅の時のような感慨はまったくなかった。815、出発。
 820、小海線野辺山駅。日本で一番高い駅。そこそこ開けているのは知っていた。ここにもSLがあった。待合室には乗客が3人と観光の夫婦が2人いた。放送で「上り列車は空転のため10分遅れます」と言っていた。待てば車両の停車シーンが見られたが、先を急いだ。
 野辺山高原から海ノ口へ降りる道では、前方に紅葉した頂上が尖った山が見えた。山肌は緑と黄土色の斑であり、黄土色部分には少し赤みがかかっていた。まるでウニの色のようだった。先週の日光よりも深い色で秋らしかった。
 途中で松原湖の案内が出た。聞いたことあるが、スルーしようとしたら、小海線松原湖駅があった。駅ができるほど有名なのか?寄り道することにした。
 855、松原湖。駅がある割にはどこにでもありそうな小さい湖だった。青々とした湖面の向こうには、高い山があったが、頂上は靄に隠れていた。湖の周りの道はたくさんの落ち葉があり、秋らしい景色となっていた。湖畔の宿にはやたらと打ち捨てられたような手漕ぎボートがあった。こんな小さな湖にこんなにたくさん必要か?こういうのを見ると寂しくなる。
 国道141号線に戻り、北上した。945、佐久市歴史の里五稜郭であいの館。五稜郭は函館が有名だが、ここの龍岡城五稜郭であった。敷地の中には田口小学校があり、運動場の縁には黄色くなった銀杏や真っ赤に色づいた何かの巨木が植えられていた。ここは今年度をもって廃校になるらしかった。城とは関係なしに、それはそれで郷愁を誘うものがあった。驚いたことにちゃんとお堀や土塁が残されていた。土塁の上から堀を眺めると、土塁と堀は稲妻型に屈曲していて、土塁には桜が植えられていた。まるで函館の五稜郭を縮小したみたいだった。これはもっと有名になっていいレベルかも?
 地上からでは五稜郭であることがわかりにくいので、近くの山に上って五稜郭を俯瞰することにした。車で上れるらしいので行ってみると、山道への分岐は、本当に通れるのかというような、ガタガタの轍しかないギリギリの未舗装。今までで最も過酷な道となった。途中からは落ち葉も積もりまくって轍が見えなくなるくらい。もし、ここでパンクしたら谷底に車を落として投棄するレベル。こんなとこ案内するとは恐るべし!
 展望台への駐車スペースは見事なまでに落ち葉で埋め尽くされて、落ち葉の絨毯となっていた。美しい景色だったので、落ち葉の中に停めた車の写真を撮った。展望台へは紅葉の山の中を歩くことになった。立て看板はあるけれど、完全に獣道であり、踏み跡もほとんどなかった。展望台の直前まで木に覆われていて、視界が遮られていた。ここまで上ってハズレではないよな?1040、展望台。五稜郭の真ん前だけに奇跡的に木の隙間があり、五稜郭だけを展望するためのスペースとなっていた。ここからは五稜郭の形がはっきりとわかった。素晴らしい景色だった。苦労して上ってきてよかった。五稜郭をアピールするにはここもちゃんと整備した方がいいかと。
 ここからは南に戻り、国道299号線、通称メルヘン街道へ。メルヘン街道は、佐久穂から北八ヶ岳蓼科高原を経由して茅野までを結び、途中日本の国道で二番目に高い場所を通っていた。ドライブするための道だった。ただし、4日後には冬季閉鎖となる予定で、雪が積もってないか心配だった。道はとても整備されていて、あまり九十九折もなく走りやすかった。途中で白樺群生林を通った。白樺は真っ直ぐで白くて生気が感じられないんだよなあ。
 1135、「レストハウスふるさと」。ソースかつ丼キノコ汁付きを注文。ここのカウンター席からはガラス越しに浅間連峰が見えた。とても贅沢な景色だった。ソースかつ丼はおいしかった。こっちの方ではよくソースかつ丼を見かけるが、豚が名物なのだろうか?キノコ汁はとろみがあっておいしかった。でも、ソースかつ丼もキノコ汁も昨日の早川町ほどではなかったかな。1205、出発。
 1215、白駒池駐車場。外は凄い風で寒かったので防寒対策をした。白駒池までは山道を15分歩く必要があった。山道はきれいな木道となっており、周りは針葉樹の原生林で、地面は緑色の苔に覆われていた。とても幻想的で美しく、まるでアニメに出てきそうだった。白駒池は標高2115mであり、自然の湖では最も高い位置にあった。湖面はブルーで周りは緑に囲まれていた。ただ標高が高いからといって、何か特別凄いかというとそうでもなく、森の方が印象的だった。この辺りにはいくつかの森があり、散策できるようになっていた。ゆっくり回りたいところだったが、雲行きが悪く今にも雨が降って来そうだったのでスルーした。1255、出発。
 メルヘン街道を進むと、最高地点2127mに到達した。現地には白看板があっただけだった。因みに1位は、志賀高原渋峠で山田温泉に行くときにかすった。また3位は奥日光の金精峠で先週に入り口まで行った。こう考えると結構、高いところばかり行ってるんだなあ。
 メルヘン街道は下りに入った。1305、日向木場展望台。展望台としては、見晴らしが良くなくて、詐欺みたいだった。
 そのうち蓼科の別荘地が出てきた。ここは初めてのはずだが、なんとなく引っ掛かるものがあった。進んでるうちに気づいた。ここには一度来たことがあった。今までにブログには書かなかったことが、3回あった。そのうち2回は登場人物からの削除要請だった。唯一自分から抹消したのが蓼科事件だった。頭のおかしい奴に絡まれて非常に不快でイヤな思いをした。こないだ軽井沢から万座・鹿沢口に抜けた道もその時に通った。この先も長野を回るなら、このエピソードがつきまとうだろう。そういうのを上書きして払拭していきたい。
 14時、茅野のガソリンスタンド。ビーナスライン白樺湖に行こうとした。すると気になる看板があった。国宝の土偶の写真だった。夏の浜頓別で土偶マニアの話を聞いてから土偶に興味を持つようになっていた。そういえば茅野にあったな。国宝マニアであり土偶に注目している私としては見逃せなかった。白樺湖は2回行ってるし、雨が降ってるからもういいかと。
 14時半、尖石縄文考古館。八ヶ岳山麓縄文時代の集落の大きな遺跡があるとは知らなかった。ここからは大量の縄文式土器や石器などが発掘されていた。ここの縄文式土器はとても造形が芸術的で素晴らしかった。説明もとても好感がもてる文章だった。注目の国宝の土偶は2体あり、それぞれ透明なガラスケースに納められていた。国宝の土偶は全国で5件だけで、そのうちの2体が茅野にあった。縄文のビーナスと仮面のビーナス。土偶は妊娠した女性を表していた。人の姿とはかけ離れており、なぜこのような造形になったのかはわからなかった。縄文時代の人はこの土偶にどのような思いを込めたのだろうか?1610、出発。
 1615、尖石温泉縄文の湯。縄文に寄せ過ぎw。内湯は熱く、露天風呂は普通だった。お湯にはあまり温泉感がなかった。17時、出発。
 セブンイレブンで買い物をして、車の中で時間調整のためブログを打った。1815、出発。
 帰りはナビの指示により、暗闇の中をハイビームで走った。どこを走ってるのかまったくわからなかった。
 中央道の諏訪南ICから乗った。路面が濡れて光っていて、スピードが出しにくかった。1925、初狩PA。先で渋滞してたので、豚丼を食べた。2005、出発。渋滞はなく、帰宅は2150だった。
 今回の旅行は久しぶりにうまくまとまった。早川町から龍岡城まで行けるとは思ってなかった。これにて車での雪国遠征はとりあえずペンディング。舞台は雪のないところに移る。