びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/11/12(土)「甲府」

 起床は4時半。二度寝できそうになかったのでそのまま起きた。早いのは歓迎だった。相変わらずどこに行こうか迷ったが、今週は比較的すんなりと甲府か静岡に絞れて、雪が降らないうちに甲府に行くことにした。 出発は640。給油後に出すものを出して、705に再出発。
 東関東道から首都高。辰巳JCから北上すると中央道か東名を選択できることに気づいた。段々と首都高も覚えつつある。中央道は、早い時間なので多少マシに思えたが、やはり混んでいた。先週にどこかのPAの貼り紙で「5時台の利用をお願いします」と書かれていたから、7時台だと余裕でアウトなのだろう。早起きしたせいで眠かった。いつもよりブラックブラックを神田。基本右車線にいたが、左車線にいた高速バスの方が早いことに気づいた。基本左車線で、合流の手前で右に入った方が良さそう。
 940、藤野PA。車が行列していて全然動かなかった。前後の車から同乗者が降りて急いでトイレに向かっていた。私はトイレに行きたくて仕方ないわけではなかった。渋滞で追い抜かしたバスなどにごぼう抜きされた。渋滞で頑張って前に行ったのが無駄になったように思えた。結局、痺れを切らして本線に戻った。今後、行列してる場合はスルーしよう。1025、釈迦堂PA。トイレ休憩。甲府昭和IC下車。
 武田神社に向かった。甲府市内の道路はやたら幅が狭かった。武田神社甲府駅の真北にあった。1115、武田神社武田神社武田信玄の住んでいた躑躅ヶ崎館跡地に建立された。明治の建物なので古くはなかった。
 寳物殿があったので入った。説明書きは地元の郷土史家が手書きで書いたもので、字が細かくて難解だった。こういうのは読む気がおきない。面白かったのは、種子島の火縄銃で、武田信玄は早くから鉄砲を武器として使おうとしてたとのこと。武田信玄の四男である勝頼が長篠の戦いで鉄砲に破れ去ったことはあまりにも有名。展示の記述が事実ならなぜ長篠の戦いで敗北したのか?負け惜しみのように思えた。
 12時、武田神社隣の信玄ミュージアム。最近できた感じでいかにも今風。しかし、説明がわかりにくくて、面白くなかった。しかも寳物殿と内容が被り過ぎ。何度も似たような話を読まされるのは辛い。あとやたらと信玄を持ち上げてるのが鼻をついた。そういうのはよくあるけど、やりすぎると胡散臭く思えてしまう。どうも山梨は相手に説明するのが下手くそのように思えた。
 13時、出発。早川町を目指した。早川町は日本で一番人口が少ない町で、1000人を割っていた。この町のことはHP「山さ行がねが」で知った。地図で見る早川町は、入り口が一ヶ所しかなく、ずっと早川という急峻な川に沿っていて、上流は行き止まりになっていた。秘境感が満載だった。しかも、ここには赤沢という重要伝統的建造物群保存地区があった。これはとても気になった。
 中部横断道の白根ICから中富IC下車。途中からは無料区間だった。1415、給油。ここから山の中へ。
 14時半、早川町観光総合案内所。お腹が減ったので、併設されていた農家レストラン「早川舎」。時間が時間だけに誰もお客さんはいなかった。大丈夫かな?鶏の唐揚げ定食を注文した。地元の味噌を唐揚げに漬け込んでいた。出てきた定食を見て驚いた。ボリューム満点で、めっさおいしそうだった。そして、想像通りとてもうまかった。キャベツもしゃきしゃきして瑞々しく、白菜とキュウリの浅漬けも薄味ながら風味豊かで、味噌汁も何か普通と違う複雑な味わいで、想像力溢れるおいしさだった。これで950円という低価格も驚きだった。町の補助が入ってるのではないか?これは大満足だった。
 隣にある早川町観光総合案内所にはやる気のないおっちゃんが受付でスマホを弄っていた。地元の人にとっては別に観光客に来てもらわなくてもいいと思ってるのかもしれない。来ても来なくてもきっと時給は同じだろうし。地図をゲットした。
 赤沢へ向かった。赤沢は山梨出身のやっさんによると、日蓮宗の山の麓にあり、参拝者を案内する人たちの集落であるそうだ。道は、一車線でそこそこ急な上り坂となった。看板があり「10分上り坂」と書かれていた。こんなところに集落なんてあるのかと思わせる道だった。しばらくすると、目の前が開けて山の中腹に家々がへばりついていた。なんでこんな平地でもないところに集落がある?15時半、早川町赤沢。江戸時代風の木製の立て看板があり、そこに赤沢の説明があったが、それ以外は道は狭い生活道路のままで、駐車場がなかった。数多くの重要伝統的建造物群保存地区を見てきたが、こんなのは初めてだった。
 雰囲気のある狭い集落の中をどんどん上った。道は九十九折で、家屋は石垣の上に建っていた。そのうち道には落ち葉が積もってきて、あまり車の往来はなさそうに見えた。集落を通り過ぎてしまったか?Uターンした。何が見所かわからなかったのでネットで調べると、赤沢には石畳の道があるらしかった。そんなんあったっけ?下りながら探すと、途中で石畳の道と交差していた。そのまま集落の入り口に戻り、車を廃屋の駐車場に無理矢理停めた。
 石畳の道は、身延往還と言って、昔の街道筋に当たった。以前は多くの参拝客で賑わったが、モータリゼーションにより衰退したそうだ。石畳の道は傾斜がきつくて、真ん中にコンクリートの階段が作られていた。また石畳の隙間はコンクリートで埋められていた。なんだかなあ。道の両側には古い立派な日本家屋が連続していた。どれも屋号がついていて昔は宿のようだった。いくつかは軒先に千社札のような木の札がたくさん掛けられていた。
 この集落はとても静かだった。重要伝統的建造物群保存地区に指定されない方がよかったかもしれない。重要伝統的建造物群保存地区に指定されれば、家屋の修復をするのにいちいち役所の審査を経なければならず、見た目も昔風に寄せなければいけない。そして、私のような物見遊山の客がやってくる。ここは静かなままがいいように思えた。
 1615、出発。早川に沿って奥地に向かった。奥地には温泉があったが、既に閉まっていそうだった。純然たるドライブが目的だった。秋の渓谷の景色を期待してたが、川原を掘り起こして工事してるところが多かった。道は行き止まりなのに、結構整備されてた。途中では長いトンネルに置き換わっていた。早川町の道はこれしかないからだろう。工事が多いのも公共事業がないと成り立たないからかもしれない。早川町の入り口は一ヶ所しかないが、それでは何かあったら町が孤立するので、どこかにもう一本道を作ってるらしかった。
 西山温泉を通過。西山温泉の慶雲閣は日本で一番古い温泉宿だった。開業はなんと705年らしい?なんでこんな秘境に!本来なら西山温泉に入りたかったが、やってなさそうだったのでスルーした。別に建物が奈良時代というわけでもなく。
 早川町のどん詰まりは奈良田という集落だった。孝謙天皇がここは奈良のようだと言ったとか?こんなとこまで来たのか?温泉があり、思いがけず入れそうだった。1655、奈良田の里温泉。550円。建物は旅館のようだった。湯船は2つあり、一つは冷たくて、一つはぬるかった。湯はぬるぬる。硫黄の臭いは感じなかった。ぬるいのでいつまでも浸かっていられそうだった。
 駐車場に戻ろうとすると、電灯がなければ、漆黒の闇だろうというくらい外は暗かった。山際が白く滲み、空には星がそこそこ輝いていた。車に乗り込むと、シーンとしてビックリするくらい静かだった。トイレもあったので泊まってもよかったが、不安になるくらい寂しすぎたので先に進むことにした。18時、出発。
 中部横断道の中富ICから乗った。トンネルを抜けて甲府市内に出ると、視界が一気に開け、甲府盆地の夜景が現れた。右も左も光の点がたくさんあり、高速道路の起伏もあり、まるで宇宙の中を進む宇宙船のようだった。これは本当に素晴らしい体験だった。双葉JCで中央道、韮崎IC下車。
 19時半、道の駅にらさき。駐車場が狭くて、周りが明るくて、近くの道路を走る車がうるさかった。まさかこんなに環境が悪いとは。奈良田にするべきだったorz。晩飯を食べて、ブログを書いた。先週の戦場ヶ原よりは寒くなさそう。どうなる?