びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/16(火)年休「旅行6」

 6時、起床。昨日のブログの校正をして、720頃に朝食。今日は一日雨予報で、既に雨が降っていた。750、出発。
 この期に及んでルートが決まってなかった。2つの案があったが、どちらも凄くキツイ日程だった。ここに来て詰めこみ過ぎの弊害が出ている物と考えられた。一度行ったことのある方を選んだが、すぐに思い直して初めてのところに行くことにした。思い出は、ずっとずっといい記憶として残るのである。
 8時、給油。辺鄙なところに行くので、満タンにしておきたかった。
 国道39号を北見から西に進んだ。留辺蘂で国道242号線に入り、遠軽を目指した。このルートは石北本線に沿っていた。途中の山の中で「常紋トンネル」と書かれた小さな看板が立っていて、小さな脇道があった。一瞬寄り道しようかと思ったが、怖いので止めた。
 峠を越えると、生田原の街が出てきた。昔、石北本線に乗った時に生田原の存在を知った。こんな山奥にどういう街なのかと疑問に思っていたら、会社のNさんが乗り鉄の途中で生田原に泊まったことがあると言っていた。さて、疑問に思っていた生田原は予想通り小さな街だった。Nさんが泊まったと思われるホテルもあった。通過しただけではよくわからなかった。
 遠軽から丸瀬布へ行き、道道を南へ。目的地までは9km。なのに「ここからは留辺蘂には出られません」という看板があった。街の施設が行き止まりの先なのか?でも、結構な車とすれ違った。
 935、丸瀬布いこいの森。ここでは森林鉄道で使われていたSLが動態保存されていた。旅行前には計画に入っておらず、旅行中に思い出した。こういうのは絶対に思い出に残る。敷地を見たとき規模が大きくてビックリした。車庫に何台も機関車があるし、線路も長くて、鉄橋まであった。一気にテンションが上がった。
 チケットは800円。客は私一人だけだった。10時発車の始発に乗った。SLは雨宮21号と言った。森林鉄道で動態保存している唯一のSLとのこと。SLは汽笛を鳴らした後、動き出した。コースは8の字になっていた。いこいの森にはオートキャンプ場があり、お泊まりの人たちがSLに向かって手を振った。機関士の人も手を振っていた。おっさんが一人で乗ってて恥ずかしかった。後半は車庫の前を通った。何台も機関車が集められていた。よくもこんなに集めたものだと。この中には4日目に行った鶴居村営軌道の機関車もあったはず。乗車は12分だったが、ずっと残る思い出となった。
 丸瀬布が今日の目的だった。丸瀬布は行くのが難しく、他の予定が組みにくくなってしまった。丸瀬布からは国道39号線を西に行き、国道333号線で滝上を目指すつもりだった。ふと気づいた。ここは石北本線の有名な人口希薄地帯。かつて白滝シリーズと言われる「白滝」と名前のつく駅が5つ連続で並んでいた。しかし、今は白滝駅しか残っておらず、他は廃駅となった。
 1110、下白滝駅。現役の信号場であり、駅舎が残っていた。近くで牧場の人が作業しており、気まずかった。
 1120、旧白滝駅。草むらでどこが駅だったかわからなかった。近くの家は雪の重みで潰れていた。
 11時半、白滝駅。唯一現役の駅。白滝はちゃんとした、街だった。
 1145、上白滝駅。鉄工所の裏の草むら。
 1215、奥白滝駅。グーグルマップが示す駅の位置がでたらめでなかなか見つけられなかった。現役の信号場で、駅舎とホームが残っていた。
 国道333号線を西へ行き峠を越えた。国道273号線に入って、滝上を目指した。
 1310、北見滝ノ上駅。北見滝ノ上駅舎記念館。北見滝ノ上駅は渚滑線の終点で、2009年に来たことがあった。記念館にもいい印象があった。ネットで駅の裏にホームがあることに気づいた。前回見落としていたかもしれない。
 1350、濁川駅。2009年の探索では中間駅は一切探索してなかった。したがって、ここは初めて。ネットでも現在がどうなってるかわからなかったが、駅前通りと建物の形から勝手に駅とみなした。
 滝ノ下駅は私有地らしいのでパスした。基本無理はしないことにしている。
 1405、上渚滑駅。交通公園になっていた。ホームなどはすべて再現で、線路の方向は実際とは違っていた。
 セイコーマートで昼食を買おうとしたら、ホットシェフはなかった。おにぎり2個入のパックを買った。車の中でおにぎりを食べて、14時半、出発。
 1450、渚滑駅。名寄本線の駅であり、渚滑線の起点だった。大きな原っぱにSLがあった。
 1510、渚滑小学校。この小学校の敷地にはかつて渚滑線が横切っていた。全国でここだけであり、それを記念して、ホームが作られ、線路が敷かれていた。
 渚滑からはオホーツク海に出て、国道293号線を海沿いに北上した。雨がずっと降っていた。オホーツク海は薄い水色をしていたが、どこか影があった。渚滑から興部の間は名寄本線だった場所であり、2009年の探索で抜け落ちていた。この区間は路盤が確認しやすかった。もしこの区間が残っていたなら、景色がよかっただろう。すると、ガーター橋が現れた。これは予想外だった。道路脇に車を停めて、写真を撮った。他の車がビュンビュンと横を通って行った。もう一ヶ所ガーター橋があった。
 1545、興部駅。道の駅おこっぺ。2009年に訪れていた。道の駅では駅の歴史について説明されていた。興部は名寄本線の駅であり、興浜南線が分岐していた。まさか両方とも廃止になるとは。せっかくなのでソフトクリームを食べた。牛乳の味だった。1615、出発。
 ここからは興浜南線を探索することにした。2009年にも探索した。その後の調べで、オニシ湖という海岸近くにある湖にガーター橋が残っていることがわかったので、探してみることにした。
 オニシ湖へのアプローチは国道238号線脇の小路だった。牧場の敷地で、私有地と書かれた看板があった。一旦引き返したが、ここまで来て帰るのは後悔しそうだと思い、もう一度アタック。今度は轍はあるが、車ではギリギリ通れるかどうかの道になった。ここで車に何かあってはいけないので断念した。次来る時は観光資源として整備されていればいいのだが?
 オホーツク海沿いを北上。1650、沢木駅。空地だった。
 1705、終点の雄武駅。道の駅おうむ。2009年は車中泊した。警備員のおじいさんと話したことはよく覚えている。前にあった印象的な木の看板がなくなっていた。どうしたのだろう?
 雄武駅近くには未成線のトンネルがあった。もしかしたら、取り壊されてるかもと思ったが、普通に見つかった。興浜南線は興浜北線と繋げる予定だったが、遂に結ばれることはなかった。
 雄武から海沿いを北上して枝幸を目指した。2009年にも通った。その時の印象が強くてもう一度走りたいと思っていた。しかし、あいにくの雨の中のドライブとなった。
 18時、枝幸入口のホクレンで給油。この先あまりガソリンスタンドがなさそうで焦っていた。明らかに10円以上高かった。
 1820、興浜北線の終点、北見枝幸駅。2009年に探索済み。駅前食堂も健在だった。いい匂いはするけど、やってはなかった。
 1830、枝幸のセイコーマート。非常食としてカロリーメイトを買った。
 暗くなってきたが、明日のことを考えると少しでも前に進んでおきたかった。北見枝幸から浜頓別には興浜北線があり、明日も通る予定だった。
 1850、神威岬。2009年にも来ていた。近くのパーキングには神威岬公園と書いた石碑が立っていた。神威岬は斜め45度に海に落ち込んでいた。
 国道は神威岬をトンネルで貫いているが、興浜北線は岬の先端をぐるっと回っていた。国道の旧道もそれに沿っていた。旧道に入ると真っ暗だった。誰もこんなとこ通らないよな。岬の先端は路盤のために小さな切通となっていた。写真を撮るとバックは青くなった。遠くには浜頓別の光が灯っていた。この世界には私しか存在しないような錯覚を覚えた。今回そういう感覚を味わいたかったのだ。
 国道に戻ろうとしたら、鹿の親子がどうしようもないタイミングで飛び出してきた。急ブレーキをかけてハンドルを切った。衝動がなかったので、大丈夫だったと思いたい。なぜかその後、子鹿が車の前をピョンピョン駆けていた。後で車のフロントを見たけど、特に凹んでなかった。ただただショックで気持ちが悪かった。明日も通るのでその時にわかるはず。
 1920、浜頓別のセイコーマート。ホットシェフの豚丼を買った。
 19時半、道の駅北オホーツクはまとんべつ。今日はここで車中泊することにした。本来なら道の駅は閉まっているはずだが、大音量でソーラン節が流れていた。キッチンカーも出ていた。縁日もあった。入口には浜頓別交流館と書かれていた。中に入ると、たくさんの人が輪になって踊っていた。今日は街の納涼盆踊りだった。私も夏の雰囲気を味わうことができた。
 今日は一日中雨だった。その割にはよく頑張ったと思う。同じ箇所に2回行くのは、新鮮味がだいぶ落ちてるし、いい記憶をそうでない記憶で上書きしてしまう恐れがある。次回の旅行からは初めての場所を優先すべきだな。
 浜頓別は寒いので、寝袋に入っている。ここは静かだ。暗い車内にいると、旅行してる感じがする。それは女満別でも音更でもなく浜頓別だからかもしれない。