びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/04/23(土)「京都」

 7時起床。今回も京都。前に行きそびれた知恩院が気になっていた。思えば15年前に滋賀を去る時も京都観光しまくったなあ。928石部発草津行きで出発。京都駅下車。
 10時半、東本願寺真宗大谷派。あんまり期待してなかったのだが、門がでかくてビックリした。古くなくて、黒く塗装されていた。日光東照宮みたいな感じ。さすが超有名な現役のお寺。面白いと思った。
 中に入ると、もっとデカいお堂が現れた。御影堂(ごえいどう)だった。他では「みえどう」と読んだりもする。東大寺大仏殿まではいかないが、ほとんどそれくらい。御影堂は明治28年に建立され、世界最大級の木造建築物だそう。御影堂の隣には少し小ぶりなそれでも大きな阿弥陀堂があった。御影堂と阿弥陀堂は廊下で繋がっていた。
 御影堂の中に入ると、何かの儀式をやっていた。遠くに親鸞上人像。よく見えなかった。明治の建立なので長押(なげし)の彫刻がやたら金ぴかで豪華だった。阿弥陀堂も同じ。金箔貼りまくり。金閣寺よりも金ぴかを身近に感じられた。とにかく豪華絢爛。総本山の威厳を感じさせた。
 10時半、西本願寺。こちらは本願寺派。中に入って驚いた。東本願寺とよく似ていた。こちらは東本願寺とは並びが逆で阿弥陀堂から御影堂で、阿弥陀堂の方で儀式をやっていた。こちらは両方ともに江戸時代の建立で国宝だった。
 東本願寺は4回も焼けているが、どうして西本願寺は燃えなかったのか?そして、東本願寺西本願寺を真似て再建したのではないか?
 西本願寺には他にも国宝があった。飛雲閣は非公開で、塀の上から二階部分だけが見えた。後で知ったが、飛雲閣聚楽第の建物を移築したとか。唐門は桃山時代の建立で、金ぴかではないものの色彩豊かでとても派手。それこそ日光東照宮みたいだった。
 12時半、新福菜館。もしかすると、今回が最後かもしれない。何回も食べたので、最初に食べた時の塩辛さはまったく感じなくなっていた。
 1350、豊国(とよくに)神社。豊臣秀吉を祀っていた。唐門が国宝。茅葺きの立派な門だった。伏見城から移築されたとのこと。宝物館は、豊臣秀吉関連の展示だが、素人が適当に並べたようなやる気のない展示だった。
 14時半、方広寺。ここの梵鐘は教科書レベルで有名。「国家安康」「君臣豊楽」というフレーズが徳川家康の怒りを買い、豊臣家を滅亡に追いこんだ。何回読んでも徳川家康のイチャモンにしか思えないのだが?実物の鐘はとても大きくて、パッと見、文字なんて見えなかったが、問題箇所だけ白いチョークのようなもので印がついていた。重要文化財にそんなことしていいのか?
 国道1号線を緩やかに上ると東山五条。先週車で通った道であり、昔にも歩いたような?五条坂産寧坂、二寧坂。観光客でごった返していて、おっさんには場違いな気がした。ねねの道からの円山公園。何度も通ったお決まりの道。作られた京都の雰囲気。
 15時半、知恩院。浄土宗の総本山。法然上人が住んでいた。南禅寺も八坂神社も清水寺も行ったことあるけど、知恩院だけは飛ばしていた。国宝があるので見過ごせなくなったわけ。
 国宝の三門はおそらく初めて見たわけではないが、とにかく大きかった。南禅寺もこれくらいあったかな?とにかく京都の寺の門はやたらデカい。三門には真新しい紫の幕がかかっていて、葵の紋が描かれていた。徳川家と関係があるのだろうか?
 段差の大きい石組の階段を上がっていくと、国宝の御影堂が現れた。これまたデカかった。でも、東本願寺を見てたので、驚きはしなかった。御影堂の中に入ると、パイプ椅子がたくさん並んでいて儀式をしていた。遠目に像が見えた。法然上人だと思われた。
 16時撤収。祇園四条から四条河原町に出て、阪急で四条大宮駅。徒歩で東横イン五条大宮。チェックインは1650だった。
 今日は東本願寺西本願寺知恩院は現役のビッグネームだけあって拝観料がかからなかった。現役だけあって、観光という感じは薄かった。ひたすら京都の町を歩いた。歩きながら仕事のこと考えてた。今の私には歩くのはよくないかもしれない。もっと夢中になれる何かが必要。