びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/03/05(土)「三井寺」

 8時起床。今日は大津なので電車にした。940出発。958石部発草津行き、1014草津加古川行き、京阪膳所で京阪大津線
 京阪大津線は3回目か。最初は15年前の滋賀時代で、まだ鉄に目覚めてなかった。2回目はいつか忘れたけど、近畿私鉄乗り潰し。おそらく大阪人が描いている京阪のイメージとはまったくそぐわない路線。京阪が滋賀を走っているなんて。そしてまさかの路面電車
 がたごとと揺れて、心地よくはないけど、旅情たっぷり。大津という町ほど、知名度はあるのに実態が知られていない町はないだろう。山と琵琶湖に囲まれたわずかな土地を、所狭しと路面電車と車がごちゃごちゃ走っている。典型的な港町の地形。ここもきっと琵琶湖の水深が深く、港に適していたのだろう。
 三井寺駅で降りようと思ったら、2駅も乗り過ごして京阪大津京駅まで行ってしまった。折り返そうと思ったら、一度改札を出る必要があった。チクショー!京阪大津京駅はJR大津京駅と接続していた。思えば、昨年の9月、滋賀に引っ越す時にも、新快速で間違って大津京駅まで行ったものだった。
 11時、歩いて三井寺。立派な門があった。ふと思い出した。小学校の遠足で西大津駅から三井寺まで歩いたことを。西大津駅とは現在の大津京駅である。乗り過ごしたのは、何かに導かれたのではないか?
 境内の地図を見てたら時間がかかりそうだったので、先に昼食を済ますことにした。1115、レストラン風月。そばの定食を食べた。こないだの仁和寺でもそばだったなあ。
 1150、再スタート。いろいろあったけど、印象的なところだけ書く。
 金堂は国宝でとても大きかった。金堂の前で小学生の私は遊んだはずだった。子供の頃の私がはしゃいでいる像が浮かんだ。そして、その時にやたらと毛虫がいたのを思い出した。しかし、今毛虫がいそうな木は無さそうだった。あと覚えていたのは、初めて尺取り虫を見た。噂では聞いていたが、ユニークな動きだった。そして、それが尺取り虫を見た最後でもあった。
 金堂の横には鐘楼があった。「三井の晩鐘」として有名ということだった。きれいな音らしかった。1突き800円。横にあるお茶屋から出てきた女性が鐘楼の中に入っていった。もしやと思い見ていたら、ゴーーーーン。よくアニメとかで出てくる典型的な鐘の音だった。
 金堂の中に入った。珍しいことに外陣、中陣、後陣の三層構造だった。後陣は板壁で仕切られていて、建物の中に建物があるような感じだった。後陣の開口部からは秘仏の入っている厨子が見えたが、遠い上に暗くて詳細はわからなかった。
 外陣を歩いてると、外に繋がる板扉が開いていて、金堂の前の庭が見えた。一瞬庭は白く光ってまるで雪景色のように見えた。最近、ふとした景色に感動するようになった。
 外陣にはたくさんの仏像が脈絡もなしに並べられていた。特に面白いものはなかった。
 金堂のすぐ横には閼伽井屋というお堂があり、水が湧いていた。これが三井寺発祥の水とのことだった。天智、天武、持統と三代の天皇が産湯に使ったらしいく、それで「御井」と呼ばれるようになった。お堂の中では、ぼこっぼこっ、と音が鳴っていた。水が湧く時って、音が出るものなのか?
 順路から外れて光浄院。ここは建物が国宝だった。門の扉は閉まっていて、隙間から写真を撮った。
 一切経堂。お堂の中に八角形の回転式の輪蔵があった。初めて見る構造でとても印象的だった。
 勧学院。ここも国宝だが、順路から外れていた。ほとんど建物は見えなかった。説明によれば、光浄院と同じような感じらしい。
 微妙寺。三井寺の別所の一つ。何でもないところなのだが、平成に入って中国から贈られたという十一面千手観音菩薩がインパクト抜群だった。中国にもこういうのがあるのかと思うと同時に、十一面の配置が三面を1セットにして、トーテムポールみたいになっていたのが興味深かった。
 力餅を売ってるお茶屋があった。三井寺名物らしい。一瞬ひかれたが、お腹が減ってないので我慢した。
 文化財収蔵庫。休み。激痛。楽しみにしてたのに。最近このパターンが多いような気がする(調べろよ)。
 毘沙門堂。昔の建物なのに色を塗ってしまっていた。鮮やかな朱色、青、黄、白など。せっかく時間をかけて渋さが出てきたのに、もったいない。
 観音堂西国三十三所観音霊場の札所。これ自体が立派な寺みたいな構成になっていた。お茶屋があり賑やかだった。
 三井寺の外に出てしばらく歩いて、新羅善神堂。これも国宝だが、門は硬く閉ざされていた。三井寺のほとんどの建物が、豊臣秀吉以降の寄進だったが、これはもっとも古く足利尊氏が絡むらしい。もしかして、三井寺延暦寺から分かれたので、延暦寺と一緒に織田信長に焼かれたのか?
 14時に三井寺から撤収。再び京阪大津京駅から終点坂本比叡山口駅
 坂本は重要伝統的建造物群保存地区だった。観光案内所で地図をゲット。地図を見ると、坂本には小さな寺が山ほどあった。どこが有名なのかわからなかった。
 ビッグネームである日吉大社を目指した。坂本比叡山口駅からケーブル坂本駅の道はまっすぐ上っていた。道路の横には溝があり、その横に未舗装の道、石垣があった。昔を感じさせる印象的な道だった。
 15時、西受付からスタート。ここには西本宮と東本宮があることに驚いた。そして、両方ともに本殿が国宝だった。
 西本宮は、楼門、拝殿、本殿の順で一直線に並んでいた。雰囲気が厳かで、思わず参拝してしまった。説明書きによれば、拝殿も本殿も作られたのは同時期。でも、本殿だけ国宝だった。
 順路に従って隣に行くと、そこにも西本宮と似たような拝殿と本殿があった。宇佐宮という摂社とのこと。これも西本宮と同時期に作られた。さらに隣にも西本宮と似たような拝殿と本殿があった。白山宮という摂社で、作られた時期も西本宮と同じだった。この並びはなんだろうか?
 よく作られた時期が同じなのに本殿だけ国宝というパターンがある。御上神社もそうだった。建物を代表して指定されるのだろうか?仏像は一体ずつ指定されるんだが?
 東本宮もまた楼門、拝殿、本殿ではあったが、楼門と拝殿の間で、摂社樹下宮の拝殿と本殿が直角に交わっていた。非常に珍しいことらしい。確か、楼門、拝殿、本殿が一直線に並ぶのは神様の通り道だったからのような?通り道がぶつかる?
 東本宮拝殿と本殿は、西とほとんど同じ作りだったが、床が高かった。作られた時代は西本宮の少し後だった。
 日吉大社で思ったのは、やはり私は神社が若手だということだった。明日香で知り合った人が神社もカバーしてたから本を買ってみて読んだが、さっぱり興味がわかなかった。とにかく誰を奉ってるのかわからなかった。きっと日本書紀古事記とかに出てくる神話の神だろうけど、話がややこしくて頭に入ってこないし、名前が取っつきにくいったらありゃしない。なんで世の中にはこんな理解者しがたい物があちこちにあるんだ?
 16時、坂本比叡山口駅に戻る途中で、街道筋のような雰囲気のある通りがあったので、そちらに行った。作り道という名前だった。昔の建物と現代の建物が混在していて、観光に特化してるのではなく生活感があった。人気がなく、静かな雰囲気だった。
 坂本比叡山口駅の隣の松ノ馬場駅から電車に乗って、びわ湖浜大津駅京津線に乗り換えて、上栄町駅まで。ここは何度も降りていた。
 17時、東横イン琵琶湖大津チェックイン。久しぶりに泊まってみたかった。
 コンビニに行くため、びわ湖浜大津駅まで戻った。ファミマで晩飯を買い出し。
 隣の三井寺力餅へ。三井寺ではスルーしたが、ここで会ったら百年目。力餅と抹茶のセットを注文。奥の隠れ家みたいなスペースに案内された。力餅は軟らかくて、わらび餅みたいだった。大体力餅ってカテゴリーがあるのかな?奥羽本線峠駅の力餅も有名だよなあ。抹茶もおいしかった。抹茶も普通のお茶と何が違うんだろ?おしゃれで気持ちのいいお店だった。
 ホテルに帰ってからわかったのだが、三井寺の建物は織田信長の焼き討ちではなく、延暦寺に7回燃やされていた。大学友人Sから三井寺延暦寺は仲が悪いと聞いていたが、Wikipediaを読むと三井寺はかわいそうなくらい延暦寺に燃やされていた。その代わり、延暦寺織田信長に燃やされた。その時の本陣は三井寺であった。今、三井寺延暦寺はどういう関係だろうか?