びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/02/26(土)「當麻寺」

 6時半起床。825出発。今日は當麻寺から近つ飛鳥博物館。車に乗っててもなかなか気分が盛り上がらなかった。頭の中の日常をひっぺがすのが大変だった。いつものコースで京奈和道の無料区間を橿原北まで。いつもと逆の西、葛城方面へ。いつものように国道を曲がり損ねて迷いに迷うパターン。
 1105、當麻寺(たいまでら)。この寺の名前は聞いたことがあったが、場所は最近知った。當麻寺には国宝が多かった。
 寺の前の駐車場は500円だったが、奥の方に駐車場があり無料。奥院(おくのいん)から入場。奥院から回るのは、順番が違うような気がしたが、これが後でやっぱり止めておいた方がよかった。
 奥院は500円。比較的新しかった。パンフレットによれば、當麻寺塔頭(たっちゅう、脇寺)であり、京都知恩院の奥院という位置付けだった。知恩院応仁の乱の時に避難したらしい。
 奥院の庭園はとても美しかった。こんな庭園は見たことがなかった。借景とか枯山水ではなかった。ところ狭しと巨石が並べられ、奥に行くほど高くなっていた。その間を水が流れていた。奥の方には大きな仏像が。極楽浄土を表しているとのことだった。
 奥院の寳物館へ行こうとすると、山の中腹に三重塔のセットが見えた。当麻寺は日本で唯一三重塔がセットで残っている寺である。三重塔は大体が雷に打たれて燃えてしまう。
 奥院の寳物館には若いお坊さんが一人いた。私が入るとテープを回し始めた。正面奥には国宝當麻曼陀羅。とても大きかった。凄いと思ったら複製だった。他にも知恩院のお宝があったけど、概ね複製。四天王像の二躰があったが、躍動感がなく面白くなかった。目が肥えてきたかな?
 奥院から一段下に見えた當麻寺へ。多分別料金なんだろなあ。すると国宝の本堂があった。両脇に金堂と講堂。どれも同じに見えるけど、本堂だけ国宝というパターン。よくあるけど、なんでだろうね?
 とりあえず本堂を通りすぎ、本来の入口の門の手前まで行くと、ポツンと梵鐘があった。これも国宝。日本で一番古いらしい。よく日本で一番なんたらというのに出くわすが、とても覚えきれない。
 門からちゃんと段々奥に戻ることにした。途中にあった中之坊、なんかよくわからないが、せっかく来たのだから入ることにした。500円。塔頭ごとに払うのか?イヤな予感が。庭園の向こうに三重塔東塔があり、写真を撮ったが、それ以外は細かすぎて興味をひかれなかった。
 中之坊の最後には霊宝殿という博物館的な建物があった。寺に伝わる中将姫伝説について説明していた。この伝説、奥院でも当たり前のように出てきたが、何がなにやらわからなかった。ここでも当たり前のように出てきたが、途中で壁に漫画が張っていて、それがあまりにも分かりやすかった。日本の寺は全部漫画で説明すべき。
 霊宝殿には誰かの真筆の巻物があった。カッコ書きで複製となっていた。ギャグか?
 また「中将湯」という商品のポスターがあった。當麻寺では日本最初の婦人薬「陀羅尼助」を作っていて、これを津村が製品化したものらしい。女性の絵にひかれた。やはり高畠華宵だった。私は高畠華宵の描く絵が気に入ってて、こんなとこで出会って嬉しかった。
 本堂。金堂と講堂を合わせて500円。須弥壇厨子が国宝。厨子は普通のと違って、大きな平面状の箱で當麻曼陀羅を納めていた。国宝の曼陀羅あるんかいと思ったら、これも複製だった。偽物ばっかり。しかも、厨子には金網が。風情も何もない。なぜ金網が必要?大体、国宝に細工したらダメなのでは?須弥壇源頼朝が寄進したとかで、螺鈿細工の豪華な造りだった。
 金堂には、国宝弥勒菩薩坐像。お顔の金箔が悪い感じで剥げて、怖い顔に見えた。周りの四天王はあんまり肉肉しくなかった。白鳳時代だからだろうか?私の頭の中には運慶が頭にこびりついてた。
 講堂にはバイトの男の子がいた。この段階で講堂があんまり重要視されてないように思えた。私が行くとテープを回し始めた。阿弥陀如来坐像とか何体かあり、寄せ集め感が凄かった。仏像って基本単騎なのだが、三体で三尊だったり、四天王や十二神将だったり、全体を調和させて一つの曼陀羅のような世界観を表現している。こう無造作にいろいろ置かれたら、単に物置を見せられているように感じた。
 西南院。またまた300円。ここのご本尊を見ようと思ったら公開してなかった。ちょっとこれは酷くない?仕方なく、庭園と三重塔西塔で写真を撮った。親切にも「池に三重塔が映ります」と看板に書かれていた。
 當麻寺は1800円でこの内容ではコストパフォーマンスが悪いと言わざる得なかった。あとは案内も説明も悪すぎ。
 山を越えて大阪へ。1350、大阪府立近つ飛鳥博物館。名前に飛鳥とついてるから気になっていた。おそらく大阪から明日香に行く時の通り道なんだろう。この辺りはそもそも太子町と言うし。まずはchikatsu_cafeでハヤシライス。
 「近つ」というのも気になっていたが、古事記の記載とのこと。飛鳥は2箇所あり、難波津から見て近い方が「近つ飛鳥」で、本家の明日香は「遠つ飛鳥」。
 「近つ飛鳥」というからには明日香と関係する展示かと思いきや、ひたすら大阪にある古墳の話だった。まあ明日香も半分古墳たからなあ。とにかく展示は渋かった。これでもかというくらい細かく古墳を紹介していた。
 特別展示はオホーツク文化についてだった。私はアイヌにも興味をもっており、今回この展示も楽しみにしていた。
 縄文時代の遺跡はオホーツク海沿岸で発見されており、本州とはまったく内容が違っていた。オホーツク文化には弥生時代がなく、その頃は続縄文時代と呼ばれている。その後、本州の文化と交わっていく。土器はほとんど本州と同じだったけど、鯨やアザラシの骨を加工した道具が多かった。
 自習室のようなコーナーがあり、少し本を置いていた。そこで思わぬものを見つけた。「まんが日本の歴史」全20巻。私が中学生になった時に親が買ってきたものだった。私の歴史の基礎であり、ずっと探していた。閉館までの時間で2巻と3巻を読んだ。
 とても緻密で高度な内容に驚いた。歴史的事実を時系列で捉えることができた。これを中学生の自分は読んでいたのか?もしかすると、明日香にひかれるのも深層心理のどこかでなにかが蠢いていたのかもしれない。
 1810、東横イン王寺駅南口。完全に宿を失敗した。わざわざ法隆寺まで戻るのではなく、明日香にすればよかった。王寺駅前の駐車場は1600円とかあり得ない値段をつけていた。ちょっと心配になった。ホテルの前にちょっと路駐してからフロントに尋ねると、近くに700円の駐車場があった。
 1835、王寺ラーメン。彩華ラーメンや天理スタミナラーメンを狙ったが、近くにはなかった。このラーメン屋、グーグルでは出てくるのだが、場所がまったくわからなかった。それもそのはず看板がまったく目立たなくて、入口もだいぶ奥まったとこにあった。おじいさんとおばあさんがやっていて、昭和の薫りが凄かった。ラーメンはどうみても彩華ラーメンだった。どういうことだ?味もほぼ彩華ラーメンだが、若干青臭かった。
 思いがけず、高畠華宵やまんが日本の歴史との出会いがあった。こういうのも旅なんだなあ。