びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/06/10(金)年休「本宮」

 今日は年休にした。どうせ会社に行ってもやることがないし、それなら休んだ方が価値が高い。いっそバカンスみたいに月単位で休みたいところだが、会社を刺激したくないのと、休みを使いきると今後本当に入院した時に使える休みが失くなってしまう。
 滋賀にいるうちに紀伊半島を攻略したいと考えていた。紀伊半島はかなり気合いを入れないと回れない。東京に行ったら紀伊半島が目的になることはないだろう。三連休にしてから、計画を立ててみると、全然足りなさそうだった。何を優先的にやりたいかと考えて、熊野三山とトロッコに照準を絞った。もし足りなかったら、月曜日も休めばいいや?
 5時、起床。610、出発。京滋バイパスの巨椋ICで下車、京奈和道の城陽ICから終点木津ICまで。国道24号線で朝の通勤ラッシュに巻き込まれたorz。京奈和道の無料区間郡山南ICから終点橿原北ICで下車。京奈和道の無料区間橿原高田ICから五條ICで下車。五條までは2時間半かかった。
 五條からは国道168号線国道168号線紀伊半島のど真ん中を縦断して、十津川村熊野本宮大社を経由して、新宮まで繋がっている。ここは国鉄五新線を通そうとした場所であり、日本で一番距離が長い路線バスが走っていたところでもあった。今回は国道168号線を走破して、十津川村がどんなところか確かめて新宮まで行きたかった。
 賀名生と城戸を通過するのはこれで3回目。まさかこんなに通ることになるとは(驚)。天辻峠、道の駅大塔、阪本はこないだ走破済みだった。
 阪本から先は未知の領域だった。国道は細長いダム湖に沿っていた。湖面は鮮やかなエメラルドグリーンで、山を映していて美しかった。国道はギリギリ二車線で、ひたすらくねくねしていた。カーブミラーがとても重要だった。すると、急に山奥には不釣り合いな高規格の道路とトンネルが現れた。あとはひたすら狭い古い道と新しい高規格の道路の繰り返しだった。こんな山奥に大金を投入して高規格道路を作る必要があるだろうか?都会の人は損をしていると思った。
 9時半、谷瀬(たにぜ)の吊り橋。十津川村のランドマークであり、テレビとかでよく見かけた。村営の駐車場が800円は高杉!吊り橋は長さ297.7m、高さ54m。歩いて渡る吊り橋としては日本最大だった。吊り橋はあちこちワイヤーで吊られていて、足下は木の板が隙間なく並べられていた。歩いてもあんまり揺れないし、怖さは初めのうちだけだった。下を見ると川が流れていて、川原が広かった。あの川原には昔は人家があったが、明治の大水害で根こそぎ流されてしまったらしい。そのため北海道に集団移住して新十津川村ができた。一応吊り橋の対岸まで渡ったが、面白そうなものはないので引き返した。
 吊り橋のところにあった色褪せた観光マップの看板を見てると、十津川村には興味をひくものが何にもなさそうだった。吊り橋しか知らなかったが、もともと吊り橋しかなかったわけか。
 小腹が減ったので土産物屋「吊り橋の郷」で串こんにゃくと玉子を食べた。薄味のおでん。おいしかったので、追加で目張り寿司を1個買った。目張り寿司は名物にうまいものなしの代表だと思ってるのだが、せっかく来たんだし1個くらいは。
 道は延々と険しい山間の崖に張り付いた川沿いの道だった。川は蛇行していてまるで四万十川のようだった。ひたすら恐ろしいまでの山奥で集落もほとんどなかった。ようやく集落が出てきたと思ったらまさかの村役場だった。なんでこんなに奥にあるんだ?もしかしたら、この辺りは少し開けているのかと思ったら一瞬で通り過ぎた。
 気がつけばひたすら険しい山の中だった。今までこんなに強烈な山奥を経験したことがなかった。車が壊れたらおしまいだ。用事もないのに出向くような場所じゃないのかもしれない。自分は悪くなくても、対向車が突っ込んでくるかもしれないし、落石で車がぺしゃんこになるかもしれない。
 どこまで行っても十津川村だった。このまま永遠に続くのではないかと思った。なんでこんな山奥に道があるんだ?なんでこんな山奥に人が住んでるんだ?疑問しかなかった。すると十津川温泉が出てきた。もう忘れてた。吊り橋からだいぶ経つんだが?あまりに山奥過ぎる。食われるんじゃないか?
 和歌山県の表示が出てきた。開けない朝はない。急に目の前がパアッと開けた。抜けた感があった。さすが和歌山県、奈良とは違う!1110、熊野本宮大社。土産物屋の無料駐車場。威厳のある鳥居。ここまで来るのが大変だったからなあ。いつもの5割増しに感じた。その先の石段を上ると、社務所などがあり、門があった。門の先は小さな拝殿が4つ。左から1から4。1と2の奥にある本殿は一つの建物で、3と4にはそれぞれ本殿があった。
 熊野本宮大社からは歩いて5分のところに大斎原(おおゆのはら)があった。大斎原は熊野川とあと2本の川に囲まれた中洲であり、昔はここに熊野本宮大社があった。しかし、前述の明治の大水害によって上社を残して破壊されてしまった。その上社を今の場所に移築した。ここには日本一の大鳥居があった。平成12年の再建。昔から大きいのかは不明。大神神社の鳥居よりもわずかに大きい。ただ、周りに比較対象となる建物がないため、あまり大きくは感じなかった。
 1210、土産物屋「珍重庵」で山菜そば。あんまり。
 1235、熊野本宮館。熊野信仰について書かれていた。熊野はあまりにも京都から遠いので黄泉の国に近いとされたらしい。帰る時は同じ道を通らなければならないとか。また十津川村を通るのは勘弁かな。
 宝物殿に行き忘れていて、戻ったら休館だったorz。
 1310、次の場所に移動。国道168号線を新宮に向かって南下。国道は熊野川に沿っていた。ほぼ垂直に切り立った高い山、その間を熊野川はくねくねと白い川原を作りつつ流れていた。壮大な景色がひたすら続いた。
 脇道に逸れて、瀞峡を目指した。1340、瀞流荘(せいりゅうそう)。ここでは鉱山で使われていたトロッコに乗ることができた。駐車場からは複線のナローゲージと駅のホームとトンネルが見えた。テンション上がりまくりだった。このトロッコはかなり到達困難だと思ってただけに喜びもひとしおだった。トロッコは、瀞流荘から湯ノ口温泉駅を結んでいた。瀞流荘でチケットを購入。湯ノ口温泉の入浴券付きで880円だった。
 1430、トロッコ。4両編成。マッチ箱のような客車で、中に入ると立つことができなかった。客車は木造で入り口は引戸。お客さんは全員で7人くらい。平日にしては結構いる印象。短いホイッスルが2回鳴って出発。物凄い音と振動が襲ってきた。特にポイント通過がヤバかった。脱線するんじゃないかくらいの縦揺れ。これは須磨浦山上遊園のカーレーター並みだ(爆)。レールの継ぎ目ごとに強い振動、木製の窓は常にガタガタ軋んでいた。おそらく客車にサスが入ってなかった。貨車を改造しただけだろう。従業員を運ぶだけなら乗り心地なんて関係ないもんな。スピードは20kmくらい、結構早かった。道中は一ヶ所明かり区間があるもののほとんどトンネルの中だった。乗車時間は10分。
 湯ノ口温泉は新しかった。ボーリングしたら温泉が出てきたとのこと。鉱山施設を活用してるらしい。露天風呂はちょっと鉄分多めで底が茶色く錆びたような色になっていた。露天風呂には他に誰もおらず貸し切り状態。静かで鳥のさえずりと水の流れる音だけが聞こえてきた。適温でとても気持ちよかった。贅沢な時間。ずっと入っていたかった。1540のトロッコで折り返した。
 16時、鉱山資料館。旧紀和町は海に面しておらず、山の中の町だった。紀和町にはかつてたくさんの鉱山があり賑わっていた。知らんかった(汗)。ここの施設は紀和町の役場の隣にあり、トロッコとセットで町の観光の目玉だったのかもしれない。郷土資料館的な内容となっており、説明も充実していた。特に鉱石がたくさんあり興味深かった。トロッコの説明もあった。わずか1時間では詳細まで見ることができなかったのが残念。
 1710、丸山千枚田。棚田。山の斜面を無理矢理田んぼにした感じ。展望台からの見張らしは、眼下には幾重にも重なる棚田、遠くには山が連なり、とても美しくて幻想的だった。
 17時半、赤木城跡。平山城紀州一揆を防ぐために藤堂高虎が建てたらしい。まったく知らんかった。こんな強烈な山奥によく作ったもんだ。石垣がよく残っており、小規模ながら縄張りがよくわかった。
 国道168号線に戻り、新宮市街へ。1840、ホテルサンシャインにチェックイン。おじさんがとても気さくだった。アメニティは古いけど、いろんなところに心遣いが感じられて素晴らしかった。
 晩飯の目張り寿司は意外にいけた。目張り寿司にも色々な味付けがあるのかな。
 24時半に大学友人Sと電話しながら、新宮駅まで行った。ホームにはまだ明かりが灯っていた。また操車場も光っており、留置している車両が見えた。面白いものを見ることができた。
 今日は一日よく頑張った。こんなに回れるとは思ってなかった。明日明後日もだいぶ回れそうだな。