びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/05/11(土)「入院4」

 ようやく落ち着いたので、入院の最初から振り返ってみる。
 5/8(水)はもともと病院の予約があった。薬がなくなったので必ず行く必要があった。起きた時、腰痛はさらに悪化していた。歩くと声が出た。座るのもきつく薬さえも飲めなかった。右向きに寝てると若干マシだったが、どの体勢でも基本痛かった。一人で病院に行くつもりだったが、自信はまったくなくなっていた。前日に会社のYさんが病院まで付き添ってくれると言ってたので連絡した。またTさんから電話があり、退院したばかりなのに車で迎えに来てくれることになった。病院に電話して先生に指示を仰ぐと「おそらく入院になります」と言われた。痛みがなんとかなりそうなのでほっとした。うちに来たYさんに入院に必要な物をかばんに詰めてもらった。Tさんの車の後部座席に寝転がり、高速を使って病院まで連れて行ってもらった。病院ではYさんに車椅子を押してもらった。待ち時間は別室で横になっていた。ルートが確保され水が点滴された。「緊急入院です」と病棟に案内された。担当看護師はいつものYさんだった。とても懐かしい感じがした。ヘルペスの疑いがあると言われ点滴された。自覚症状はまったくなかったので意外だった。血液検査の結果からだろうか?CTとレントゲンを撮った。misterや外科の先生に言われたMRIは入ってなかった。先生に「肺炎が酷くなっている」と言われた。あるかもなと思った。治療がいるのかは言われなかった。痛みを説明する時に「腰だけではなく下腹部も痛いような気がする。3日間お通じが来てない」と言うと、寝る前に下剤を処方された。夜中3時頃に眠れなくなってウキーとなりそうだった。看護師さんに「眠剤か痛み止めを下さい」と頼むと、背中をさすってくれた。天使のようだと思った。最初に骨髄穿刺した時もそう思ったよなあ。しんどかったんだよなあ。痛み止めが効いていつの間にか眠っていた。
 5/9(木)は便秘との戦いだった。下腹部の痛みを解消するためだった。便が出なくて4日目だが、もともと3日に1回しかお通じはなかった。腰が痛いのにも関わらず、何度もトイレに行っては不発を繰り返した。気張ろうとするとお腹が痛かった。座薬を入れられてもダメだった。本当に下腹部に異常があるのではないかと思った。夕方に2回目の座薬が挿入され、食前に新たな薬も飲んだ。いっそ浣腸された方がよかったが、腸を傷めるのでダメとのことだった。夕食前にようやくお通じがきた。わずかに便が出た後、大量のガスが出た。まさしく難産だった。頑張ったものの下腹部の痛みはほとんど解消されなかった。そもそも腰痛をなんとかして欲しかった。そちらはなんの進展もなかった。治るのだろうかとの疑問がわいてきた。夜中に看護師さんに痛み止めを点滴してもらった。効きは悪くなっていた。
 5/10(金)はヘルペスが見つかりクリーンルームに隔離された。腰痛の原因がヘルペスであることがわかった。ようやく先が見えた。
 5/11(土)、すなわち今日は腰痛の原因もわかり、後は薬を飲んで寝とけばいいので、安心しきっていた。腰痛もマシになったような気がして、座ってご飯が食べられるようになった。病院のご飯はおいしくないが、隔離されてるのでどうしようもなかった。午前から寝転がってブログを打っていた。ただの怠け者のおっさんになっていた。正午に3809が来て入院申込書の連帯保証人と身元引受人のサインをしてくれた。面会できないのにわざわざ来てくれてとてもありがたかった。午後からは手持ち無沙汰になった。今回パソコンを持って来る余裕はなかった。本も持って来なかった。不慣れなスマホをいじくるしかなかったが、慣れるにはいい機会だと思いなおした。しかし、すぐに飽きてしまい、暇すぎて悶えていた。上野に電話したら後でかけなおすと言われた。電話は夕食中にかかってきた。夕食後有料テレビに手を出した。もはや病気のことはほとんど忘れていた。