びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/02/24(日)「入院234」

 1時に起きた。眠れないというより寝る気がない。作業するには、夜の方が集中できる。私が起きると隣のじいさんはカーテンの向こうで電気をつけた。3時頃に一旦部屋に戻っても電気をつけていた。消灯後の電気は完全にマナー違反だった。
 3時半真っ暗な談話室でパソコンのバックライトを頼りにドナーさんからの手紙を読んだ。この手紙を受け取ったのは年始で、実家に転送していた郵便物に紛れ込んでいた。骨髄バンクからの簡易書留の中に、ドナーさんからの手紙が入っていた。まさかドナーさんから返信がもらえるなんて思ってなかった。私はなぜかすぐに読むことができなかった。もしかすると知らなくていいことを知ってしまうのではないか?なかなか気持ちの整理がつかなかった。手紙はストレートな気持ちでシンプルな言葉でまとめられていた。極力私に負担をかけないように考えつくされており、私が元気になったことを心から喜んでくれていた。私は一人ではなく、常にドナーさんが応援してくれていたことに気づいた。読み終えた瞬間に私ほどの幸せな者はいないと思った。病気になったことは不幸だったが、普通の人生では感じることができなかった究極の他人を思いやる気持ちに気づくことができた。人生には必ず希望があり、生きてるだけで幸せである。ドナーさんのように困っている人に手を差し伸べ、少しでも周りに恩返ししていきたい。
 真夜中から明け方にかけて仕事をするととてもはかどった。この調子でうまく流れを作っていきたい。
 1週間前に女性のOさんが一時退院されたが、その代わりに銀髪のIさんとしゃべるようになった。Tさんがいなくなって患者間の交流が減りつつあるが、なんとか暗くなりがちな日常を楽しくしていきたい。
 昼食時にTさんがお見舞いにきてくれて、約束していたケンタッキーと鰻の蒲焼きを買ってきてくれた。元々談話室でケンタッキー食べたら面白そうだぞという話から発展した。以前の手羽先も同じ話からだった。因みにまだピザの計画が残っている。実は鰻の方に期待していたが、そちらは夕食に回した。昼飯ではケンタッキーを食べてみた。そもそもケンタッキーは尖閣でしか食べたことはなく、日本での味の記憶はなかった。所詮鶏だろと侮っていたら予想に反して激うまだった。肉はジューシーで衣はスパイシーでサクサク。むさぼりついて食べた。今までの差入れの中で間違いなく一番だった。ステロイド補正とのバランスでそうなったのだろうが、これではこの後の鰻でも勝てないのではないかと思った。Tさんはコカコーラゼロも買ってきていた。炭酸飲料を飲むのは移植後初めてだった。人工甘味料の味は相変わらず身体に悪そうだった。それでも飲めるようになったことが嬉しかった。Tさんは15時に帰って行った。
 部屋に帰ると隣のじいさんのところには相変わらず奥さんが来ていて、内容のない会話を繰り返していた。夜中は足が痛くて一晩中眠れなかったようだった。かわいそうに思って看護婦さんにチクるのは止めた。ただ毎日毎日12時から19時までずっと部屋でしゃべるのは勘弁して欲しく、明日こそチクるかもしれない。
 夕食で鰻の蒲焼きを食べた。私は鰻が大好きだ。でも、近年鰻の値段は高騰し、食べる機会が減っていた。院内にはなぜか「うなぎや」がある。さほどおいしくもない鰻が数えれるくらいの小さな切れっ端入っておらず、タレもおいしくなくご飯の量も少なく値段も高かった。いいところのまったくないうなぎやなのだが、それでも鰻に目がない私はいつも店の売り上げに貢献してしまっていた。今日の鰻はTさんお薦めの鰻で新大阪の市場で昔から焼かれていたものだった。名古屋産で色が薄いのが特徴だった。一匹まるまる2000円で、鰻自体はジューシーでさすがだと思ったが、タレはあまり甘くなく鰻とはうまく馴染んでないように思えた。レンチンご飯だったのもよくなかった。きっと店でうな丼として出てきたらもっとおいしかっただろう。それよりもなによりもケンタッキーが旨すぎたがすべてかと。
 夜の検温は37.5℃だった。今日はいろいろありすぎてちょっと疲れたかな。ちょっと無理をすると熱が出る。今日はゆっくり眠りたいなあ。