びーの独り言

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奥羽越列藩同盟

奥羽越列藩同盟―東日本政府樹立の夢 (中公新書)

奥羽越列藩同盟―東日本政府樹立の夢 (中公新書)

 函館と会津若松を気に入った影響で戊辰戦争に興味を持つようになった。もともと教科書レベルの知識で、榎本武揚が函館で独立を宣言したことしか知らなかった。スケールの大きなロマン溢れる話だと思っていた。会津若松に行ったときに、激しい籠城戦があったことを知り、有名な白虎隊のエピソードと結びついた。そして、いつの間にか庄内藩が最強ではないかと思い込むようになり、実際致道館まで行ってみた。なぜか展示がほとんどなく、地元の寿司屋でも「へー、そうだったんですか」と言われるレベルだった。
 子供の頃、東北と言えば田舎のイメージだった。「東北の山奥」とか言われてたし、「ヤッターマン」でも「会津若松の花子ちゃん」と揶揄されていた。どうしてマイナスのイメージになったのか?東北では主要な町が県庁所在地からはずされているようにも見えた。会津若松、米沢、弘前。もしかしたら戊辰戦争と関係があるかもしれない、そう思うようになった。
 奥羽越列藩同盟とは戊辰戦争のときに東北の30藩以上が新政府軍に対抗するために結んだ同盟である。教科書に名前があったようななかったようなくらいの認識。こんなに大きな同盟がどうして知名度が低いのだろうか?そして東武天皇まで擁立しようとしていたのだから、なんだか凄そうではないか?
 この本では奥羽越列藩同盟の詳細とその後の戦いの結末について、各主要な藩ごとに触れている。導入部において、奥羽越列藩同盟はまとまりがなく人物がいなかったという歴史的評価がなされていると紹介されているが、本文ではこの評価に批判的な立場をとっている。南部藩出身で総理大臣になった原敬の言葉を引用して、「戊辰戦争はただ政策の違いだけで、勝てば官軍、負ければ賊軍だった」と主張している。
 徳川慶喜大政奉還のあと、薩長を中心とする新政府軍は旧幕府軍を倒すため会津藩をターゲットとした。今では想像しにくいが、当時会津藩は藩主が徳川の親戚筋の松平容保で大きな力を持っていた。新政府軍は隣の仙台藩会津藩を攻めるよう圧力をかけた。仙台藩もまた伊達政宗以降続く東北最大の勢力だった。仙台藩の内部でどうするかで大いに揉めた。一度は会津国境まで兵を出した。しかし、薩長の使者が無礼な態度をとった。薩長天皇をそそのかし傍若無人な振る舞いをしているという結論になった。仙台藩は使者を切り殺し、白河で奥羽越列藩同盟の結成を呼びかけたのである。
 奥羽越列藩同盟に積極的に参加したのが、米沢藩南部藩、長岡藩である。庄内藩会津藩とともに新政府軍の標的とされており、同盟には参加していないが、別途会庄同盟を結んでいた。
 本文を読んで、仙台藩米沢藩のへたれっぷりが際立っていた。ロクに戦闘に加わらず様子を伺ってばかり。典型的なダメパターンだった。会津藩は戦いの経験豊富な将がたくさんいたにも関わらずgdgdだった。一方長岡藩の河井継之助はかっこよかった。長岡城を取り返したのは見事だった。また庄内藩は見事な戦いぶりだった。特に二番大隊の酒井玄蕃がかっこよすぎた。榎本武揚は東北の戦いにまったく参加せず、それでいて北海道独立を宣言した。荒唐無稽にすら思え、よく土方歳三大鳥圭介がついていったもんだと思う。
 結局のところ私の持ってる印象は、会津藩は旧幕府代表として討たれるべくして討たれた。庄内以外の藩はどっちについたら得かを考えていたので、ハナから戦いたくなかった。一方、命懸けで戦った薩長の士族の待遇はよくならず、士族に不満がたまりあちこちで反乱が起きた。萩、中津、佐賀、そして明治維新の立役者である西郷隆盛西南戦争で倒れた。薩長もまた討たれることで、新しい時代が幕開けしたと言えよう。
 この本の内容はまとまりがないように見える。当時の資料をたくさん引用しているが、実に断片的である。しかし、時折かなり深く掘り下げて、不完全さと奥の深さが、想像力を刺激する。教科書上で一言で終わらされた出来事もちゃんとまっとうに思われる理由があった。それが正義だったかどうかは後の歴史の評価が決めることだろう。
 4回読んだ。面白かったのでもっと読んでもよかった。1日ではぜんぜん進まなかった。このレビューもなかなか書けなかった。電車での読書を中止して書いたくらい。この本を読んでる途中で病気の話がわかった。それからは細かいことへの興味が失せて、読書への情熱も消えていった。もうそんなに余計な情報をインプットしている余裕はないんだよな。もう収穫の時期だ。